第28話:ツァイトガイスト【9】
扉を開けて、ベッドに久遠を横たえた。
彼女の呼吸は少しずつ整っていく。静かに目を閉じる。
――ここなら、すべてが見渡せる。
――そして、ここなら、だいじょうぶだ。
部屋のなかは、かつて人々だったもので埋め尽くされていた。
彼らは性別も年齢も、背格好もみなバラバラで、そこには小さな世界の縮図が出来上がっている。
みな、ちがう。
共通しているのは、今彼らは跪いていて、久遠のベッドをとりかこんでいるということだった。
彼らはもはや、亡者ではなかった。
「……ああ。来てくれたのね」
そのうちのひとりをそばに招き寄せて、そっと頬を撫でる。
年若い少年だ。頼子自身が首をはねた、彼と同じくらいの。でも、違った。
彼はしっかりと、その目で、久遠を見ていた。
「あなた達のために。ここに来ました」
すると、他の者たちも続いた。
列をなす彼らを、久遠は優しく受け入れた。
その光景を頼子は見ていた。かつてなら嫉妬に狂っていたかもしれない。でも、今は違う。
障壁は吸血鬼によって破られた。しかし、この部屋だけは、再び聖域として再構成されたということ。肌でわかる。
いま、ここにいる彼らは、ドラキュリーナによって魅了され、その意志を受け継いだ者たちであるのだ。
壁の向こうで、呻き声が聞こえる。
じき、ここに押し寄せてくる、濁流のように、灰色の、人形のような、あの亡者の群れが。
尊厳を踏みにじり、たったひとつの記号に押し込めてしまう、吸血鬼のやり方だ。
それは否定しなければならない。もはやここがさいごだ。この場所を失えばもう、ドラキュリーナはこの世から消える。
だからこそ、ここに還ってきた。
それは分かる、理解できる。
では、ここからどうすればいいのか。
もう間もなく、扉がひらくだろう。
向こうが、数では圧倒的に上。どうすればいいのだろう。
焦る頼子。
しかし、彼女の傍に、知らない男が居て、声をかけてきた。
「大丈夫だよ、お嬢さん。心配はいらない」
その声には、何の恐怖もなかった。凪のような優しさが感じられた。
怯えているのは自分だけなのかと思う。
「でも。このままじゃ、あなた達は」
「――いま。わたしたちは、その数を増やしつつある。侵略される世界の内側から、徐々に、徐々に」
どういうことか。
言葉の意味を求めて、久遠を見た。
……愕然とする。
彼女が、先ほどまでよりもさらに、やせ細って見えたのだ。
まるで、まるで――……。
今ここに居る『彼ら』に触れることで、その生命力が株分けされて、自身のそれが、すり減っているかのよう。
「……!」
「わたしたちは、はやくここにたどり着いたに過ぎない。やがては、『彼女』のことを『思い出した』者たちが、再び会いたい一心で、連中を突破して、ここに来てくれる。そうすれば、形勢は、かわる」
彼女に、久遠に、魅了された者たち。
ドラキュリーナを知り、もっと知りたいと願った者たち。
かつての、サジのように。
あるいは、はじめのころの、あの少年のように。
「まさか、せんぱい……あなたの、やろうとしていることは」
「そうよ……頼子」
ベッドから身を起こしていた久遠が言った。
また、先を読まれた。
「特別なことをやる必要はない。ほんの少しだけ、私たちの力を、皆に分け与える。そうすれば、ドラキュリーナという種族は世界に認識される。思い出してもらえるようになる……
あの子たちも、言っていたのでしょう……認識が、物語が、世界を、作ると……」
「それが、せんぱいの」
「そう、私の……ジルの遺志を受け継ぐための、たったひとつのやりかた」
そう言って、力なく笑った。
せんぱいは。
周りの者たちは、まるで詩をうたうように、ドラキュリーナへの思慕を互いに囁き合い、団結を深め合っている。
ところどころで着信音が響いて、久遠の力になることをねがう者たちが、こちらに向かっているという情報が次々とながれてくる。
彼女の言ったことが本当なら、これは冴えたやり方なのだろう。
――そうして、ドラキュリーナは、吸血鬼に対抗する力を得る。
もはやかつてのように、虐げられ、服従するだけではない。彼女たちとしての、誇りを、
素晴らしいことだ。
「そう、素晴らしいこと。ジルの願いがかなえられる。頼子。あなたを脅かす者もいなくなる……」
――いま、目の前で、久遠が消え去りつつあるということをのぞいて。
「……がう」
その時。
「違う、そんなの、ぜんぜんちがう、間違ってる!」
頼子は、はじめて、久遠に逆らうことにきめた。
――夜が、明けつつある。
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