第48話

 タクシーの中で泰雅はどこかボーッとしてる様子だった。今、彼の隣りに真唯の姿はない。つい先程、坪倉家に寄って真唯を送り届けてきたところだ。


 脳裏では先程の真唯の言葉がずっとリピートされている。

(お酒の勢いで言ったのって本音だったっけ?でもたいてい覚えていないっていうし......)

 今の泰雅には、それを真唯に確認する勇気はない。おそらく覚えていないだろうし。それならば、このまま現状維持でいた方がいい。ギクシャクしたまま韓国に転勤なんて......シンドいし新天地で頑張る気力すらなくなってしまう。

 真唯の存在は泰雅にとって、生きる事全てだ。彼女との繋がりが絶たれてしまったら自分はきっと死んだようになるだろう。


 だから、このままでいい。

(俺は真唯ちゃんにとって安心出来るオジサンでいいんだから)

 泰雅は自分にそう言い聞かせながら、窓の外を行き過ぎる夜景を眺めていた。


✠✠✠✠✠✠✠✠✠✠



 昨夜居酒屋で眠ってしまった真唯は当然ながら、翌朝目覚めた時点でなぜ自分が自室のベッドに寝ていたのか、さっぱりわからなかった。もちろん、タクシーの中で泰雅に言った事もだ(やはり、泰雅の予想通りだった)。

 あわてて部屋を飛び出した真唯はキッチンで朝食の支度をしていた梨乃から昨夜の事を聞かされた。

「本当はうちに寄っていってもらってコーヒーか何かを出したかったんだけど、水都くんタクシーだったからお礼を行って見送ったの」

「そ、そうだったんだ......」

 真唯は好きな酒だったから尚更飲みすぎちゃったなぁと後悔した。涼祐の時も泰雅に守ってもらったし、また迷惑をかけてしまったと落ち込んだ。

 酔っ払っていなかったら、自覚したこの想いを伝えられたかどうかわからないが、韓国へ行っても体には気をつけてという言葉だけは泰雅に伝えられただろう。

 日本を発つ日も当初はゴールデンウイーク後としていたが、韓国にある支社の人が部屋も用意してくれている関係で早めに行く事になったと、昨夜まだ酔う前に尋ねた際、聞かされた。

 正式に発つのは五日のお昼との事。つまり、昨夜の居酒屋が泰雅と会えた最後でもあったのだ。


 梨乃からの「朝ご飯は?食べられる?」の問いにテーブルの椅子に力が抜けたように座った真唯は同じく力が抜けたような小さな声で「......食べられる」と返したのだった。



✠✠✠✠✠✠✠✠✠✠



 午後、真唯は久しぶりに「寄り道カフェ」に出かけた。

 入店すると、いつもと変わらない心地いい雰囲気に体を優しく包みこまれた感覚がして、真唯は来てよかったと密かに思った。晃子は親友の入店に小声で「真唯〜!久しぶり〜」と小さく手を振りながらやってきて、カウンター席に案内する。

 こっちに帰ってきたという連絡をしないでごめんねと謝る真唯に晃子は「いいのいいの」と手のひらを左右に振った。


 本日も去年までいた時のように、ここでゆっくり過ごす。読書は、バダバタしている中での息抜きだ。今もこうして本を広げ、紡がれる文字を目でたどりながら時折香りを漂わせるコーヒーを飲む。店内の音もBGMとして最高だ。

 そうしていると、ここで涼祐を見かけるようになってから今現在までの事が写真をアルバムにおさめるかのように整理されていく。

 その時、カランカランと真唯の耳に聞こえてきた来客知らせのベル。

 やがて......

「......驚いた。こんな偶然ってあるんだね」の声。

「......」

 その声はとてもなじみ深くて本から目を離して顔をあげると、いたのは涼祐だった。笑みを浮かべながら真唯は言葉を返す。

「だって......親子ですから」と。



 涼祐は真唯の隣りに座った。実は彼が店内に入った時、迎えた晃子が小声で真唯が来ている事を知らせていたのだ。


「昨日はごめんね。居酒屋に行けなくて」

「いえ。実は母も会社から電話があって急遽そちらに行ったんです」

「えー。じゃあ昨夜は泰雅と二人だけだったんだ」

「はい」

「そうか。泰雅と......」

「私、またお酒飲みすぎちゃって。途中から記憶がないんです。朝目が覚めたら実家の自室のベッドでした」

「じゃ、泰雅が?」

「はい。タクシーを呼んで家まで送ってくれたのよと母から聞きました」

「アイツ......本当に真唯さんを大事にしてるんだな」

「......」

 今までその言葉には「そうなんですかね」と返していたのに、今は何にも言えなくなってしまった。その変化に気づいた涼祐だっだが、必要以上には言わずにただ「まぁ、泰雅もこれから知らないところで新たな生活に入るワケだし。どうか真唯さんからちょくちょく、アイツにメールでもしてやって。それだけで元気になるから」と口添えするにとどめた。

 真唯は「......はい、わかりました。お父さん」と笑みを浮かべて返した。



✠✠✠✠✠✠✠✠✠✠


 翌日。真唯は朝から自室のベッドでボーッとしていた。

 ゴーッという音が遠くからしてるなと思ったら、窓の外から見える真っ青な空を飛行機が飛んでいる。

 あの機体にはまだ泰雅は乗ってはいないだろうが、お昼になったら彼は飛行機で日本を発つのだ。


 その時だった。


「真唯ーーー!ちょっと一階に降りてきて!」と梨乃の呼ぶ声が。体調は良いのにどこか重い体で一階に向かうと、梨乃がスマホを耳にあてていた。真唯が来たのがわかると「あ、今変わりますね」とスマホを真唯に差し出す。

「おばあちゃんが、あなたにお話があるって」と梨乃から説明を受ける。

 真唯はスマホを耳にあてると「もしもし?おはよう、おばあちゃん」とまず挨拶した。そして聞こえてきたのは明るい祖母の声。

【あ、真唯ちゃん?おはよう。ごめんね突然】

 話の内容は、祖母の近所の人が真唯に会いたいと言ってるというもの。何度か祖母の家には行っているが、一度近所の人が家に来た事があり、その時に応対した真唯は自己紹介した。それから真唯を見かけるたびに気になっていたとの事。

【もし今、真唯ちゃんに気になる人とか好きな人がいないとかだったら、その人に一度会ってあげてくれないかな。とてもいい人だし】

「......」

 祖母の話を聞きながら、真唯の脳裏には涼祐の言葉と由真に言った言葉がよぎる。

『どうか真唯さんからちょくちょく、アイツにメールしてやって』

『水都さんから韓国に転勤になったと聞かされた瞬間、私は恋愛としてあの人を好きになっていた事に気づいてしまいました』

「......」

 しばらく無言でいたが、真唯は

「ごめんなさい、おばあちゃん」と謝っていた。

 そして

「私、好きな人がいるんです。だからおばあちゃんからのそのお話、お受けする事は出来ません」と結んだ。それからも祖母と話をして通話を切った真唯。梨乃も真唯の返答で話の内容はわかった。

「真唯?あなた、好きな人がいるって......」

 問うてくる梨乃にスマホを返した真唯は時間を確認する。お昼ならまだ間に合うーーー!


「お母さん!私、今から空港に行ってくるね!」


 梨乃に告げた真唯にはもはや迷いはなかった。


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