報告8 ネクロマンサー

 ひどく臆病で恥ずかしがりの男がいた。どのくらい臆病で恥ずかしがりかというと、街の通りで知り合いが向こうからやってくると目も合わせないで道を変えてしまうし、家を訪ねてきても居留守を使って部屋に閉じこもってしまう。知り合いと会って話をすることが億劫でたまらないのだ。一度そうして避けてしまうと、つぎに顔を合わせるのが更に億劫になってしまう。こんなふうなので、若い頃には大勢いた友達もだんだんと数を減らし、「「とんだ人ぎらいになってしまった」、「無愛想で無礼なやつだ」と男のことを相手にしなくなっていった。


 困ったのは当の男だった。じっさいの男は人づきあいは苦手なものの、人ぎらいどころか大変な寂しがりだったからだ。男は周囲からかつての友人が離れてゆくことに困惑し、楽しそうにしている人たちの輪に自分が加われないことに腹を立てていた。「どうしておれのことを仲間はずれにするんだ」男には臆病で恥ずかしがりな自分が、他人からは横柄で無愛想な男として見えることにまるで気づいていなかった。男の鬱屈は友人から街中へ漏れ広がって、男は街中のだれからも相手にされなくなっていった。年を経るごとに不満は深まり、男はますます孤立していった。


 ――なぜ、おれがこんな辛い思いをしなければならないんだ?


 孤独な男のだれの耳にも入らないはずの嘆きを聞き届けたのは、《慈悲の城》に住むという魔法使い「白い魔女」だった。


 ――心優しく思慮深い男よ。思い煩うことはない。


 目の前に姿を現した魔女は、文字どおりの慈悲深い声で、男が臆病であることを優しいと言い換え、恥ずかしがりのことを思慮深いと呼んで慰めた。小心と羞恥心から、ずっと人を遠ざけてきた男は、触れんばかりに近づきて耳触りの良い言葉をかけてくれる魔女にたちまち心を奪われてしまった。そして魔女に促されるまま、苦しい心のうちを打ち明けた。


 ――おれが受け入れてもらえないのは、おれが普通の人間でないからか。そうでなければこんなに辛い思いをするはずがない。


 その血を吐くような思いに魔女はこう答えて男を驚かせた。


 ――そのとおり。おぬしは特別。人間以上の存在だ。


 そして、男の頭を胸元に抱き寄せ、ふたりでそれを証明しようと呪いをかけた。その場で魔女と結ばれた男の肌の色が、みるみるうちに生気を失い変色した。髪は抜け落ちて顔は膨れ、目玉は溶けて口からは蛆がこぼれ落ちた。体が朽ちてゆくにもかかわらず、男の心は喜びに震えていた。自分を受け入れてくれるもの魔女が現れたからだ。死人使いネクロマンサーはこうして生まれた。


 死人使いは、魔女から分け与えられた魔法によって、自由に死者を操ることができた。時は後に大戦乱時代と呼ばれることになる混乱期。異界の門が開かれ、複数の魔王や魔神がその配下と共に魔界から押し寄せた時代だ。地上を埋め尽くす無数の死者が、死人使いの操る人形となった。戦に怯む心を持たず、殺しても死なない不死の人形だ。死人使いの操る数万、時に数十万の数に上る不死者は、わずか2年で17の城を破壊して三つの王国を滅ぼし、死人使いを王とする新たな国を築き上げた。


 ――よくやった。


 死人使いの下にふたたび「白い魔女」が現れた。玉座の前に立つと死人使いを見下ろして、「死者の国」の王となった気分はどうだとたずねた。無数の不死者たちにかしずかれた死人使いは、静かに視線を上げて首を振った。死人使いは王になりたかったわけではなかった。ましてや死者の王などと。


 死人使いの操る死者は話すことができない。笑うことはないし、泣くこともない。体は動かせても心がない。年を取らないのは、ただ朽ち果てて塵に戻る時を待っているからだ。そんな死者たちに囲まれた死人使いは、人恋しくて気が狂ってしまいそうだった。


 ――呪いを解け、魔女め! 人間に戻すんだ。


 そういってすがりつく死人使いを魔女は冷たく突き放した。


 ――おかしなことを。これは呪いではない、祝福だ。人と関わりたくないと望んだのはだれあろうおぬし自身ではないか。

 ――人を避けたかったわけじゃない。傷つきたくなかっただけだ。

 ――同じことだ。関わりをもって傷つかぬなどということがあるものか。関われば関わるだけ、望めば望むだけ、人は互いに傷つけあうものではないか。

 ――でもそれだと行きつく先はどうしようもない。


 玉座の間に笑い声が響いた。「白い魔女」がおかしくてたまらないといった様子で笑っていた。


 ――いままで知らずにいたのか? 世界はどうしようもないものなのだということを。


 魔女の乾いた笑い声は、いつまでもいつまでも続いた――。



「なにを読んでるんだ」


 顔を上げると情報屋のケッツア・ケルンがおれの手元を覗きこんでいた。おれはココノエの手記をテーブルにおいた。これは大戦乱時代を生きた勇者が日々書きつけていた日記だ。売れば金になるかもしれないと、死んだココノエのねぐらから持ち出して少しずつ読んでいるのだが、世迷言よまいごとが書いてあるとしか思えない。


「ネクロマンサーについて書いてある手記だ。これって売れるかい?」

「そんな下手くそな小説もどきが売れるわけないだろ」

「だろうね」


 この手記には勇者ココノエが、冒険の旅で出会った人々の暮らし、倒した魔物、聞き集めた伝承などが脈絡なく綴られている。ここには死体を操る魔法使い《ネクロマンサー》が生まれた伝説が書かれているようだ。しかし、実際のネクロマンサーは魔法使いの中でも最下等に区分される種族だ。ココノエが書き残したような力を持つものはまれで、そのほとんどは知能が低く、死体を操る力も弱い。手記のなかの死人使いの国も、やがて現れた勇者によって滅ぼされたと記されている。


「呪いか、それとも祝福か」

「なんだって」

「なんでもないよ」


 人の声が騒がしい。日が暮れて、情報屋が情報集めに使っている酒場「イノシカ亭」に客が集まってきたようだ。顔馴染みの冒険者を見つけたケッツア・ケルンが席を立つ。人の多い場所は苦手だ。おれはそろそろねぐらへ退散しよう。


 手記にはその後、死人使いがどうなったか記述はない。


 

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