第3章 驕傲が生んだ獣

驕傲が生んだ獣①

 フーリエと肩を並べて幻の星空を見上げた翌日の昼下がり。


 ガゼルは竹箒を手に学舎の中庭の掃き掃除を行っていた。

 四方八方に散らばった落ち葉を一箇所にかき集めて、ある程度かさができたら、火炎魔法で焼却する。その後、火の中から現れた灰をすくい集めては桶の中に移し入れていく。桶が満杯になれば、物置に行って、また別の桶と取り替える。その繰り返しだ。


 掃除をはじめて半刻ほど時が経つが、中庭をざっと見渡すかぎり進捗状況はおよそ4分の1といった具合か。

 ガゼルは額の汗を拭って、辟易としたため息を口外に放った。

 同時に、腹の虫が大きく鳴り響いて、空腹を主張する。


 午前中、プルートの座学を受けている間も、ずっとぐうぐう鳴りっぱなしだったのだ。

 今朝目覚めてから今に至るまで、何も口にしていないのだから、さもあらん。


 本日の授業は無詠唱魔法に関する単元だった。なんでも同じ魔法を繰り返し発動させることで、脳の中枢領域に術式が定着し、魔力の消費量や射出範囲などの最適化が頭の中で自動的に行われるようになるのだという。するとそれまでその役割を担っていた『呪文』が無用の長物となり、その詠唱を省略して魔法を発動させることが可能になるのだとか。


 魔術師の端くれとして興味をそそられる内容だったが、寝不足と空腹感が祟って全く集中できなかった。もっと理屈や手順なんかを事細かに説明された気もするが、それらはすでに忘却の彼方だ。


 黙々と掃除に勤しむガゼルの姿を、時折通りすがりの同窓の仲間たちが遠巻きに見物していく。しかし、誰ひとりとして手を貸す意思はないらしく、気づけばみな例外なくどこかに立ち去っていた。


 学舎の掃除は週に一度の安息日に、当番の生徒たちが持ち回りで協力して行う決まりになっている。故に安息日でもないのに単身で掃除を務めているガゼルを見て「あいつ何かやらかしたんだな……」と察知して、気の毒に思いつつも巻き添えを食らいたくない一心で不用意に近寄らないようにしているのだろう。


 全体の半分ほど掃除を終えたところで、手近な岩盤に腰を下ろした。

 さっきからしつこいほどに腹の虫が大合唱を繰り広げている。もう少しで夕食時だが、たぶんそれもお預けだろう。辛すぎて、ため息も出なかった。


(まったく。貴方って人はホント向こう見ずのおバカさんなんだから。女の子にいいカッコしたいからって、普通、禁術なんて使う?)


 幻聴が腐してくるが、相手にしない。

 反論の言葉がないわけではなかったが、周りの人目が気になった。

 この妖精はガゼル本人にしか見えていない。ならば今反論のために声を荒げると、周りからは独りで喚いているように見えるはずだ。そんな姿を目撃されてしまえば、本当に気が狂ったのかと思われかねない。


(しかし、あのヤサ眼鏡も、見かけによらずえぐいこと言うのね。禁術がタブーなのは百も承知だけどさ、誰にも迷惑なんてかけてないんだから。こんなに虐めなくたっていいのにね)


 ヤサ眼鏡というのは先生のことを言っているのか? 怖い物しらずな妖精だな、とガゼルは他人事のように思うが、いやそういえばこいつは自分の深層心理を代弁しているに過ぎないんだったなと思い出し、背筋が凍る。自分も何かの拍子に言ってしまいかねないということだ。ゆめゆめ気をつけなくては。


 休憩を終えようとしたところで、ガゼル、と背後から名前を呼ばれた。声音だけで、その主がノヴァだということは振り返らずともわかる。


「聞いたぞ。また禁術を使ったんだってな。それで、先生の逆鱗に触れちまったってわけか」


 冷やかすような口調だった。

 ガゼルは小さく吐息して、顔だけ振り返った。案の定、そこにはニヤニヤと頬を緩ませた親友の顔があった。


「上手く隠し通す算段だったんだけどね。速攻でバレて大目玉を食らったよ」


 昨夜フーリエを居住区域のテントに送り届けた後、どこからともなくやってきたプルートに捕まった。話があります、と告げるプルートの口調は普段通りの穏やかなものだったが、その顔に張り付いた意味深な薄笑みを見て総毛立った。


 ガゼルはプルートの私室に連れていかれ、そこで2度目の禁術を使った理由と経由を、厳しく問い詰められた。

 ガゼルは正直に答えざるをえなかった。

 そして恩赦を加えられる余地もなく、言い付けを破った罰として、翌日の食事抜きと学舎の中庭の清掃を命じられたのだった。


「昨晩は愛しのフーリエとよろしくやってたんだろ。まあ大きな力を得たら女に見せびらかしたくなるのは男のさがだな」


 メルトと同じことを言ってくれる。

 しかし、ノヴァは幻でないから、今度は堂々と反論できる。


「別に自慢したかったわけじゃない。昨日のフーリエは仲間の死を悼むあまりひどく精神的に参っている様子だった。そんな彼女の心の傷を癒やすのに、禁術の使用はやむをえなかったんだ」


「まあまあ、そうムキになるなって。別にからかいに来たわけじゃない。訊きたいのは、例の副作用についてだ。2回も使っちまって、身体は大丈夫なのか?」


 一転して心配顔になった友人に、ガゼルは拍子抜けしつつ微笑みかけて頷く。


「大丈夫。最悪、また鬱陶しい幻覚がつきまとうことも覚悟のうえだったけどね。今のところ特に別状はないよ」


 ガゼルの回答に、ノヴァはほっと安堵するような顔を見せた。


「それを聞いて安心したぜ。なんかやつれてるようにも見えるが、食事抜きの身で肉体労働までこなしてるんじゃあ、それも当然か」


「意外と心配性なんだな。君はもう少しガサツな奴だと思っていたよ」


「俺は魔法のひとつもろくに使えない能無しだけどよ、家族のことを思う気持ちは誰にも負けていないつもりだぜ」


「君のそういうところ、嫌いじゃないよ。ところで、その家族のひとりが今こうして窮地に立たされてるわけだけど。救いの手を差し伸べる気にはならないかい?」


「悪いけど、そいつは聞き入れられんな。俺も先生と思いは同じだ。お前にはもう、禁術なんてものに手を出してほしくない。ここで俺が手を貸しちまったら、ちゃんとした罰にならないだろ」


「薄情者」


「一日だけの辛抱だ。しっかり反省するんだな」


 ガゼルの肩を叩いて、ノヴァはこの場を後にする。

 そんな友人の後ろ姿を見送ってから、ガゼルは青空を見上げて、すんと鼻を鳴らした。


 禁術を使ったこと自体は今でも後悔していない。

 それでフーリエの心の闇が少しでも紛れてくれたのなら、こうして身を削ることも本望だ。


 もちろん禁術を使わなくて済むなら、それに越したことはない。

 願わくば、恩師や友人の思いに背かないでいられるよう、どうか一日でも長く平和な日々が続きますように。

 ガゼルはそう内心で祈る。


 しかし、そんな切なる思いも虚しく、新たな不穏の足音はすぐ近くに差し迫っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る