第37話

 出社した真唯が小夜子の退社を知ったのは掲示板でだった。その周りに何人かの社員が集まっていたので行ってみれば......。


『このたび退社した社員がいますのでお知らせします。

    営業部 土岐小夜子 』といった文字が印刷された紙が掲示されていたのだ。

 真唯以外に見ていた社員たちは小夜子の突然の退社に驚いてる様子だった。先週の彼女にはそんな辞めるような感じしなかったけどなー、と話してるのでおそらく同じ営業部の人たちだろう。その中のひとりが真唯を見るなり「あれ?君...もしかして。土岐さんと仲良かった人?」と尋ねてきたので真唯も「......はい。仲良くさせてもらってました」と返した。それを知った社員たちからは小夜子に何があったのか知ってる?と聞かれたものの「いえ。私もまったく知らなくて。これを見てビックリしてるんです」とごまかした。これで信じてもらえるか緊張した真唯だったが「お友だちが知らないんじゃ私たちにもわかるハズないもんね」と納得してくれたようで、突然声をかけた事を真唯に謝ってその場から離れていった。

 社内のあちこちではバレンタインチョコを渡す女性社員の姿を見かけた。今は友チョコもあるから「小夜子さんに友チョコ渡したかった」と少しだけ後悔していた。でも彼女は三輪と一緒にいられる幸せを噛み締めているに違いないし、チョコを手作りして渡したかもしれない。そういうふうに思うと真唯の心も少し軽くなった。


 だがその数日後。真唯は恐怖を味わうハメになる。


 昼休みに真唯が社内のロビーを通り過ぎようとした時だった。受付でひとりの中年女性が、何やら必死に受付嬢に訴えていた。気にせず通過すればいいのだが、それが出来ない空気を真唯はその女性から感じ取った。

 怪しまれないよう、人を待つふうを装った真唯は女性の会話に耳を傾けた。

「こちらの会社に土岐小夜子という女性社員、いるんでしょ!!いますぐここに呼んできてちょうだい!!」

 喚き散らす女性に対し、受付嬢は冷静に「申し訳ありません。個人情報保護のため当社員に関する事はお客さまにお教えする事は出来ません。どうかお引き取りください」と頭を下げた。だが女性は「冗談じゃないわよ!!」と納得していない。

「......あの女はね、私の大切な息子をゆ、誘惑して二人でどこかに行っちゃったのよ!!それなのに個人情報保護ですって?フザけんじゃないわよ!!」

 その会話から、この女性が三輪の母親だと真唯は悟った。それと同時に湧き上がる女性への恐怖。幸い個人情報保護のため小夜子の情報が女性の耳に入る事はないが、それにしても小夜子の勤務先をどうやって知ったのか。それを考えるとますます怖くなった。

 その一瞬、女性がクルッと真唯の方を振り向きツカツカと彼女めがけて近づいてきた。逃げようとしたが時すでに遅く、抱きつかれてしまう。

「ねえねえ、あなた土岐小夜子っていう女知らない?ここで働いてるんでしょ!見かけた事ないかしら?」

 至近距離で聞かれ、恐怖を感じながらも真唯は「......さあ...わかりません」と言ってから「私、これからお昼休みに行くので忙しいんです...失礼します」と伝えて頭を下げ、女性の元から足早に離れた。

 ロビーから去るまで、真唯は一度も振り返らなかった。しばらく経って「あああああ!!」と発狂する女性の声を聞いた気がしたが、無理やり気のせいだと思い込んだ。

 この時の事はのちに営業部の中でちょっとした話題になった。女性の話から小夜子が男性と駆け落ちしたんじゃないかとか、男性を誘惑したとか、彼女には別の顔もあったんだななど、いろいろ盛り上がったらしい。真唯も「坪倉さんもその女に話しかけられたんですって?」と言われたが頑として知らないふうを装った。本来なら小夜子の真実を話すべきだろうが、そうした事であの女性の耳にでも入ったら大変だ、ましてや小夜子と親しくしていたなんて事まで知られたら...(幸いこちらは他の社員が個人情報保護のため黙っているようなので、女性がやってくる可能性は低い)。だが、絶対に知られてはならない。自分は三輪と小夜子の事は誰にも話さないと彼らに誓ったのだから。

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