第11話「花街の銀」

 突風と共に幽楽庵に現れたのは、やはり鎌鼬の長兄、迅だった。しかし、その背後には吹と薫の二人もついてきている。迅は切迫した表情で店の中へと飛び込み、そこにいた三毛猫を見てたたらを踏む。


「なっ、ヤタから連絡があったから急いで来たってのに。なんでコイツがいるんだ!?」


 目尻を吊り上げて睨む迅を、二瓶がなんとか落ち着かせる。


「ごめんなさい、今はあなたから聞きたいことがあるの。洸哉さんは、花街のどこに通ってたの?」

「葵さんの旦那さんが、まだ帰宅なされないようで。ずいぶんと心配されているんです」


 数刻前とは一変してしおらしくなった葵に、迅は目を白黒させる。二瓶の補足を聞いて、ようやく状況を理解したようだった。しかし、彼は難しい顔をして腕を組み、唸るように声を出す。


「俺だってはっきり見たわけじゃねぇ。花街に出入りするとこは見ても、どこの女に会いに行ってるかまでは……」

「迅。それならば葵さんと一緒に洸哉さんを探しに行きなさい」

「はぁ!?」


 二瓶の口から飛び出した思わぬ言葉に、迅は今度こそ驚愕する。

 どうして俺が調伏師を探さないといけないんだ、と吠えるように言う。


「洸哉さんは妖と人の平和の証です。彼に何かあれば、今度こそ両者の関係は決裂してしまう。それだけは避けなければ」

「しかしよぉ。別にソイツが妖怪に襲われたわけでもないんだろ。ただの浮気なら、俺が出ても仕方ねぇ」

「そ、そんなことない!」


 なおも頑なな迅に、たまらず葵が反駁する。彼女自身が、それほど強く否定することに驚いていた。

 洸哉について彼女が知っていることは驚くほど少ない。一日の間のわずかな時間しか顔を合わさず、ほとんど言葉も交わさない。彼の表情は乏しく、そして口数も少ない。

 それでも――。


「洸哉さんは、そんなことするような人じゃないわ!」


 葵は確信を持っていた。


「何を根拠に言い切るんだよ。夫婦仲は冷え切ってるんだろ?」

「でも……。あの人は私を可愛がってくれたもの」


 彼はそうとは知らない。葵の三毛猫姿を、洸哉は知らない。それでも、彼は道を歩いていた彼女を、葵が見たことのないほど相好を崩して撫でくりまわした。あの時の優しげな声と満面の笑みだけは、偽ることはできない。

 妖の妻を呼びながら、花街に通い他の女にうつつを抜かすような男に、あんな屈託のない花のような顔ができるだろうか。


「お願い。一緒に探すだけでもいい。手伝ってちょうだい」


 葵はまだこの町に来たばかり。土地勘というものはまるでない。特に、掘と柵で囲まれた花街には、一度も入ったことがない。どうしても案内人が必要だった。


「お兄ちゃん」

「行こうよ。僕らも心配だ」


 妹たちも葵の側に回る。二瓶も、ヤタも。迅はまわりを見渡して、観念したように大きくため息を吐き出した。


「……分かったよ。ついて行けばいいんだろ」

「ありがとう、迅!」


 次の瞬間、二人は同時に店を飛び出した。一歩先を進む迅が目指すのは、帝都の中でも広い面積を占める夜の街、花街だ。日が暮れて煌々と灯りが連なる不夜の町に、一陣の風が吹く。


「あの調伏師はこの門から中に入った! そっから先は知らねえぞ!」


 花街をぐるりと取り囲む柵には、いくつかの出入り口が設けられている。側に番人が立ち、目を光らせているが、風となった葵たちを阻めるものではない。

 二人は屋根に飛び乗り、瓦を鳴らして走る。


「何か変な噂とかないの?」

「花街なんてどす黒い噂がいくらでもあるさ」


 迅も入り浸る妖茶屋幽楽庵には、帝都中の噂話が集まってくる。その中に何か手掛かりはないかと期待する葵だが、迅はそれを一蹴する。

 女を求めて男が訪れ、金と色が渦巻く夜の町。愛憎が入り乱れ、喜怒哀楽が入り混じり、濁った色彩を広げる。それが花街というものだ。誰が誰を好いている、誰が誰に嫉妬している。そんな話は掃いて捨てるほど出てくるものだ。


「それじゃあ、妖や調伏師が関わってそうなものは」

「それだっていくらでもあるが……。そうだな、花魁のしろがねってやつは人離れした別嬪さんって噂だ」

「しろがね……」


 花魁といえば、花街の頂点に君臨する女郎だ。その顔を一目見るだけでも、男は相応の地位と金子を用意せねばならない。


「その、銀はどこにいるの?」

「知らん。一番デカい屋敷の、一番奥の部屋だろ」


 鎌鼬は花街の仕組みに精通しているわけではない。迅のあまりにも適当な言葉に葵はむっとするが、これも仕方がないことかと納得する。であれば、ひとまず目指す先は定まった。

 屋根の上からは花街も広く見渡せる。その中で、頭ひとつ抜けている豪邸があった。


「迅、あそこ!」

「おう。金が余ってそうな屋敷じゃないか」


 迅も一目見て、そこが花街の中心だと理解した。そして二人が夜の町に聳える楼閣へと走ろうとした、その時。


「にゃぁっ!?」


 突如、豪華絢爛を極めるその建物が、熾烈な猛火に包まれた。

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