第44話

 ずっと眠り続けていた梨乃がようやく二日目の夜に目を覚ました。警察から詳しい話を聞かされ、思いがけず涼祐からも梨乃との恋愛を聞いた末に彼を「もうひとりのお父さん」と呼ぶ事が出来た二日目。この日も真唯は帰らずにずっと梨乃の傍らにいた。そんな中で梨乃は閉じていたその瞳を開かせたのだ。

「お母さん...!ああ、お母さん...よかった!よかったぁ!!」

 目覚めてすぐに真唯に抱きつかれて「ま、真唯...あなたなぜここに」と戸惑いつつ傷口が傷んで「い、イタタタ...」と発すれば真唯も「ああ、ごめん!!」とあわてて梨乃から離れて労った。

 真唯がここにいる理由を言うと梨乃は「あちらの会社に申し訳ない事態になっちゃったわね」とつぶやいた。しかし梨乃は被害者であって責められるところなど全くないのだ。会社にも理由を告げると上司は「こちらの事は気にしないで。お母さんのそばにいてあげなさい」と言ってくれたのだ。

「だからこうして私はお母さんのそばにいるの。お母さん...無事でよかった。隣のおばちゃんがね、お母さんの悲鳴を聞いて駆けつけてくれて救急車を呼んでくれたり、会社に連絡をしてくれたりしたの」

「そう...刺された後におばちゃんの声が聞こえたのはそれだったのね」

 そのおばちゃんもまだこちらにいてくれているので、あわてて呼びに行って、彼女も梨乃との再会を果たせたのだ。

 翌日には仕事を終えた泰雅が梨乃の元へ駆けつけ「よかったぁ〜梨乃先輩〜」と男泣きした。他にも知らせを聞いた晃子も来てくれて、最後には涼祐が面会時間ギリギリになって病院にやってきた。

 ベッドの上で眠っている姿ではなく、キチンと目を開けてヨコになっている梨乃の姿を目にした涼祐は嬉しさのあまり瞳を少し潤ませていた。

 ベッドの傍らの椅子に腰を下ろした涼祐は「よかったです...梨乃先輩。あなたが目を覚まさなかったら...どうしようって思いました」と心情を口にした。

「笹倉くんにも...心配かけたわね」

 梨乃からの言葉に「いえ」と言った涼祐は真唯に話したのと同じ事を口にした。自分があの日、梨乃を捨てて母親を選んだせいで梨乃はひとりで真唯を生んでその末に逆恨みで養父の妻に刺されたのだと。

 しかし、梨乃はベッドの上で首をヨコに振った。

「そんな事は決してない。私が刺されたのは養父のせいであってあなたのせいではない。それに、病気に倒れたお母さんを選ぶのは当然の事。あの日のあなたの行動に間違いはなかったのよ。確かに...当時、私の元へは行けないと言ったあなたを恨まなかったと言ったらウソになるわ。でも、私自身母親になってわかったの。笹倉さんのお母さんはあなたがとても大切だったんだなって」

「...ありがとう梨乃先輩。でも...あの人の愛は俺には重すぎた。俺がこっちに戻ってきたのは...長く入院していた母親が亡くなったからなんだ。あの人は俺の結婚そのものを許しはせず手元に俺を置きたがっていた......酷な言い方だけど...これでよかったんだと思う」

 梨乃は涼祐の母親に思いをはせた。彼女は不器用な人だったのかもしれない。だから加減がわからず涼祐を束縛する形でしか愛せなかったのだろうと。

 それから梨乃は真唯とのやりとりを思い出し

「真唯から聞いたわ。あの子があなたの事をもうひとりのお父さんって呼んだんですって?」と涼祐に話した。

「はい。そうなんです。真唯さんが俺をお父さんと...呼んでくれました。嬉しくて男泣きしながら真唯さんを抱き寄せていました」

「そう......よかったわ。本当によかったわね...。真唯にとっては失恋で終わってしまった恋だけど、転勤してひとりで落ち着いて考える時間を持てた事に大きな意味があったのかもね」

「...... その事に関してはこれからもずっと、真唯さんに申し訳ないっていう気持ちは変わりません。それを含めてこれからも彼女を見守っていきたいです」

「ありがとう。笹倉くん」

「梨乃先輩はこれからも、太一さんを想い続けて下さい。でも......これだけは言わせて下さい。あなたを愛した事、決して忘れません」

 涼祐からそんな言葉を向けられて、梨乃はこの人と出会った日から別れるあの時までの事を走馬灯のように思い出していた。

 高校三年の時、ひとり隠れて泣いていたところにハンカチを差し出してくれた涼祐。養父から逃げ続ける日々を送っていた自分にとって涼祐との時間が安らぎになっていった。気がつけば梨乃はあの場所を何度も訪れていた。涼祐に会えたら嬉しくて、彼からも会えて嬉しいと言われたら同じ言葉を自分も伝えていた。学校内だけでなく外でも会って自然ななりゆきで涼祐に抱かれた日は今も輝く思い出となって梨乃の中にある。高校を卒業したら家を出ると言った自分に涼祐は「卒業したら追いかける。一緒に暮らしましょう」と言ってくれた。真唯を妊娠しているとわかった後に涼祐から届いた「あなたの元には行けない」という連絡。そこで涼祐との恋にピリオドが打たれた。

「私も......。笹倉くんを愛した事は忘れない...。あなたとの恋愛があったから真唯を授かって、太一さんに巡り会えたんだもの」


 あの日の別れから二十年...やっとこうして梨乃と話が出来た涼祐は梨乃への恋心を永遠の思い出...以前から誓った通り、彼女には打ち明けないまま胸の奥深くに閉じ込められたのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る