幻夜の誓い③
日没前に仲間たちの葬儀が行われた。
村の中心部にある巨大な慰霊樹の前に藁が敷かれ、その上に同胞らの亡骸が並べられる。延べ40名の犠牲者のうち、ほとんどがガゼルの年齢に程近い若者だ。四肢の揃っていない者、顔の原型を留めていない者もちらほら見受けられる。
同胞たちの亡骸を村のみんなで取り囲み、そしてめいめい別れの言葉を口にする。そこかしこからすすり泣きの声が木霊のように連鎖していく。
〈チャイルド・ギャザリング〉は此度の犠牲者を含めても総人口にして三桁に達しないほどの零細コミュニティだ。外部との繋がりはゼロに等しく、人口の過半数を成人未満の子供が占めていることから、相互扶助を前提として成り立つ共同体である故、必然的に村人同士、血の繋がりはなくとも家族同然の付き合いとなる。
ガゼルの目から見て、葬儀の場に居合わせて悲しみに暮れていない者は当然だが皆無だった。
日が完全に落ち切る前に火が焚かれた。同胞の肉体が焼け落ちて骨灰になっていく様を村人全員で見届ける。古くから続いている村の風習だ。肉体が土に還っていく過程を見届けることで、死者の霊魂が迷いなく冥府の世界へ旅立てるのだという。
ガゼルくらいの年になると、慣れもあってさすがに黙ってみていられるが、非常に生々しく残酷なシーンでもあるため、まだ年端もいかない幼子の中には強烈すぎるショックのあまり戻したり失神したりする者もいる。
荼毘に付された後の遺骨は村の男たちの手で土の中に埋葬されていく。最後は慰霊樹に向かって全員で頭を下げる。そして日没を迎えてようやく、各々の日常に帰っていくのである。
いつまでも悲しみを引きずっていては生活もままならない。葬儀は死者のためでなく遺された生者の心の切り替えのために行われるのだとガゼルは最近になって理解が及ぶようになった。
「なあ相棒。ちょっといいか」
村人たちが三々五々散りゆく中、不意に声がかかった。振り向くと、そこに憂慮の眼差しを浮かべたノヴァが立っていた。
「身体は大丈夫なのか? 葬儀の間も、なんとなく心ここにあらずって感じに見えたけど」
どちらかというと鈍感な部類に属すると思っていた親友が、目敏く自分の異変に気づいていることにガゼルは驚く。同時に、落胆もした。普段通りに振る舞っていたつもりだったが……やはり近くにいる者の目は誤魔化せない。
ガゼルは目を伏せて、大丈夫、とだけ返した。
「大丈夫ってお前……とてもそうは見えないぞ。葬儀の時だけじゃない。教室で先生と話をしていた時も、そのあとの復興作業中も、様子がいつものお前らしくなかった」
ガゼルは言葉を返さない。ただ俯いて、足元に伸びるふたつの影をじっと見つめるばかりだ。
「一度救護隊に診てもらったらどうだ。呪いも怪我も似たようなもんだろ」
ガゼルは言葉を返さない。その双眸はやはり心ここにあらずといった具合に何も映していなかった。
ガゼルが一向に口を利かないものだから、ノヴァは不安を募らせたらしい、
「おい、ガゼル」
といくらか感情の入り混じった声で呼びかけてきた。
ガゼルは眉を顰めて、ぼそりと呟く。
「……うるさいな」
そう口にしてから、しまったと思った。おもてを上げると、驚きの色を湛えた表情のノヴァと視線が交錯した。
違う、と言い訳しようとしたが、その前にノヴァは寂しげな笑みを浮かべながら踵を返した。
「すまん。お節介が過ぎたな。仲間がたくさん殺された後だからかな、少し感傷的な気分になってるようだ」
そんな似つかわしくないことを言って遠ざかる彼の背中に、ガゼルは声をかけられなかった。不意に強烈な疎外感に襲われたためだ。
葬儀中、誰よりも声を張り上げて泣いていたノヴァの姿が思い出される。程度の差こそあれ、みな一様に悲しみの様相を露わにしていた。家族を見送る際の振る舞いとして至極自然なものだ。
その点、自分はどうだ? 命を賭して村を守ろうとした同胞たちをろくに弔いもせずぼんやりするばかりか、最後まで涙一滴流すこともなかった。そんな自分は人間として致命的な欠陥を抱えているのではないか?
自問して暗澹たる思いが夕闇のごとく迫ってくる。
ガゼルは枝葉の音の騒がしくなった慰霊樹を仰いで、ひとり瞼を閉じた。そして改めて心の中で、先立った同胞たちに向けて弔いの言葉を並べた。
その足でテントに帰る気になれず、日の暮れた野外をあてどなくうろついた。
手頃な岩に腰を落ち着かせ、首を持ち上げる。曇っているのか星ひとつ見えない濃紺色の空が一面に広がっていた。
(しっかしまあ、せっかく心配してくれた友達に「うるさい」はないでしょ)
甲高い声が静寂を破った。
今朝目が覚めた時から、断続的に聞こえてくる声。その正体は、禁術を唱えた代償として知覚するようになった、例の『幻聴』だ。
耳鳴りのようで鬱陶しいが、幻聴を相手にするのも馬鹿らしいと思い、これまで徹底して無視を貫いてきたが、そろそろ我慢も限界を迎えていた。
胸中に鬱屈したわだかまりを解消したくて、ガゼルは拳で岩肌を叩きながら声を荒げた。
「お前に言ったんだ! ずっとぴーちくぱーちく、やかましいんだよ」
眼前を光の粒子が横切る。よくよく観察すると、人のなりをしていて、背中に生えた羽をパタパタとはためかせる様からはお伽噺に聞く『妖精』なるものを連想させる。
(お前じゃなくて「メルト」だってば。女の子に向かってお前呼ばわりは失礼よ)
「幻のくせに、生意気な口をきくんじゃないっ」
語気を強めて凄むが、妖精の幻ことメルトは、ふふんと愉しげに宙を舞い、どこ吹く風だ。
(おあいにくさま。あたし、貴方の深層心理を代弁しているにすぎない存在だから。生意気って感じるなら、それは貴方のお腹の中がねじ曲がってるってことよ)
ああいえばこういう。ガゼルはうんざりして、ため息を吐き捨てた。
(それに、あたしの助言を「うるさい」って切り捨てるのはいただけないわね。貴方に利するようなことを散々口添えしてあげてるっていうのに。ああ、もったいない)
「何が助言だ口添えだ。言うこと全部ろくでもない戯言ばっかじゃないか」
禁術を島に持ち込んだというプルートに対して『平和のためじゃなく、ただ研究を続けたかっただけだろ』と野次を飛ばしたり、葬儀中、悲嘆に沈み弱っていたフーリエを見つけるや『そばにいって手でも握ってやれ』だのと茶々を入れてきたりと、その狼藉ぶりたるや目に余るものがあった。
自分にしか聞こえない幻聴だとわかっていても、その度を超えて不謹慎な放言に何度肝を冷やしたことか。
(あたしの声が耳障りに聞こえたのなら、それは貴方の心が荒んでいる証拠よ。何度も言うけど、あたしは貴方の深層心理に浮かんだ言葉を代弁しているだけなんだから)
「僕はそんなこと、断じて思ってなんかいない」
(認めたくないでしょうけどね。心の奥底では思っちゃってるんだなあこれが。まあ人間誰しも、胸の内に邪な思いだったりひとさじの悪意だったりを隠し持ってるものよ。気に病むことないわ)
生き地獄だ、とガゼルは思った。もしこの幻の言っていることが本当なら、自分の中に潜む醜悪な部分が発する声に常に耳を傾ける必要があるらしい。この分だと自分のことを心底から嫌悪するまでそう時間を要さないだろう。
「君を黙らせる方法はないのかな」
駄目元で尋ねてみるが、意外にもメルトは、そうねえ、と思わせぶりな反応を示してみせた。
(あたしの声を聞きたくないなら、表層と深層の間にある心理の垣根を取っ払っちゃえばいいのよ)
「……どうやって?」
(決まってる。とことんまで狂い果てればいい。理性を捨てて本能のみに従順な獣にでもなれば、深層心理なんて概念も消えてなくなるはずよ)
ガゼルは口をひん曲げた。訊いて損した。それは人間をやめろと言っているのと同義だ。とても飲める案ではない。
その後もメルトの声は延々と続いたが、ガゼルはこれまで通り無視することに決めた。
煩わしいことこの上ないが、所詮はただの雑音だ。そのうち慣れてくれば、虫の音や小川のせせらぎのように気にも留まらない存在になるだろう。それまでの辛抱だ。
「ガゼル」
背後から声が聞こえた。今度は幻聴などではない。聞き覚えのある女の子の声だ。
振り返ると、闇夜の中、松明を持った少女の姿があった。フーリエだ。
彼女の存在を視認するなり、ガゼルは体温がぐんと上昇したのを自覚した。
「怪我の方は大丈夫? 昨日はあの後、ずっと眠り通しだったって話は聞いたけど」
ガゼルは左右にぶんぶん首を降りながら、大丈夫、と口早に答えた。
ちょっと落ち着きなさいよ、という妖精の野次が聞こえたが、黙殺する。
「フーリエこそ、怪我はなかったかい?」
「うん。まだ背中が少し痛むけど、軽傷よ。ガゼルたちが守ってくれたお陰ね」
はにかみながら、口ずさむように言うフーリエ。
その言動にガゼルは胸を射抜かれた。かわいすぎる。なんだこの天使は。
「ま、守っただなんて、そんな。『大斧』にとどめを差したのだって、先生だし」
「でもあの時、貴方があの怪物に立ち向かってくれていなかったら、今頃私はこの世にいなかったと思う。だから、感謝してる」
思い人に感謝を伝えられて舞い上がらない男はいない。
ガゼルは今、この瞬間ばかりは生きていることに喜びを感じずにいられなかった。結果的に鬱陶しい幻聴がつきまとうようになったが、禁術に手を出した自分の判断に誤りはなかったとさえ思えた。
ふとガゼルの左手に温かいものが触れた。フーリエが彼の手を取ったのだ。
ガゼルはどきりとして肩肘を強張らせた。
「この先に綺麗な星空が見渡せる、とっておきの場所があるの。助けてくれたお礼に紹介してあげるね」
そう言って、フーリエが手を引く。
夜風になびく彼女の長い髪から、僅かに花のような香りが漂って鼻腔を刺激する。
ガゼルは年頃の男子として不純な思いを抱きつつあった。それをメルトが指摘しないはずもなかったが、指摘されるまでもなく異様な胸の高鳴りが彼に自覚症状を与えていた。
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