禁忌との邂逅②

 ガゼルは部屋を飛び出して、ノヴァと共に回廊を急いだ。

 その間にも尋常ならざる轟音は何度も鳴り響き、そのたびに悲鳴の嵐が村中のそこかしこから湧き上がった。


「くそっ、見張り番は何やってんだ! 鐘の音が聞こえなかったぞ!」


 吐き捨てるようにノヴァが言う。

 言われずともガゼルも同じ疑問を抱いていた。


 ここ、〈チャイルド・ギャザリング〉は外周を深い峡谷に囲まれた陸の孤島だ。立ち入るには、隣区の〈ワイルド・エリア〉から通じている連絡橋を渡るほかにない。


 加えて、村の門前には背の高い物見櫓が建てられていて、昼夜を問わず見張り番が常駐している。もし侵入者の姿が発見されればすぐさま鐘が鳴らされて村の全域に危険が報される手筈となっている。


 また、櫓の中だけでなく正門付近の番所にも腕利きの衛兵たちが常時詰めており、部外者は易々と入り込むことはできないはずなのだが……。


 先ほど遠目にした男が侵入者なら、考えられる結論はひとつだ。

 だが、ガゼルはそれを口にしなかった。そんなおっかない予想が的中しているとは思いたくなく、万一ノヴァから共感を呼びでもしたら精神が病みかねないからだ。


 居住区域に入ると、村人たちの逃げ惑う光景が目を覆った。ほとんどが子供で、それも大半が年端もいかないような幼子だ。

 悲鳴の波がぐんと質量を増して押し寄せてくる。堪らず足が竦みそうになった。


「ガゼル! ノヴァ!」


 その声に反応して振り返ると、駆け寄ってくる二人の少女の姿があった。今が切迫した事態であることを物語るように、両者とも鬼気迫った表情を浮かべている。


 その内のひとり、フーリエがガゼルたちと合流するなり声を荒げた。


「こんな時にどこほっつき歩いてたのよっ」


「ご、ごめん」


 怒号を浴びせられ、反射的にガゼルは平身低頭して詫びる。

 一方のノヴァは臆面する素振りもなく彼女の詰問を無視して尋ね返した。


「一体何があったんだ?」


「侵入者よ。何が目的なのか知らないけど、とにかく目につくものを手当たり次第、破壊してる」


「ロイとクーカイはどうした」


 ノヴァが口にしたのは、この村の衛兵を務めている男たちの名だ。どちらも強靭な肉体と確かな実戦経験を併せ持つ、手練の武闘家として知られている。


 フーリエは口惜しそうに下唇を噛んで、首を振った。


「やられたわ。ロイは瀕死の重傷で、救護隊が治療に当たってる。クーカイは……救護隊長バルバロスさんが言うには怪我が酷くて、まず助からないだろうって」


 ガゼルとノヴァは揃って言葉を失った。

 俄には信じ難かった。この村屈指の実力者として高名な戦士のうち、ひとりは死に絶え、ひとりは重傷の深手を追ったという。この村で暮らしてそこそこ長い年月が経つが、これまで外敵から襲撃を受けること自体は何度かあっても、村内への侵入を許したことは愚か、衛兵が束になっても敵わない相手が現れたことなど、まるで憶えがなかった。


「今は衛兵だけじゃなく狩猟部隊も総出で駆けつけて、居住区域ここまで入ってこないように足止めしてるところだけど……たぶん、長くは持たないと思う」


「くそっ。先生が出かけてるこんな時に、なんて間の悪い」


 ノヴァが拳を叩いて吐き捨てると、それまでフーリエのそばでずっと口を閉ざしていた少女、マステラがぼそりと呟いた。


「先生がいないからこそ襲われたんでしょ」


 いつも口調に覇気のないのが特徴の彼女のそれが、常にもまして諦観に染まっているように聞こえた。


「なんでそんなこと、外の人間が知ってるんだ」


「さあね。内通者でもいるんじゃない。それか、先生に見捨てられちゃったのかも」


 マステラの捨て鉢な言い草に、ノヴァが忽ち顔を赤くさせた。


「先生が、んなことするかコラァ!」


 暴れ出すノヴァを、ガゼルが、落ち着いて、となだめにかかる。

 そのやりとりを間近にしていたフーリエは詰るように嘆息した。


「仲間割れしてる場合? それより今は戦える人たちでどうにかしないと」


 ノヴァは舌打ちするが、異論はないとばかりに先陣を切って駆け出した。

 その後をフーリエ、マステラが続く。

 遅れをとる形で、ガゼルも慌てて三人の背中を追った。



 そして渦中の訓練場に到着して早々、一向の目に悪夢のような光景が飛び込んできた。


 だだっぴろい訓練場の中央付近に立ち尽くすは、体長にして4、5メートル近くはあろう、半裸の大男。悍ましいほどに隆起した筋肉を衣代わりに身にまとい、片手には鮮血に染まった巨大な鉄斧が握られている。そして極めつきは左胸に刻まれた十字の傷。


 腕っ節に自信のある衛兵が相手でも、どおりで敵わないはずだ。

 なにせそこにいたのは、この監獄島において片手で数えるほどしかいない特級罪人のうちのひとり――『大斧』のグラシエルなのだから。


 辺りを血の臭いが充満している。衛兵や狩猟部隊、それらを志す見習いたちの亡骸が死屍累々、怪物を取り囲むように散らばっている。

 惨々たる有様に、ガゼルは足の震えを抑えることができなかった。


 ――おいおい、今からあんな化け物を相手にしなくちゃならないのか? 勝ち目なんてあるわけないじゃないか……。


『大斧』の血走った目がガゼルたち一向を捉えた。その口元が獲物を見つけた肉食獣のようににやりと歪む。


「俺が前線に出る。ガゼルとフーリエは援護を頼む。死神は、まだ生きてるやつを見つけて手当してやってくれ」


 だれが死神ですか、というマステラの抗議を聞くともなしに、ノヴァは『大斧』に向かって駆け出した。


 ガゼルも懐から杖を取り出して、構える。そしてすぐさま、


「エルクシア」


 と呪文を唱えた。

 杖の先から忽ち氷の矢が生成されて、目にも留まらぬ速さで『大斧』のもとに飛来する。それはノヴァの背中をも追い越して『大斧』の胸部に命中した。


 常人の身体ならその一撃で串刺しになっているところだ。しかし、肥大化した筋肉が鋼鉄のごとき硬度をまとっているのか、貫通させるまでの威力には及ばず、上皮に多少のかすり傷を与えただけだった。

 だが、インパクトの瞬間に巻き上がった白煙が『大斧』をたじろがせ、一瞬の隙を生んだ。


 ノヴァが吠えながら『大斧』に接近して拳を突き出す。

 その一手も難なく命中し、『大斧』はくぐもった声を発しながら後方によろめいた。


 よし、利いてるぞ、とガゼルは臆病風を蹴散らしながら、さらに攻撃を仕掛けた。


「ラダーサモン」


 呪文を唱えると、杖の先が示す中空に数多の火の玉が出現した。ガゼルが杖を振るうなり、それらは『大斧』に向かって一斉に襲いかかる。


 しかし学習したのか、此度の『大斧』は無防備ではなかった。獣じみた雄叫びを発しながら、巨拳を正面に突き出して、飛来する火の玉を掻き消す。


 現実離れした怪物の荒業に、ガゼルは恐慌した。


 ――火が効かないのか? いや、そもそも氷の矢エルクシアを受けて、どうして平然と立っていられる? 生身の人間がその身に浴びて無事でいられるはずはないのに……。


 ノヴァがまたしても『大斧』に接近戦を仕掛ける。素手では埒が明かないと判断したらしい、懐から隠し刀を取り出して斬撃に出る。


 だが、刃が入る直前、『大斧』の強烈な蹴りがノヴァの脇腹をえぐり、その接近を返り討ちにした。

 決して小さくない彼の体が30メートル近く横に吹っ飛んで滑走する。


「ノヴァ!」


 ガゼルは叫ぶ。

 が、光景の衝撃さを裏切って、意外にすくりと立ち上がってみせたので安心した。さすが、常日頃から身体の頑丈さだけが取り柄だと自ら吹聴しているだけのことはある。


 ノヴァが間を置かず、また『大斧』に向かって突っ走る。

 怖じ気づくということを知らないのかあいつは、とガゼルは親友に頼もしさと呆れの入り混じった感情を寄せながら、また氷の矢エルクシアで援護射撃を試みた。


 が、『大斧』はそれをハエを払うかのような所作で容易に防いでみせた。

 衝撃で白煙が巻き上がるが、さっきとは打って変わっておもてに狼狽の滲む気配はない。むしろ口元には笑みさえ浮かんでおり、まるで戦闘そのものを愉んでいるかのように見えた。


 ガゼルの内心が絶望に染まる。

 まだ戦いがはじまってごく僅かな時間しか経っていないが、力の差が歴然であることはすでに明白だった。


 ガゼルが得意とする攻撃魔法は氷の矢を飛ばす『エルクシア』と火球を放つ『ラダーサモン』のふたつのみ。そのどちらも通用しないとなれば、もはや打つ手はない。


 ノヴァが『大斧』に迫り、腿の辺りに刀傷を入れようとする。

 が、すんでのところで『大斧』に腕を掴まれてしまい、そのままひょいと投げ飛ばされる。


 ノヴァの身体が宙を舞い、為す術もなく地面に叩きつけられる。

 肉体と精神のタフさが売りだと自負している彼だが、今度ばかりは打ちどころが悪かったのか、すぐさま立ち上がることができない様子だ。


 その隙に『大斧』が手にしていた得物を構えた。岩石の塊のように巨大な鉄斧だ。

 それを地面に横たわるノヴァに向かって振り下ろす。直撃すれば胴体は真っ二つだ。いくら頑丈な彼とてひとたまりもない。


 ガゼルは青い顔で、おしまいだ、と呟いた。

 今から自分たちはこの怪物に為す術もなく蹂躙される。生き延びることは不可能に等しい。

 そう自分の命運を受け入れた、次の瞬間、


「リエルバ」


 隣から囁くような声が聞こえた。

 するとノヴァに斧が振り下ろされる寸前、彼と『大斧』の間に光輝く結界が出現した。それに斧が直撃し、キン、と甲高い音が鳴り響く。結界は衝撃を跳ね返し、『大斧』にたたらを踏ませた。


 ノヴァはすぐに態勢を立て直してその場を逃れた。


「ナイスだ! フーリエ!」


 遠くからノヴァが称えるように声を張るが、それには反応を示さず、フーリエは真っ青な顔をしているガゼルを睨みつけて「諦めちゃだめ!」と檄を飛ばした。


「今この村では私たちが最後のとりでよ。敗北は私たちの死だけじゃない。この村そのものの終わりを意味してるの。仲間たち全員の命を背負って戦ってるんだから、弱音吐いてる場合じゃないでしょ」


 その言葉にガゼルは正気を取り戻した。

 彼女の言うとおりだ。今は恐怖に臆している場合ではない。どうにかして打開策を練らなくては……。


 思考している間にも、ノヴァは何度も『大斧』への接近を繰り返していた。

 懲りることなく小刀で斬りかかろうとするが、『大斧』の鬼神のごとき怪力とその巨体に似つかわしくない俊敏なステップに翻弄されて、ひと太刀だって入れることは叶わない。


 ノヴァに対して繰り出される致命的な攻撃は、フーリエの結界魔法がことごとく防いだ。

 彼女は結界魔法のエキスパートだ。その結界の堅牢さは師であるプルートにも肉薄するほどで、歴戦の衛兵が相手であっても彼女に傷を入れるのは至難の業だと噂されている。


 だが、何事にも限界はある。ノヴァの体力も、フーリエの魔力も、いつかは底をつく。回復魔法に精通したマステラが後衛に控えているから多少長くは保つだろうが、所詮はただの延命処置に過ぎず、事態が好転する時は永久に訪れない。


 やはり攻めの一手が鍵を握っている。

 ガゼルは手汗を握り締めた拳で自身の胸を叩いた。接近戦が通用しない今、その鍵を握っているのが自分自身であることはとうに自覚していた。

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