第2章 幻夜の誓い
幻夜の誓い①
『大斧』強襲事件から一夜明けた日の昼下がり。
ガゼルは疲労感の染み込んだ身体を引きずりながら学舎の訓練場に足を運んだ。
すっかり地形が変わり果て、いまだに血痕や木材の破片などが散見される現場からは、事件の爪痕の深刻さがまざまざと窺える。
そこら中に散らばっていた遺体の山は外から肉食獣を寄せつけぬようにとその日のうちに回収されたが、依然として死臭が空気中に溶け込んで
まだ自分が死んだという事実を受け入れられない魂が彷徨っているのかもしれない。そんな霊的な考えが頭をよぎるくらい、あまりに多くの命がこの場で、ほんの一時にして潰えたのだった。
瞼の裏にはこの場に急行した時に目撃した、同胞たちがまるで人形みたいに四肢をもがれ、散り散りになっていた光景がしかと焼きついている。
今思い出しても背筋が凍てつく凄惨な地獄絵図だったが、不思議と今目にしている荒涼とした景色の方がいっそう悲壮感が漂っている気がした。
胸を痛めながら荒野を眺めていたガゼルのもとに、近づく足音があった。
「先生が呼んでる」
伝言の主は、ノヴァだった。
日頃の修練の賜物である筋肉の鎧に裏打ちされた打たれ強さには定評のある男だが、さすがに『大斧』との大立ち回りを経て無傷というわけにはいかなかったらしい。顔はあざ傷だらけで、片腕は骨折しているのか、麻布で吊って固定されていた。
仏頂面なのは、自慢の肉体がボロボロになりプライドが傷つけられたせいもあるだろうが、それ以上に自分の力不足が仲間の危機を招き入れ、あまつさえ傷物にしてしまったという事実に自責の念を覚えているからだろう。無論その仲間のうちのひとりには、今目の前にいるガゼルも含まれる。
普段人前で見せる粗野でがさつな性格とは裏腹に、人一倍責任感が強く、仲間を思いやる気持ちも並々ならないのが、このノヴァという男だ。
いつだったか村人一同を前にして、大人になったらこの村の衛兵として仲間たちを護る盾になりたいのだと目を輝かせながら語っていたことが思い出される。それは彼の仲間思いな性格を例証する一件としてガゼルの記憶に印象深く刻まれている。
伝言に従って、ガゼルはノヴァと共に学舎に足を向けた。
普段通っている教室の、立て付けの悪いドアを開けて中に入ると、そこに彼らが先生と呼んで慕うプルートが待ち構えていた。
「わざわざご足労いただいてすみませんね」
プルートはいつもと変わらぬ柔らかな物腰でふたりを迎え入れ、適当な席に着くよう勧めた。
「大変な目に遭いましたね。取り返しのつかない犠牲もありましたが、ひとまず君たちが無事だったことに胸を撫で下ろしています」
ふん、とノヴァが鼻を鳴らして、吊られた腕をかざす。
「この有様が無事に見えるのかよ」
プルートは面目なさそうに目を伏せて、申し訳ありません、と謝罪した。
「帰りが遅くなってしまったせいで、君たちに多大な心労と深手を負わせてしまった。昨日ほど自身の愚骨さを呪った日はありません。本当になんと言ってお詫びすればいいのやら……」
「悔やみの言葉はいいから。現状わかってることを教えてくれよ」
にべもなく返すノヴァ。
目上相手に敬語でないのはいつものことだが、今日は一段とやさぐれ具合に磨きがかかっているな、とガゼルは隣で見ていて思う。
プルートは眼鏡のフレームを押し上げながら、はい、と応答して説明に移った。
「昨日の件、どうやら『大斧』が単独犯というわけではないようです。昨晩、学舎周辺を巡回していた見回り隊が、物置小屋に潜伏していた素性不明の男を取り押さえました。その男の所持品から『大斧』との繋がりを匂わせるものが検出されたため、仲間とみて揺さぶりをかけたところ、いくつか証言が得られました。……残念ながらその中には、目を覆いたくなるような事実も含まれていました」
プルートはそこで一旦言葉を区切って、宙に視線を放った。
結ばれた唇と眉間に寄せられた縦皺から躊躇いの雰囲気がひしひしと伝わってきて、これから言い渡される話の内容はさらに深刻さを増したものになるらしいとガゼルは察する。
「さて、何から伝えるべきかな……まずは一番言いづらいことから話すことにしましょうか。単刀直入に言うと、今回の事件には内通者がいました。『大斧』やその仲間たちに村の内部状況を明かし、警備が手薄になった頃を見計らって村の中に招き入れたのです」
ノヴァが席を立ち、低い声で怒鳴った。
「いったい誰がそんなことを」
まだ打ち明けるのに迷っているのか、プルートはつかの間、説明の口をつぐんだ。
ノヴァは心当たりがない様子だが、一方のガゼルはおおよそ見当がついていた。
実のところ昨日マステラが内通者の存在を仄めかすようなことを口にした時から、薄々その人物の顔が頭に浮かんでいたのだ。
村の内部事情に詳しく、部外者を招き入れることにも特段の労力を要さない――それらの条件に当てはまる者の犯行と考えれば、自ずと候補は絞られてくる。
果たして、プルートはガゼルが予想した通りの名前を口にした。
「ロイです」
ノヴァは目を見張って硬直した。甚大な衝撃に貫かれ、現実への不信感に取り憑かれている顔だった。唇が震えていて何か言葉が発せられる気配もあったが、結局そこから言葉が溢れることはなかった。
「『大斧』の襲来時に鐘が鳴らなかったと思いますが、あれは見張り番を務めていたロイが鳴らさなかったからです。その時点で彼の裏切りに気づいたクーカイが粛正しようと行動したようですが、『大斧』も相手にしながらではさすがに分が悪かったらしい」
そこでついに堪忍袋の緒が切れたノヴァは、目の前の机を蹴飛ばして悪態をついた。
彼にとって憧れの存在である衛兵が――それもよりによって指導的立場にあるリーダー格の男が、本来の職分をまっとうしないばかりか村の存亡の危機まで招き入れたという。その動かしがたい事実は、感情の抑制が利かなくなるくらい度を超えて許しがたいものだったと見える。
同情しつつもさすがにものに当たるのは目に余る行為だと思い、ガゼルは咎めようと口を開きかけたが、プルートがまあまあとなだめるような手振りをするので、咄嗟に喉元まで出かけた言葉を引っ込めた。
「ロイがなぜ裏切り行為に手を染めたのか理由は不明です。彼の意識が回復したら直ちに取り調べに移る予定です。その後の処遇については寄り合いで
「当然だ。犠牲者の数からすれば、極刑にしたって釣り合いが取れねえよ。ていうか、先生よ。なに裏切り者の肩持つような言い方してんだ。教え子だからって情状酌量の余地はないからな」
「……そうですね。すみません。余計なひと言でした」
ノヴァから舌鋒鋭い糾弾を受け、プルートのおもてに苦悶の色が広がる。
複雑なその面持ちから、ガゼルは恩師が直面している内心の葛藤を垣間見た気がした。
この村で育った子供はみなプルートの教え子だ。みなしごである生徒たちにとってプルートはさながら親代わりの存在であり、逆にプルートにとっても幼い頃から成長を見守ってきた生徒たちは我が子も同然の存在であるに違いない。
実の親の顔すら知らないガゼルは想像に頼るしかないが、きっと親というものは子供がどんなにやんちゃな性格に成長しようとも、その子が幼かった頃に寄せていた慈愛の心はいつまでも薄れることはないのだ。
ロイが犯した罪の重さは当然受け止めつつも、つい顔を覗かせる親心が邪魔をして手心を加えてしまうのだろう。
親の顔と大人の顔。本心と建前。エゴと理性。
相反するふたつの想念の板挟みになって揺れ動いていることがなんとなしに伝わってくる。
そのどっちつかずのスタンスにノヴァは気分を害したようだったが、一方のガゼルはどこか嬉しい気持ちの方が勝っていた。
ガゼルはプルートのことを信頼している。信仰していると言い換えてもいいくらいに、深く、重く。
魔法の才に長け、あの『大斧』さえも一撃で沈められるほどの実力を持っていながら、いつまでも村に留まり続け、子供たちの安全と未来のことばかり考えて暮らしている。そんな恩師の底なしの慈愛深さこそ、ガゼルが信頼を寄せる最大の由縁だ。
だから、取り返しのつかない過ちを犯したロイのことを、なおも慮ろうとするその深情けのような優しさが、彼の目にはどうしても否定的に映らなかったのだ。
無論その喜びをおもてにするとノヴァの怒りが再燃しかねないので、おくびにも出さぬよう努めるが……。
タイミングを見計らって、ガゼルは、先生、と発言した。
「僕たちが今日ここに呼ばれた理由は? まさかロイの裏切りを報せるためだけに呼び出したわけじゃないですよね?」
ロイの一件は頭に入れておくべきことだが、それはガゼルとノヴァ、ふたりだけでなく村人全員に知らしめるべきことだ。
故に先生がこの場で真に伝えたいことは別にあるとガゼルは踏んだ。そして、その内容にも大方見当がついていた。ガゼルとしても早くその話がしたかったので、強引に話の流れを遮って本題に入ることを促したのだった。
プルートは顎を引き、眼鏡のフレームを指で押し上げた。その仕草は長広舌を振るう直前や思索を巡らせている最中なんかによく見かけるものだ。おそらく彼なりのルーティンみたいなもので、心の波をフラットにする作用があるのだろう。
「『大斧』のグラシエルがこの村を襲撃したのには、もちろん理由があります。それは昨晩捕らえた
プルートはガゼルたちに一拍だけ思考の間を与えてから、続けた。
「あるものとは一冊の書物のこと。題を『禁術目録』といいます」
ガゼルは息を呑んだ。
昨日プルートの私室に忍び込んで見つけたあの黒書のことを言っているのだと直ちにぴんと来る。
どこかでその単語が現れることは予想していたが、まさかこの話の流れで出てくるとは思わなかった。
ノヴァは「なんだそれは?」ともの問いたげな顔をつくって首を捻っている。ガゼルが黒書を見つけた時、彼は外に出ていたから心当たりがないはずだ。
ガゼルはプルートの刺すような眼差しを一身に受け止めた。
後ろめたい感情が横たわっているせいか、なんとなくそこに非難めいたものが混じっている気がして、脇の下を冷たい汗が流れた。
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