第7話「人の目は誤魔化せても」

 翌日も特にやる事がない葵は書庫へと赴き、天窓から脱走して町へと繰り出した。乾物屋のイトのところでひとしきり可愛がってもらった後、おやつの煮干しを食べながら自由気ままに町を歩く。帝都は目の回るような騒がしい場所ではあったが、もともとは世話焼きの多い土地柄なのだろう。毛艶のいい三毛猫がてくてくと歩いていると、どこからか猫撫で声が聞こえてくる。


(とはいえ、人間ばっかりっていうのも気持ち悪いわねぇ)


 尻尾をゆらりと振りながら歩く三毛猫が、そんなことを考えているとは誰も思わない。

 山奥の屋敷で暮らしていた葵にとって、町は目に映るすべてが新鮮だった。だが何よりも奇妙に見えるのは、通りを行き交う人々は全て人間で、妖の姿が全く見当たらないということだ。

 人の町なのだからそれが当たり前と分かっていながらも、化け猫しかいない屋敷に慣れ親しんだ葵にとっては少し窮屈さを感じさせる。


(町に妖がいない、というわけもないんでしょうけど)


 妖はどこにでもいる。森の奥や洞窟の闇の中などが棲家の定番ではあるものの、人里を好むものもいるはずだ。そうでなければ、洸哉のような調伏師が職として成り立つはずもない。

 いったい妖たちはどこに潜んで、洸哉たちはどうやってそれを探しているのだろうか。


(ま、人に化けた妖を見つけるのはかなり難しいでしょうけど)


 少し得意げになりながら葵は尻尾を揺らす。彼女が三毛猫に変化したのを、間近まで迫った洸哉が全く気付かなかったように、十分に修行を積んだ調伏師であっても妖の変化を見破るのは至難の業だ。

 町に住む妖も、普段は人に化けて暮らしているのだろう。尻尾や耳を出すなど、よほどあからさまなことをしない限り、それでばれることはない。

 やはり人間よりも妖の方が一枚上手なのだ。そんなことを考えながら気の向くままに歩いていた葵は、周囲の雰囲気が変わったことにようやく気が付いた。


「なぁん」

(ずいぶん賑やかなところね。お店がいっぱい並んでるわ)


 手頃な町屋の屋根に登って眺めてみれば、色とりどりの旗が立てられた大通りだ。ずらりと軒を連ねるのは、乾物屋のような庶民的なものよりも、綺麗な反物や簪などを並べる店が目立つ。見たところ、歩く人々の装いも少し華やかだ。

 冷泉家の屋敷があるあたりは民家も立ち並ぶあたりで、こちらは繁華街といったところだろうか。


(ここなら美味しいものも食べられそうねぇ)


 すっかりおやつに味をしめた葵はぺろりと口の周りを舐める。そうして意気揚々と屋根から飛び降りて、優しそうな人間がいる店を探して歩き始めた。

 だが、その矢先。


「にゃんっ?」


 不意に頭上に不穏な気配が現れる。猫の敏感なヒゲでそれを感じ取った葵がそちらに目を向けると、青空の中を小さな白い鳥が飛んでいる。だが、すぐに彼女はそれに違和感を抱く。鳥は全く羽ばたくこともなく、滑るようにして町の空を飛んでいるのだ。

 あれは一体なんだろう、と目をこらした葵は、すぐに愕然とする。


(式!)


 それは一枚の呪符だった。ただの紙に力を込めたそれは、術者の手足となって動く式へと変わる。つまり、あの鳥はどこぞの調伏師の手先なのだ。


「嬢ちゃん、軒先に隠れな!」

「なぁんっ!?」


 思わず動きを止めた葵に、予想外の方向から声が届く。自分の正体が露呈した。そのことに気がつくよりも早く、彼女の小さな体が勢いよく突き飛ばされ、通りの一角にある茶屋の長椅子の下へと滑り込んだ。


「にゃぁんっ!」


 何するのよ! と葵が怒る。だが、赤い毛氈で隠された椅子の下には、すでに先客がいた。


「いいから今は大人しくしてな。アレに見つかったら厄介なのが駆けつけてくる」

「なっ、アンタいったい……」


 声量を抑えた男の声。驚きに目を丸くする葵が見たのは、可愛らしい顔に似合わない大きな鎌を携えたイタチだった。


「たまにあの式が町を見回ってるんだよ」

「見つかったら調伏師がやってくるよ」


 イタチの背後から、さらに別の声がする。ぴょこんと小さな顔を覗かせたのは、鎌持ちよりも一回り小さなイタチ二匹だ。片方は薬の匂いがする壺を、もう片方は木槌を持っている。

 木槌、鎌、薬壺とくれば、もはやその正体は一つしかない。


「あなた達、鎌鼬ね」

「それ以外の何に見えるってんだ」


 鎌持ちがふんと偉そうに鼻を鳴らす。

 葵はこんなところで他の妖に出会えた事に、思わず声を躍らせて喜んだ。


「お前、見ない顔だな。見張り鳥のことも知らないとは、不用心だぞ」


 鎌鼬は三匹で一組の妖だ。大鎌を持つ大きなものが長兄で、木槌が弟、薬壺が妹である。兄イタチはじろりと三毛猫姿の葵を見つめて、怪訝な顔をした。


「訳あって最近こっちに越してきたの。化け猫の葵よ」

「化け猫か。だったらそのまま歩いてても問題なかったかもしれないな」


 助けて損したぜ、と兄イタチ。

 葵の変化は同じ妖であればある程度判別がつく。とはいえ、化けることに秀でた化け猫であれば、式の目も掻い潜れた可能性は多いにあった。

「もー、お兄ちゃん」

「そんなこと言っちゃダメだよ」


 舌足らずな弟と妹が兄を諌める。助けてくれたこともあるし、随分と仲の良い兄弟じゃないか、と葵はついつい口元が緩みそうになる。

 そんな彼女の心情を知ってか知らずか、兄イタチが口を開く。


「町に来たばかりってことは、この茶屋のことも知らないのか?」

「茶屋ってここのこと?」


 首を傾げる葵を見て、彼は察する。

 その時、長椅子が上からコンコンと叩かれ、毛氈がぺろりと捲られた。人間に見つかったかと慌てる葵だが、鎌鼬たちは平然としたまま外へと出ていく。


「ほら、こっちに来い。心配しなくても、ここはこの辺の妖の溜まり場だから平気だよ」

「にゃぁっ」


 振り向きざまに放たれた兄イタチの言葉に、葵は再び驚きの声を上げた。

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