第43話

 涼祐が梨乃と個人的な出会いをしたきっかけは、学校内のあまり生徒の行き来がない場所で梨乃が泣いているのを涼祐が目撃した事であった。

 それまでは後輩のひとりとして梨乃を遠くから見ていただけで、口もきいた事すらない。普段の梨乃は元気で明るい先輩という印象だが、一人隠れて泣いていた彼女はとても儚げに涼祐の目には映って同時に恋心も芽生えた。

「............」

 何とかしたくて涼祐は梨乃に歩み寄るとそっとハンカチを差し出す。「......俺のでよかったら」と言いながら。

 梨乃は「......ありがとう」と小さい声でハンカチを受け取った。

 そういう事になると、梨乃が借りたハンカチを洗濯して涼祐に返すというように二人の間には繋がりが出来た。

 その後、涼祐はあの場所を何度も訪れるようになった。また梨乃に会いたいと思ったから。だけど互いのメルアドもまだ知らないから、結局会えずに一人で過ごす事もあった。運良く梨乃に会えた日は嬉しさでいっぱいになり、その事を伝えると「私も笹倉くんに会えるかもって期待しながら来られる時は来ていた」と言ってもらえたので夢心地になったものだ。

 何度目かの逢瀬で梨乃から養父の事を打ち明けられた。そしてあの日、泣いていた理由も養父によるものだとも語った。

 この時、二人の瞳が互いを映して次第に顔が近づき、初めてキスを交わした。それはバードキスという程度のものだったが、涼祐の心臓の鼓動は梨乃に聞こえてしまうんじゃないかと心配するくらいに高鳴った。

 そしてこの時に互いのアドレスを交換した。


 梨乃と恋人になった涼祐は学校外でも彼女と逢瀬を重ね愛を育んでいき、自然ななりゆきで肌を重ね合わせた。

 そんな中、二人は次第に将来の話を口にするようになる。

 高校を卒業したらあの家を出るという梨乃に涼祐も「俺も高校を卒業したら家を出るから待ってて下さい。一緒に暮らしましょう」と告げた。彼も今度の恋だけは自分の母親に邪魔されたくないと、梨乃が自分にとってどれほど大切な女性なのかをめげずに何度も訴えたのだが、母親は頑として息子の恋に同意せず、否定的な言葉しか言わなかった。


 何とかわかってもらおうと奮闘する涼祐を運命はまるであざ笑うかのように、大切にしていた恋をなし崩しにする事態へと招く。

 その日も何度目かになるだろう梨乃との事を母親に説得していた。母親は更に険しい表情になりカッと頭に血がのぼった。

 次の瞬間だった。

「ここまで育ててやったのになんて恩知ら......!」

 ......バタン。

 突如、母親が床に倒れ込んだ。「母さん?母さん?」と呼んだが、母親は起きる気配が全くない。

 急いで119番に連絡し、やってきた救急車に涼祐は母親と共に乗り込んだ。

 診断によると、母親は脳の病気を発症。意識も戻らず寝たきりになった。

 こんな状態の母親を父ひとりに押し付けて高校卒業後、梨乃の元へ行くなんて事は出来ない。涼祐は悟った。


 だから。

 涼祐は梨乃に連絡した。

【ごめん梨乃。俺は君の元へは行けなくなった。母が倒れて寝たきりになったんだ.........俺は...梨乃が大好きだ、愛してる。でも......それだけじゃどうにもならないって事があるんだって思い知ったよ。本当にごめん梨乃。どうかこんな男の事は忘れて君にふさわしい人と幸せになって下さい......さようなら】

 理由を話しながら涼祐は泣き、通話の向こうからは嗚咽をこらえている梨乃の息遣いが聞こえていた。

 実はこの時、梨乃のお腹には真唯が宿っていたのだが彼女が涼祐に打ち明けなかったので彼はそれすら知らぬまま梨乃との恋にピリオドを打つ事となった。



✠✠✠✠✠✠✠✠✠✠



 涼祐の話を聞き終えた真唯は泣いていた。

「笹倉さん...悔しかったですね。寝たきりになったお母さんと私の母との未来の板挟みになって。諦めるって...とても体力を消費するんですね」

「真唯さん」

 涼祐はただひたすらに真唯の頭を撫でた。

「でも、俺は梨乃先輩を捨てたんだよ。こんな男が真唯さんの父親なんて...ごめんね」

 その言葉に真唯は首をヨコに何度も振った。

「私だって...笹倉さんと同じ立場になったら...迷いに迷って...母を選ぶと思います。私も母を捨てる事は出来ません」

「真唯さん......」

 真唯からそういう言葉を聞けて涼祐はただ「ありがとう。ありがとうね」と娘に感謝した。


 真唯は涼祐が酔っ払ったあの夜に、梨乃の名前をつぶやいた彼の声を思い出していた。

(話を聞いて...改めてわかった。この人は高校一年生の頃から現在までずっと、お母さんを愛しているんだ。お母さんと恋愛していた事を大切にしているんだ。今は...この人にも幸せになってほしいって思う。もちろん幸せに出来るのは私なんかじゃない。それが出来るのは、これから出会うであろう未来の愛する女性だけ......)

 そういう気持ちにたどり着けた真唯はやっと、あの呼称で涼祐を呼んだ。


「笹倉さん...いえ。涼祐さん。私の......もうひとりの...お父さん」


 その呼称に涼祐も男泣きして、真唯を抱き寄せたのだった。

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