報告10 狂戦士②
大戦乱時代は、魔物との戦いで国土が荒廃し、大勢の人が死ぬ悲惨な時代であった反面、魔法が新しい技術として発展し、物資は豊かで刺激の多い時代でもあった。しかし、勇者や冒険者たちの活躍によって魔王が滅ぼされ、戦乱の時代は遠くへ去った。【さいごの戦い】が終わり、魔物が駆逐されて戦いのない時代が訪れると、新しい技術の発展は停滞し、王国はゆるやかに無気力な空気に覆われると共に貧しくなっていった。
いまを惰性の時代と呼ぶ歴史学者もいる。人びとの間から活力が失われて、新奇なものを求めて探索する冒険心が失われた。「冒険者」はいる。各国、各町に冒険者ギルドが整備され、山谷洞穴に住む魔物を退治してもいる。しかし、その実態は衰えゆく国や街に寄生したならず者の集まりだ。かつて世界から魔王を駆逐した冒険者たちとはちがう。
カルマ・ゾウサは【さいごの戦い】の後、国を失った人たちの居留地を巡って何十人もの少年を集めた。家をなくし、家族もなくした少年たちの目は光を失い、一様に腹を空かしていた。彼らに食べ物と生きる目的を与えた。誘い文句は、
――お前たちを勇者にしてやる。
奴隷剣士として闘技場で戦わせることと引き換えに、彼らに住む家と飢えない生活を保障した。そしてなにより、いつか勇者になるという生きていく上での目標を与えた。
あれから20年が経った。つぎの“災厄”が訪れることはなく、世界は勇者を必要としなくなった。戦いのない平和な時代は、社会から人の流動性を奪い、社会的階層の固定化と貧困層の不満を再生産し続けることとなった。人びとの不満のはけ口として、支配者が期待したのが闘技場で行われる剣闘だ。剣闘は各地て盛んに催され、その内容はどんどん過激に、残酷に変わっていった。人はより強い刺激を求めて続けるものだからだ。市民の欲求と支配者の打算が“狂戦士”ウィン・イカリオスを生んだ。
舞台では凄惨な
マンティコアの体はウィンの数倍もある。魔獣の死体で殴られるたびに、マンティコアの肉や血が飛び散り、ウィンの体は数メートルも吹き飛ばされる。闘技場の観客はウィンが殴られるたびにうめき声をあげるほか、声を立てることもできなかった。舞台の上に、肉が肉を叩くにぶい音だけが響き続けた。
「やめさせるんだ、支配人!」
血の気が引いたカシオン市長、ロゼ・ミラージュの顔は真っ青だった。
「その必要はありませんし、こうなってはもう手遅れです。暴れはじめたサイクロプスを止められる人間はいません」
「このままだとウィンが死んでしまうぞ」
「たとえそうなったとしても、これまでに見たこともない剣闘を観客のみなさんに喜んでもらえるなら、闘技場の支配人としていささかの後悔もないでしょう」
「ウィンが哀れだと思わないのか。あなたは……人の皮を被った怪物だな」
そのとおり。しかし、それはお互いさまだ。闘技場で無惨に殺される人だけが哀れなのではない。死んでゆく人をその運命から救い出せないのはどういう形であれ哀れだし、それをただ見送るだけの者は皆ひとしく怪物なのだ。現に、いまこの静まり返った闘技場では、無敗の剣闘士が敗れて舞台の上に無惨な死体を晒すことを期待する不穏な空気が満ちはじめている。剣闘士であれ、魔物であれ生き物の死を目の当たりにするとき人はカタルシスを得ることができる。まさにそれこそが闘技場に期待される機能――行き詰まる空気に喘ぐ人びとの不安や不満を浄化する機能なのだ。
「生きているということは、ただそれだけで罪深い」
「なに」
「ウィン・イカリオスは、こんなところで死んだりはしません。その罪を贖うために戦い続けるでしょう。いつまでも」
20年前、将来に絶望した大人たちがひざを抱えてうずくまる居留地の赤茶けた道端で出会った少年たちの目をカルマ・ゾウサは忘れられない。ありとあらゆる暴力といつ果てるとも知れない殺戮と破壊。触れてはならないものに触れた子どもたちの目には魔物と同じ光が宿っていた。
このままにしてはいけないと思った。いずれ成長する魔物の目を持った子どもたちが、将来、人の世界になじめるとは思えない。それどころか人の世界に災いを為さないとも限らない。だから、狩り集めたのだ。魔物を罠にかけて捕えるように。
奴隷剣士となった居留地の子どもたちは自分たちに秘められた魔物の力を慰めるかのように戦った。20年間、闘技場でお互いに傷つけあい、殺しあって最後まで生き残ったのがウィン・イカリオスだ。
「いつまでも戦い続ける――ここで」
闘技場であれ牢獄であれ、触れてはならないものの力を野に放つわけにはいかないのだ。
観客席から歓声が沸き起こった。市長が息を呑む気配がした。舞台では血に染まったウィン・イカリオスが立ち上がっていた。
「ウィンが立ち上がった。信じられない」
もう動けないはずの獲物が、ふたたび立ち上がってきたことにサイクロプスは苛立っている。遠から雷鳴が響いてくるようなうなり声を上げて手に持ったマンティコアの死骸を振り回した。
《イヤア、ア、アアア……》
サイクロプスの動きがぴたりと止まった。その目の前にウィン・イカリオスがマンティコアの頭部を掲げて立っていた。偽りのことばを吐くたてがみに覆われた人面は、血の涙を流していた。
「耳を塞げ! 魅了されるぞ!」
《コロシテ、コロシテエエエ……》
マンティコアの声をまともに浴びたサイクロプスが動きを止めた。ウィンは、胴体から切り離されてなお叫び続けるマンティコアの頭部を掲げてサイクロプスに襲いかかった。
《オ、オ、オオオ……》
長剣を振るうと、棒立ちになっているサイクロプスの胸にマンティコアの頭部ごと串刺しにする。どっと観客席が沸く。地響きを立てて膝をついたサイクロプスの悲しげな叫び声が闘技場に響き渡り、その後は形勢が逆転、一方的な戦いとなった。動きに力強さがなくなったサイクロプスをウィンが翻弄する。
「なにをしている?」
貴賓席から舞台に向かって大きく手を振るカルマ・ゾウサを不審に思った市長が言う。舞台では、剣闘のなりゆきを見守っていた剣士たちが各々の拳をあげて闘技場支配人の合図に応えた。
「この剣闘を終わらせるのです、市長」
「どういうことだ。まだ、ウィンは戦っているぞ。第一、暴れはじめたサイクロプスを止められないと言ったのは支配人じゃないか」
「それはそうです。だからサイクロプスを止めることはしません」
「なんだって?」
「ウィンを止めます。このままでは観客が巻き添えとなって殺されます」
街中にまで響き渡るよう鐘が打ち鳴らされた。舞台を取り巻く囲み壁の門が開き、手に太い鎖のついた鉤をもった剣士たちが何人も現れた。まだ闘技場にやってきて日の浅い男たちは、恐怖と緊張に体を強張らせている。手に持っているのは、暴れると手がつけられなくなる猛獣を捕らえて地下の檻に戻すときに使われる鎖だ。
カルマ・ゾウサの合図で鉤付きの鎖が投げられた。宙を舞った鎖の綱が既に死体となったサイクロプスを切り刻んでいるウィンに幾重にも絡みつき引きずり倒すと、舞台上を観客席からの怒号が飛び交った。なぜ戦いを止めるのか、どうしてウィンを戦わせないのか、おれたちは金を払ってここにいるんだぞ――と。
しかし、次の瞬間、観客の怒号は悲鳴に変わった。鎖の端を自分の体に繋いでいた若い剣闘士たちが、信じられない力で引っ張られると次々に振り回され、ある者は囲み壁に叩きつけられて動かなくなり、ある者は観客席にまで放り投げられた。ウィン・イカリオスは鎖で縛られて捕まえられるどころか、逆に鎖の端を持った何人もの剣闘士たちを引き摺りながら動きはじめた。
「なんてことだ」
《ア、オオ、イイイ……ィィィ……》
金属を擦り合わせるようなうめき声を漏らし、ウィンが舞台の周囲に巡らされた囲み壁に突進し激突した。人の背丈よりも高い石積みの壁が積み木のように崩れてゆく。カルマ・ゾウサが合図を送る。さらに何本もの鉤鎖が投げられてウィンを
マンティコアとサイクロプス、そして十八名の剣闘士と百七名の観客の
「恐ろしい男だな。ウィン・イカリオスは。そして、あなたも」
熱狂する観客の声にで闘技場全体が揺れるなか、自身も知らぬうちに拍手を送りつつ市長は闘技への賛辞を惜しまなかった。狂戦士・ウィン・イカリオスの悪名と名声が共にいや増す結果となった。残酷な記録がさらに残酷な現実で上書きされてゆく――カルマ・ゾウサは手に持った「冒険者が綴る異世界報告書」の表紙を撫でた。
(狂戦士③へ続く)
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