第2話「二人の新居」

 冷泉家が用意した新居は、帝都と呼ばれる人間たちの都のただなかにあった。人目を避け、山深い森の奥の屋敷で暮らしていた葵は、自動車という新時代の乗り物に揺られて、無数の人々が闊歩する町へとやってきた。

 高さもまばらな屋根がひしめく騒がしい街並みの流れる様をぼんやりと見ながら、彼女はここ数日の波瀾万丈を思い返す。

 運転席でハンドルを握っている男、冷泉洸哉が突然現れたのが五日ほど前のこと。人間の調伏師であるこの男が自分の夫になるという。そんな衝撃的な事実に葵が打ちのめされている間に、外堀は猛烈な勢いで埋まっていった。

 あっという間に荷物がまとめられ、ひと足さきに新居へと送られた。彼女自身も抵抗虚しく、こうして洸哉自らに運ばれていた。


――この数日、ほとんど会話も無かったのに。


 車窓に頬杖を突いたまま、葵はちらりと隣の男を盗み見る。初日こそ色合いの落ち着いた和装に身を包んでいた洸哉だが、今日は仕立てが良く動きやすそうな洋装だ。装いを変えるだけでも随分と印象が違って見える。

 とはいえ、脇目も振らずに真正面を睨む目つきの鋭さだけは変わらないが。よく研がれた刃のような黒い瞳を見るたびに、葵は緊張感を取り戻す。こいつは調伏師、無数の妖を滅してきた危険な存在なのだ。


「着いたぞ」

「えっ? わ、いつの間に!?」


 いつ怪しげな術が向けられてもいいようにと気を張っていた葵に、洸哉が目を合わせる。気が付けば車は町の中に入り込み、立派な邸宅の前に停まっていた。


「ほら」


 洸哉が立ち上がり、葵に手を差し伸べる。線が細く色白で、なよなよした印象を抱いていたが、その手は存外男らしい。その裏腹な印象に思わずどきりとした葵は、そんな自分の頬を叩きたくなった。


「じ、自分で立てますから!」


 差し出された手を払い、立ち上がる。いよいよ門前に降り立つと、自分の生活ががらりと変わるのを予感してしまう。屋根付きの立派な門の傍には、冷泉という達筆な字が刻まれた表札が掲げられていた。


「大きい……。冷泉家は、こんな立派なお屋敷をわざわざ建てたの?」


 まだ爽やかな木の匂いすら感じられる新築だ。町には疎い葵でも、こんな中心部に立派な屋敷を用意するのが容易ではないことくらい分かる。門前に立っただけでも圧倒されるほどの気迫を備えているのだ、この奥に簡素な藁葺きの庵があるというわけでもないだろう。


「俺はいいと言った。しかし、親が勝手に建てたんだ」

「親って……」


 洸哉は冷泉家の若旦那。ゆくゆくは家督を継ぐことが確定しているものの、現当主は彼の父親だ。

 俺は悪くないとでも言いたげな洸哉の口ぶりに、葵は少しだけむっとした。


「ようこそいらっしゃいませ、葵様!」

「うひゃぁっ!?」


 その時、盛大な歓迎の声が響き渡った。突然のことに葵は耳と尻尾を飛び出させて驚き、縦長の瞳孔を大きく開く。いつの間にか大きく開いた門扉の向こう側、玄関へと続く道を縁取るように揃いの着物を装った女性たちがずらりと並んでいた。


「おかえりなさいませ、旦那様」

「葵様も遠方よりよくぞいらっしゃいました」

「御休憩の準備は整っておりますゆえ。ぜひ、お入りください」


 ニコニコと満面の笑みを浮かべた女中たちが大きく手を広げて葵を招き入れている。あまりにも真正面からの歓迎っぷりに唖然とする葵だったが、洸哉はこれで当然とばかりに平然として門をくぐっていく。


「ちょっ、ま、待ちなさいよ!」


 鉄面皮で何を考えているか分からない男だが、今この場では彼を頼りにするしかない。葵は慌てて彼の背中を追いかけて、今後長い時を過ごすことになる新居の敷居を跨いだ。


「葵様、お初にお目にかかります。私はこの屋敷で女中頭を務めさせていただきます、ミヨと申します」

「はぁ……。よろしくおねがいします」


 到着早々広間に通された葵は、そこで屋敷で働く者たちとの顔合わせと相なった。初めに深々と三つ指をついて額を畳につけるほどの礼をして見せたのは、年嵩の女性だった。頬に刻まれた深い皺から、一目で熟練した女中であることが分かる。

 ミヨに続き若い女中たちもすらすらと名乗りをあげて、葵への奉仕を誓い立てていく。女性陣が終われば男性陣、車夫や火吹き、荷物持ちに至るまで、誰もが従順な様子だった。

 洸哉は葵の隣に座り泰然と構えており、へりくだったミヨたちの態度にも眉ひとつ動かさない。その奇妙な雰囲気に、ついに葵の方が根負けして戸惑いがちに口を開いた。


「ねえ、みんな、私のことが怖くないの?」


 ミヨたちはきょとんとして葵を見る。葵は自分が変なことを口走ったのではないかと顔が赤くなるのを感じた。

 しかし、自分は妖である。人間からすれば、妖も妖怪も変わらないだろう。調伏師である冷泉家に仕える人間ならば、妖怪の恐ろしさ、人間への所業も聞いているはずだ。それなのに、ミヨたちは葵を歓迎し、あまつさえ手厚くもてなしてくれている。

 葵からしてみれば、あまりにも拍子抜けだった。


「葵様が恐ろしいだなんて、そんな。お美しゅうございますよ」


 とんでもない、と首を大きく左右に振ったあと、ミヨは破顔して断言した。彼女の背後の使用人たちもうんうんと頷いている。


「たしかに、妖のご令嬢をお迎えするのは初めてのことです。その点で葵様には何かと不便を強いることもあるかと思います。ただ、私たちもできる限り葵様を支えていく所存ですので、どんなに細かいことでも気軽にお申し付けください」


 ちがう、そうじゃない。と葵は猫耳を倒す。胸の内の困惑を雄弁に語る尻尾が腰から見え隠れして女中たちが頬に力を込めるのに、彼女だけが気付かない。


「妖と結婚するだなんて……」

「たしかに、妖と調伏師は互いに争い合った歴史があります。ですが、それも今は昔のこと。帝と龍神が友誼を結び、我らは和解を果たしましたゆえ」


 ミヨの語りは全て事実だ。だが、争いの歴史は長く、溝はまだまだ深い。いまだに龍神の勅命を無視している妖怪もたしかに存在するし、だからこそ冷泉家も調伏師として今も家業を続けているのだ。

 そこまで考えて、葵ははっとした。

 これはいわゆる、政略結婚という奴なのだろう。力はさほど強くないとはいえ、化け猫の猫宮家は妖の中では歴史の深い大家。一方、冷泉家も帝の懐刀として暗躍してきた実力も確かな調伏師の家系である。いわば妖と人の代表とも言えるような二家が縁を結べば、双方の歩み寄りを示す好例となろう。

 それと同時に、葵は人質ならぬ猫質なのだ。妖が人間を襲うとなれば、冷泉家はいつでも葵を滅することができると。そう周囲に知らしめることで妖怪たちを押さえつけようとしている。


「なんだ、そういうことか」


 自分の役目を理解した途端、張り詰めていた力が緩んだ。葵は肩の力を抜いて、大きなため息を吐き出す。どうせ形ばかりの婚姻なのだ。であれば人の町での生活を楽しんでやればいい。


「それに今回の縁談は坊ちゃんが――」

「ミヨ。葵も長旅で疲れているだろう。そのあたりにしてやれ」


 葵が考えを巡らせている間にも、ミヨは何かを話していたらしい。見かねた洸哉が口を挟み、強引に中断させる。


「奥に私室を用意している。今後はそこを自由に使ってくれ。もちろん別の部屋に移っても良いが」

「ありがとうございます。それでは、少し休ませてもらいましょう」


 洸哉の提案に、葵は渡りに船とばかりに乗っかる。まだ話したりなさそうなミヨたちだったが、屋敷の主から命じられれば断るわけにもいかない。葵はぞろぞろと大名行列のようについてくる女中たちに案内されて、広い屋敷の奥にある豪奢な部屋へと向かうのだった。

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