報告7 淫魔②

 「探しもの?」


 古城の地下牢のなか、部屋にかけられたランプの光で透かし見る女の体は張りがあり、腰を這うおれの手がくすぐったいのかくすくすと笑いながら言った。


「腰に百合の入れ墨のある女を探している」

「そんな人知らない」


 こいつじゃないな。

 部屋を出ようと立ち上がりかけると、女はおれにしがみついてきた。吐く息が熱い。しっとりと濡れた唇と部屋の腐臭をかき消す甘い匂い、しなやかな張りのある胸と豊かで柔らかい腰を感じて、おれの身体が高ぶってくる。何者かは分からんが、とびきりいい女なのは間違いない。


「抱いて」


 たちまちおれの視界は女の瞳でいっぱいになってしまった。柔らかい体を抱く腕に力をこめると、女がうれしそうな声をあげた。こんなことをしている時じゃないのに、ウィンの女好きが伝染してしまったのか――。自嘲はしてもおれは自分を止めることができなかった。


「よかった?」

「……ああ」

「うれしい」


 激しく抱き合った後に腕をほどいた女の体はうっすらと汗ばみ、白い肌を赤く上気させていた。細いうなじから形の良い胸を通って腰へと至る体の線は美しく、こんな場所の売春宿でなければ、女神のように思えたかもしれない――。女の体を撫でていたおれの手が止まった。上気した女の腰にさっきまではなかった白い百合ゆりが浮かび上がっていた。

 

「ばれちゃった? ごまかして帰ってもらおうと思ったんだけど。お客さんってわたし好みだから思ったより熱くなっちゃった。」

「あんたが……そうだったのか」


 そのつもりで見れば、貧民街スラムには似つかわしくない女だ。はすっ葉な言葉の端々にも育ちの良さを感じる。しかし、売春宿ここからあんたを連れ戻しにきたと伝えると、首を横に振って拒否された。


「館には帰らないわ。ここがいいの。わたしのいる場所はここ」

「薄汚いスラムの売春宿だぞ。どこの何者かしらないが、あんたにここは似合わない」


 おれはともかく依頼人はきっとそう思ってるはずだ。


「因習深い館のだれも来やしない部屋に母や妹たちといて、長くて分厚いドレスで脚を隠してろっていうわけ? 悪いけど、それこそわたしに似合わない。抱いてみてわかったと思うけれど――わたし男と寝るのが好きなの」


 女は勝ち誇るように言い放った。


「館にわたしの居場所はない。わたしはあそこに相応しくない女なの」


 女が自分の性向に気づいたのは14歳の頃、相手は自分の父親だった。


「わが家の入婿で、当主であるお母様にずっと頭が上がらなかった可哀想な人。わたしとのことが分かって地下牢に繋がれ、発狂して死んだわ。でも、あの人には感謝しこそすれ、恨む気持ちはないの。ほんとうのわたしを教えてくれたのだから」


 以来、女は親族の若者や館の使用人、出入りの商人など、次々と男を自室に招き入れては淫らな快楽に耽るようになったという。


「不道徳だとか淫売だとかさんざん罵られたわ。でも、わたしは知っている。そんなのは偽善だって。わたしを探せとあなたに依頼した男は兄よ。お母様のお気に入り。あの兄もわたしと寝ていたのよ? 父とわたしを奪い合っていたんだわ。腰に入れ墨を彫ったのも兄。父が死んで、途端にわたしを高い塔に閉じ込めたけれど――これが偽善でなくてなに?」


 館の奥深く、人と会えないよう尖塔の小部屋に閉じ込められた女は、そこで赤い魔女ヤイバと出会った。魔女は苦悩と後悔とに涙を流している女を嘲笑った。


 ――キミの目を開いてあげるよ。


 そうして女は貧民街ここへ連れてこられた。ここで女は、人はあるがままに生きていけるということを知った。ここでは女を淫売と呼ぶような者はひとりもいなかった。不道徳を蔑まれるどころか、その行為は尊ばれたほどだった。


「わたしはここに来るまで自分のことが嫌いだった。存在してはいてはいけないのだと思い込んでいた。忌まわしく、汚らわしい、ゴキブリのような女。でもわたし、ここで初めて人から感謝されたの、『こうしてくれて、ありがとう』って。あるがままに振る舞って認められる。こここそわたしの居場所だって思ったわ」

「だがここは貧民街だ。まともなやつのいる場所じゃない。分かっているだろう、犯罪者や貧乏人、半人半獣の亜人と魔物が互いにだまし合い、食らい合う地獄だぞ」

「わたしは売春婦、犯罪者よ。館へもどれば地獄なの。ここは天国よ。あなたには分かるはず。ここはあらゆる欲望と快楽の坩堝るつぼ。わたしは混沌の天使。さあ――」


 また楽しみましょうよと言う女の声が、大蛇のようにおれの手足を縛ってゆく。女の両目が赤く輝きはじめていた。身動きがとれない。魔の波動だった。魔法使い!? さっきまでは上気していた女の手がいまはもう氷のように冷たかった。


 ――なにやってんだ!


 薄暗いランプの明かりの中で、抜き身の剣が放つ黄金色の光が走った。途端に手足の呪縛が解けたおれは、置いていた剣をひっつかみ、部屋に飛び込んできたウィンと並んで女に斬りつけた。魔法を操る相手だったが、二人でかかれば造作なかった。ウィンの一振りで女の首は胴体から離れ、瞳の赤い輝きは消え失せた。


淫魔サキュバス……」

「油断しやがって、ばか」


 赤い魔女の強い魔力に触れた女が、人から魔物に遷移したのだ。人間であってもに近い個性を持つものは、魔力に触れて魔物になる。ウィンに聞かされるまでもなく、知識として知ってはいたのだが。目の当たりにするとまるで分からなかった。


 死体になってしまったので、街へは女の首だけを持って帰った。気持ちはよくなかったが、生死にかかわらず女を連れ戻せというのが依頼人の要求だったからだ。依頼をすませたと連絡すると、数日をおかずに依頼者の男は、おれのねぐらにやってきた。女は死んだと伝えたが、それは自分で判断するといって女の首を見せるよう要求した。革袋から取り出した女の首は血汚れもなく、まだ十分に美しかった。


 それが探していた女だと分かったのだろう。依頼人の男が太い溜息をつくとはぼ同時に、棚に置いた女の首が飛び上がって男ののど元に嚙みついた。制止する間もない一瞬の出来事だった。引き離そうとしたが女の顎はびくともせず、のどぶえを嚙み切られた男は血の海のなかで死んだ。同時に女の首は男を離して動かなくなった。永遠に。


 なんとも後味の悪い依頼だった。


 依頼人がいなくなったので、その法外な報酬も絵に描いた餅になってしまった。「骨折り損だ! かえって借金が増えちまったじゃねえか」その後、何か月ものあいだ、報酬をあてにしてさんざん遊び倒したウィンの繰り言が続いた。おれにも異論はない。女遊びはもうこりごりである。


(おわり)

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