報告6 淫魔①

「女をひとり連れ戻してほしい」


 冒険者が依頼者から直接依頼を受けることは珍しい。どういう伝手があったのか、おれのかび臭い寝ぐらを似つかわしくない上等なマントを羽織った男が訪ねてきたのは、季節が秋から冬に変わろうとする雨の日の午後のことだった。男は名乗らなかったが、そのマントを留めるブローチの紋章が、王国一の大貴族に繋がる家柄を示していることには、うかつにも気づいていないようだった。こういう手合いには注意しないといけない。これまでの冒険経験から得た教訓によると、こいつらは冒険者のことを狩場の猟犬以下としか考えていないからだ。加えて、提示された成功報酬が法外だった。


「引き受けてくれるかね」


 詳しいことを聞く前に依頼者はそう言った。示された金額は、これ以上聞くと、後には引き返せないぞという恫喝だ。腹を括って引き受けると返事したおれの襟足がチリチリと逆立ってたっけ。


「よろしい」


 依頼はカシオンの貧民街スラムから女をひとり連れ戻すという内容だった。女は売春宿にいるらしい。


「汚らわしいことだ」


 依頼者の男は吐き捨てるように言った。数年前に行方がわからなくなった後、風の便りにカシオンにいることが分かった女は、とある大貴族の娘で依頼者の縁者だった。男は女の身の上よりなにより外聞を気にしていた。一族の女がスラムの売春宿で働いているという事実――いや噂ですら、貴族の体面を著しく傷つけるものであるらしい。女は一刻も早く領地へ連れ戻されなければならない。もしそれが難しいようであれば?


「女の生死は問わない。必ずわたしの下へ連れてくるのだ」


 どんな女だ。名前は?


「申し訳ないが名前を教えるわけにはいかん」


 冒険者ごとき信用するわけにはいかないというわけだ。いいだろう。しかし、どんな腕利きの冒険者でも手がかりがなければ人を見つけられない。


「手がかりはある。女の腰には百合ゆりの入れ墨ある。それと宿の名前は《混沌の天使カオスエンジェルス》というらしい――」


 ねぐら出た依頼者が雨の降る街に消えてゆくのを見届けると、さっそくおれはスラムへ潜った。情報を集めるだめだ。売春は王国の法律では死刑に当たる重罪である。男が警察ではなく、冒険者のおれを頼ってきたのはそのためだ。そして、スラムには警察はもちろんギルドの力も及ばない。代わりに四人の魔法使いカルテットがお互いに勢力を争っているからだ。


 集まるのは良くない情報ばかりだった。スラムの売春宿を仕切っているのは、赤い魔女ヤイバ。四人の魔法使いカルテットのなかでもっとも残忍だといわれる女魔法使い。生きてその姿を見た者はいないと言われる、とびっきりの怪物だった。いったん街へ引き返したおれは、魔女に対する用心棒を伴って、ふたたびスラムへ潜った。


「遊ぶ金は経費だろ。分け前とは別にしてくれよな」


 カシオンの闘技場で剣闘士をしているウィン・イカリオスは、自他共に認める女好きだ。しかもその嗜好は女の容姿や種族に左右されない。スラムの売春宿へいくと聞きいてもふたつ返事で依頼を引き受けてくれた。


「いいのか、赤い魔女の宿だぞ」

「いいさ、まだ魔女と寝たことはないんだ」


 豪胆というべきか物好きというべきか、いずれにせよ、今回の依頼にウィン・イカリオスほどうってつけの男はいなかった。ひと口に売春宿というが、大きいものから小さいものまで貧民街スラムで女に客を取らせている宿は50を下らない。


 ここにはさまざまな理由があって体を売る女たちが集まっていた。意外なほど亜人・半妖の女が多い。エルフ、ドワーフ、ホビット。なかには人語を解する魔物も混じっている。オーク、コボルト、ゴブリン、トロール、魔法使いなどだ。宿の女たちは一様に美しく粧われているが、人も魔物も暗い目をして客を取っている。宿の内情について聞こうにも、一帯を牛耳っている《赤い魔女ヤイバ》を恐れて、その口は重かった。


 おれは売春宿を3軒訪ねただけでもう腹一杯、根をあげてしまったが、ウィンは一晩に10軒も宿を回ってきた。更に体力より先に遊ぶ金が底をついたというのだから呆れる。だが、腰に百合ゆりを彫った女も《混沌の天使》も見つけることはできなかった。


 貧民街スラムに潜って5日目、毎日欠かさず遊び回ってきたウィンが《混沌の天使》を突き止めた。それはスラムのもっとも奥、何百年も前に打ち捨てられ、崩れかけた城に、いくつもの売春宿が軒を連ねているところだった。汚水が流れ込み、暗くて腐臭の漂う陰鬱な場所――かつての城の地下牢にその宿はあった。


貧民街ここでも特に遊び慣れた物好きが通う宿らしい」

「おまえにはうってつけというわけだ」

「まあな」

「ほめていない、皮肉だ」


《混沌の天使》には、ふたりで乗り込んだ。それぞれ手分けして女を探そうというわけだ。「人間の女だ。腰に百合ゆりの入れ墨のある女はいるか」宿の遣手女――白髪のホビットだった――に聞いたがそんなものは知らないというので、とにかく人間の女と遊びたいと告げて宿に入った。何人か女を案内されたが、亜人の女であったり、女のような男だったり、本物の女に会えたのは宿にきて3人目だった。この分だとウィンの方も一筋縄ではいかないだろう。


 女の腰に百合ゆりの入れ墨はなかった。


(淫魔②へ続く)

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