第1章 禁忌との邂逅

禁忌との邂逅①

 静寂に包まれた吹きさらしの回廊に、どぶ鼠のようなボロ衣を纏ったふたりの少年の姿があった。

 注意深く辺りを警戒しながら支柱の影を渡り歩くその足取りは、まさに慎重そのものだ。


 先頭を行くのは背丈が高くて自信ありげな顔つきをした少年、ノヴァ。

 その後を、目元が前髪に隠れているせいで少し気弱そうにみえる少年、ガゼルが追う。


 両者同じ歩幅を保ちつつも、先陣を切るノヴァの方がやや前のめりになってぐいぐい歩を進めている印象だ。

 対するガゼルはというと、そんな彼の勇み足をセーブするように時折立ち止まったりして、どこか足取りの重たい様相を呈している。


 ふたりのゆくてに用途不詳の物置小屋が見えてきた。古びた木材と鉄くずでできた粗末な造りだが、目くらましにはちょうどよいとばかりに中に身を潜める。


 並んで壁に寄りかかり、ボロ衣の袖で額に溜まった汗を拭う。


「ねえ、ノヴァ。ほんとにやるの?」


 ガゼルが今にも泣きそうな声でノヴァに尋ねた。

 ノヴァはそんなガゼルを睨み付け「はあ?」と苛立った声を発する。


「今更なに言ってんだ。ここまで来たからにはやるしかないだろ」


「で、でも、もし侵入がばれたら大目玉だよ。何日かは食事も抜きだろうし、夜はテントに入れてもらえないかもしれない。最悪は〈ワイルド・エリア〉送りなんて罰が下るかもしれないじゃないか。そうなったら……ああ、もう、お終いだ」


 頭を抱えだすガゼルを尻目に、ノヴァはふんと鼻を鳴らした。


「悲観的すぎるんだよ、お前は。そんなんじゃ、愛しのフーリエにも嫌われっぞ」


 反射的にガゼルは顔を上げた。頬を紅潮させて、「フ、フ……」と上擦った声を発する。


「フーリエは関係ないだろ!」


「ちょっ、おまっ、声がでかいって」


 ガゼルははっとして口元を手で塞いだ。


 つかの間の静寂。

 幸いここに隠れていることは誰にも気づかれなかったようだ。


 ノヴァは安堵の息をついた後、白眼視して口を尖らせた。


「そもそも、これはお前が言い出したことだろうが。先生の部屋にいわく付きのお宝が隠されていて、それをひと目でいいから見てみたいって。だから先生が遠征で不在にしている今日を狙って、一緒に危険を冒してやってるんじゃないか」


「言ったよ。確かに言ったけどさ……まさか本当に実行するとは思わなかったんだ。それも今朝になって急に思い立ったように言い出すものだから、引き留める暇もなかったよ」


「心配性のお前のことだ、前もって計画をばらしちまうと、どんな手を使ってでも阻止してくるだろうからな。ま、なるようになれ、だ。最悪ばれたって、部屋に入ったくらいのことで大した罰は食らわねえよ」


 よっこらせ、とノヴァは立ち上がる。

 臀部でんぶに着いた砂埃を手で払って、行くぞ、とガゼルを促す。


 ガゼルは観念して腰を持ち上げた。

 仕方ない。元より自分の撒いた種だ。

 親友のように楽観的にはなれないが、しかし先生の部屋に隠されていると噂の秘宝を目にしたいという欲求は今も健在だ。ルールを破ることに少なからず抵抗はありつつも、目的の場所に近づくにつれて好奇心が膨らんでいるのもまた事実だった。


 小屋を出て、回廊の続きをまた足音を殺しながら進む。

 案ずるより産むが易し、その後も結局、誰とも遭遇することなく目的の部屋の前に到着した。


 扉には鍵が掛かっているが、それも織り込み済みだ。

 ガゼルは習得から久しい土魔法で合鍵を急拵えする。出来具合にいまひとつ自信が持てなかったが、差し込めばあっさりロックは解除された。


 部屋の中は埃っぽい匂いが充満していた。

 出入り口からみて左右の壁一面に階層式の棚が収まっている。それぞれの段に何十冊もの書物が隙間なく並んでいて、どれもぶ厚く、みるからに難解そうだ。


 圧巻の光景を前に、ガゼルとノヴァは揃って感嘆の声を漏らしていた。


 ――絶海の孤島に身を置いていながら、どうやってここまで大量の書物を集めたんだろう?


 ガゼルが抱いたそんな疑問は、棚から適当な一冊を抜き取り中を覗きみたところでたちどころに氷解した。


 細かい字の連なった文章や各所に散りばめられた絵図の筆致は、普段の授業なんかでよく目にする先生のものに相違なかった。他の数冊も手に取って確認するが、いずれも同様の形の文字が並んでいる。するとどうやらこれらは先生自身の手によって書き起こされたものらしい。


 ガゼルはふと隣にいる相棒の様子を覗きみた。


 この部屋を訪れた直後こそ累々たる書物が漂わせるものものしい雰囲気に圧倒されていた様子のノヴァだったが、いつの間にか自我を取り戻したらしく、先ほどのガゼルと同じように適当な本を手にしてパラパラとページをめくっていた。


 数十秒ほどかけて中身の検分が終われば、また次の一冊を手に取って同じことを繰り返す。まるで流れ作業のように淡々とした手さばきだ。畏れ多き叡智の塊に触れているというのに、おもてには微塵も感動の息吹がよぎる気配はない。


「君。一体何をしてるんだ」


 ガゼルがそう問いかけると、ノヴァは本の中を物色しながら言った。


「いや、なんかいかがわしいもんでも隠してねえかなと」


 煩悩まみれの答えにガゼルは呆れつつ得心した。

 どうしてそんなに張り切っているのかと不思議に思っていたが、なるほど、そんなことが目的だったのか。


 方向性の違いが明るみになりつつも、引き続き手分けして部屋の中の探索を進める。


 目立ったものはやはり本ばかりだ。他には書き物のための文机と筆ペン、あとは煤汚れたメモ書きが少々。書棚の奥にはまっさらな藁半紙が所狭しと詰まっている。これらものちに本になるのだろうと思うと、汚い手で触るのも憚られる。


 程なくして調査に飽きたらしい、ノヴァは藁の敷かれた床に胡座をかいて、小指で耳掃除をはじめた。


「つまらんものしか出てこねえな。せっかく危険を承知でここまでやってきたっていうのに、白けるぜ」


 耳垢をポロポロとこぼしながら、無聊そうにぼやく。

 ガゼルは何か言いかけて口をつぐんだ。無闇に痕跡を残してほしくなかったが、貴重な書物を乱雑な手付きで暴かれるよりはましだと思い、下手に追及しないことにしたのだ。


「宝探しは僕がやっとくから。暇なら君は見張りでもやっててくれないか」


 雑用を押しつけるが、ノヴァも異論はないらしく「了解」と答えて部屋を出た。


 ガゼルは手にしていた一冊を書棚の元の位置に戻してから、ふむと思索を再開した。

 噂にきくお宝とやらがどのような姿形をしているのかは定かでない。しかしこれだけ秘蔵の書が並んでいるのをみるに、その正体も本である可能性は高いように思える。


 その推察が正しければ、宝探しは難航を極めるだろう。なぜならガゼルにとってこの部屋に収蔵されている叡智の生き写しともいえる書物の数々は漏れなく貴重であるし、先生にとって何が大切なのかは本人に訊いてみない限りわかるはずもないことだからだ。


 そもそも、ここにある本すべてが先生の手で編み出されたものだというのなら、時間はかかるがまた書き起こすことだって可能だろう。ならば宝と呼ぶのは相応しくない気もする。


 ガゼルは再び書棚から適当な本を引き抜いて、中をめくった。だが、一冊一冊をじっくり紐解いて中を検分するようなマネはしない。先ほどノヴァがやってみせたようにパラパラと流し見するだけだ。一冊確認するのに30秒とかからない。

 もちろんノヴァみたく猥褻な内容が紛れていないかをチェックすることが目的ではない。確認しているのは筆跡だ。


 ガゼルの読みはこうだ――

 宝というのは再現不可能なもの。つまり先生が編んだ本ではない一冊ではないか。だから先生の筆跡で書かれていない本を探し当てようというのが狙いだった。


 しかし、部屋中の本を粗方確認し終えたところで、どっと徒労感に見舞われた。目的のそれらしき本は一冊として見当たらなかったからだ。


 どうやら読みは外れたらしい。

 一旦地べたに腰を下ろして、また思考に時間を割く。


 噂はガセだったのだろうか。それとも隠し場所はこの部屋ではないのか……。

 考え込んでいるうちに、ふと違和感が首をもたげてきた。


 ――さっきからやけに周りが静かすぎないか?


 ガゼルは天井板を見上げて眉根を寄せた。


 この部屋は学舎の中でも比較的閑静なエリアに位置しているが、居住区域から距離的にそう遠く離れていない。

 村人の話し声が届かないのは狩りやら畑仕事やらでたまたま出払っていると考えれば筋は通るが、昼夜を問わず飛び交っている赤子の泣き声すら聞こえてこないのは妙だ。


 ひょっとすると部屋に結界が張られているのかもしれない。

 そう思い至り、ガゼルは瞑目して魔力の気配を探った。

 すると思った通りだ、周囲に微弱な魔力の膜が張り巡らされているのが感知できた。


 恐らくは静謐な環境の中に身を置いて研究や執筆活動に没頭したいがために外の音を遮断する結界を張っているのだろう。

 試しに、ノヴァ、と部屋の外にいる相棒を呼びかけてみたが、反応はなかった。


 それを知った途端に、ガゼルは気がそぞろになった。

 この結界が単に音を遮断することだけが目的で張られたものだというのなら構わないが、侵入者の有無を関知する役割も兼務しているのだとしたら……今回の計画は破綻しているじゃないか!


 後のことを思うと頭を抱えたくもなってくるが、ガゼルは一旦その心配を脇に置いた。

 というのも先の魔力感知の途中に、ひとつ気になることがあったからだ。

 それは自分の真下。そこに途方もない質量の魔力が渦巻いている気配を感じたのだ。


 ――もしや、例のお宝はこの下に眠っているのか?


 ガゼルは腰を上げて、藁に覆われた地面を見つめた。

 地面を掘るなら人手がいると思い、ノヴァの名を呼びかけるが反応はない。ああ、結界のせいかと思い出し、さりとてわざわざ呼び寄せるのも面倒なので、ここは自分ひとりで掘り起こしてみることにした。


 藁を剥がすと湿気を孕んだ泥土が現れる。

 ガゼルはそこを素手で掘り始めた。

 土は想像以上に柔らかく、やはり何かが埋め込まれたような形跡が見て取れた。


 しばらく掘り進めたところで、指先に何か硬いものが触れた。

 さらに掘り進めると、間もなく麻の布に覆われた四角い物体が現れた。

 サイズは書棚に収まっている書物と同程度かやや大きいくらい。

 取り出して布をどかすと、案の定、一冊の本が現れた。これまたぶ厚く、抱え持てばずっしりとした重量が感じられた。


 漆黒の装丁に連なった赤い文字を認めて、ガゼルは眉根を寄せた。


「きん、じゅつ……なんだこれ?」


 表紙には『禁術目録』とだけ書かれている。この本のタイトルらしいが、それを見ただけで内容は皆目見当もつかなかった。


 中を開いてみて、ますます当惑する。見たことのない文字の羅列がぎゅうぎゅうに詰まっていたからだ。ざっとすべてのページを流し見するが、挿絵や図のようなものもない。


 これは一体どういう内容の本なのか?

 タイトルにある『禁術』とは何のことだ?


 深まる謎に頭の芯がヒートアップしていくのを感じながら、見開きの黒書と対峙を続けた。

 一行すら読めないのに、なぜだか目が離れがたい。読めないはずの一行が強烈な引力を放って何かを訴えかけているようにガゼルは感じた。


 そして、どれほど時が過ぎただろう……。


 長い間思考世界を彷徨っていたガゼルだったが、悠久にも思えたその時間は、不意に部屋の扉が開いたことで中断を余儀なくされた。


「おい、ガゼル! なんか外の様子がおかしいぞっ」


 焦燥感に染まったノヴァの声で我に返り、ガゼルは本から顔を上げた。

 その時、どこからか轟音がして、地響きがみしみしと荒屋を軋ませた。


 ガゼルは立ち上がって、出入り口の真反対にある小窓から外の様子をうかがった。

 そして、そこから見える景色に愕然と目を見開いた。

 学舎の訓練場に、巨人と見紛うほどの男の影が揺らめいていた。

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