驕傲が生んだ獣②
件の『大斧』強襲から半月と経たぬうちに、その時はやってきた。
昼時を越えて薄暮に差し掛かるより少し前、カーン、カーン、カーン、と甲高い鐘の音が〈チャイルド・ギャザリング〉一帯に響き渡った。村人たちに敵襲があったことを伝える警報だ。
緊迫した空気が稲妻のごとく村中を駆け巡る。鐘の音に混じってそこかしこから幼子たちの悲鳴や泣き声が連鎖的に湧き上がる。それがいっそう人々の恐怖を駆り立てては、さらなる阿鼻叫喚を呼ぶ。まさに負のスパイラル状態だ。
村人たちは警報を合図に持ち場に着いて各々の役割をまっとうする手筈となっている。
衛兵は門前に駆けつけて臨戦体制を整える。
見回り隊はその後衛でバリケードを張って、衛兵らの網をすり抜けてきた侵入者や遠隔攻撃を迎え撃つ準備をする。
兵役に就いていない者たちは居住区域の外れにつくられたシェルター――というと聞こえはいいが、実態は目くらまし程度に藁で蓋をしただけの塹壕だ――へと迅速に避難する。
ただし、足腰の健全な成人組に加えて、まだ成人年齢に達していないが、大人と遜色ない分別を有するガゼルら青少年組は、他の分別なき子供たちや身体的に難のある大人らの避難誘導を行うのが習わしとなっている。
村中パニック状態に陥りつつも、マニュアル化された動線のもと定期的に避難訓練を実施していることが功を奏してか、シェルターへと続く行列は一時も乱れることなく、村人たちの避難は粛々と滞りなく進められていった。
路傍で避難誘導の任をこなしながら、ガゼルは次第に違和感を募らせていた。
警報が止まってしばらく経つが、不思議なことに正門方面が異様なほどの静けさに包まれている。ふつうなら、衛兵らの雄叫びや断末魔、武器やら鎧やらの激しく衝突する金属音などがひっきりなしに聞こえてくるところだ。それがないのはなぜか?
衛兵の戦闘力は全幅の信頼を置けるものであるし、此度は『大斧』の時と違って、プルートもいる。すでに撃退に成功しているという可能性もなくはないが……。
一応は楽観的な見通しを立てつつも、倒錯した状況に胸騒ぎがおさまらない。
村人全員がシェルターに移動したのを見届けてから、ガゼルは同じく誘導係を務めていた青少年組――ノヴァ、フーリエの二名と合流した。
「おいおいどうなってんだ? 敵襲にしては、ちと無風すぎやしねえか?」
「不気味ね。もう追い返したってだけの話なら安心なんだけど」
ノヴァ、フーリエが立て続けに胸中の違和を表明する。この調子だと恐らく彼ら以外の村人たちの中にも同じ疑問を持て余している者は多いだろう。
「嫌な予感がする」
ガゼルはそう呟いてから、友人たちの怪訝そうな面持ちに目を向けた。
「ふたりに提案なんだけど。ちょっとだけ正門付近の様子を見に行ってみないかい?」
彼からの突発的な申し出に、ノヴァとフーリエは揃って目を丸くさせた。
「珍しいな。ガゼルの方からそんな勇敢なこと言ってくるなんて」
ノヴァの発言に同意を示すかのように、フーリエが隣でこくこく頷いている。
ノヴァだけにならともかく、愛しのフーリエにまで臆病者認定されていることに少なからずショックを受けつつも、今はめげている場合ではないと自分に言い聞かせて、憮然とわけを告げる。
「衛兵たちに万一のことがあったら、次に矢面に立たなくちゃいけないのは僕たちだ。どうせ行動を起こすなら、その判断は早いに越したことないだろ」
またしても虚をつかれたような顔をする友人たちを前にしながら、ガゼルは自分でも今し方の発言を意外に思っていた。
今までの自分なら、誰かに促されでもしないかぎり、あえて戦場に近づくような選択肢は取らなかっただろう。
小心者らしからぬ言動だ。それもやはり『禁術』という強大な力を手にしたことが作用しているのだろうか。
一時的に『大斧』の侵攻を食い止めることができたこと。絶望に沈むフーリエの笑顔を引き出せたこと。禁術を駆使することで得られた成功体験の連続が自信と積極性を培わせ、少しばかり性格を大胆なものに変えているのかもしれない。
ガゼルは我が身に生じた心境の変化をそのように分析した。
無自覚的な変化にぼんやりとした戸惑いを覚えつつも、このまま後ろ向きな性格から脱却できるならそれは大いに歓迎すべき変化だ。臆病な殻を突き破ろうとしている兆しに少しばかり心がうわつきそうになるが、それをメルトに意地悪く指摘されるとたまらなく恥ずかしくなり、転じて行き場のない苛立ちが生理現象のごとく湧き立ってくるのだった。
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