第27話:ツァイトガイスト【8】

「――物の怪の類にまで落ちぶれたか、小娘ども」


 闇のなかに声が響き、振り返るとそこに。

 立つ、いくつもの影法師。一切の音を立てずにこちらに向かってくる。吸血鬼だ。

 全身が粟立ち、呼吸が浅くなる。身体の芯が、無意識が危険信号を発する。

 彼らの来訪がもたらすもの。

「貴様らは、俺たちの館で手編みでもしていればいい。その幸福を享受しないおろかものめ」

 種族としての刻印。彼らにさからえないという実感。

 髪の長いあの男が、あかりの内側にやってきて、その青白い肌と、裂けたような笑みをあらわにしたとき。すべきことが規定された。

「――ヨリコ!!」

 射抜くような声とともに、ドラキュリーナのうち一人がやってきて、頼子に託した。

 毛布に包まれた、久遠だった。

 反応するひまもなく、彼女を抱えた。

「あなた、たちは」

「……わたし、達は……」

 彼女たちは皆、立ち上がっていた。

 ティーカップがテーブルから落ちて砕けるのも意に介さぬように。

「彼らに、さからえない」

 その表情を覗き見て、ぞっとした。

 感情が抜け落ちて、そのかわり、ある種の本能が支配しているようだった。

 頼子はその貌を知っている。

 これまで、同じ貌の者たちが、何人も……久遠によって操られ、引き寄せられていたではないか。

 種族としての、序列。あってはならないそんなものが、本当にあるのだとしたら、今から、彼女たちは、この男たちに。

「はやく行って、はやく……」

「でも、」

「行って! あなた達だけでも生き残れば、『意思』が残る……!!」

 時間がなかった。いくつもの逡巡が駆け巡ったすえに、頼子は……その選択を受け入れた。


 彼らは自分たちを目で追うことをしなかった。

 そのかわり、目の前に立っている彼女たちをその指で、その瞳で誘惑し、手招いた。

 ドラキュリーナたちは、もうすでに頼子たちのことなど忘れているかのようだった。糸で操られるように彼らのもとへ近づいていく。


 ……洞窟を抜けたとき、その風の通り道から、嬌声のような、悲鳴のようなものが、いくつもあがった。

 頼子は歯噛みして、自分の抱きかかえている存在の重さを感じ、そちらに行動を切り替えることにした。

 自分は、託されたのだ。後悔している暇は、ない。


 不思議なことに、無我夢中で走っていたら、いつの間にか森を抜けていた。

 彼女たちの最期の異能だったのかもしれない。

 とにかく頼子たちは、ひとけのない街はずれに到達している。

 これからどうすべきか。空を見上げると、吸血鬼の色彩が侵略し、そめあげている。月は、こちらを嘲笑うようなどくろの模様を浮かべているようだ。

「……へ、つれていって」

 か細い声。

 久遠がうわ言のように。

「せんぱい、なんて……」

「がっこうへ、つれていって……」

「……!」

 彼女はやつれているように見えた。優美さは失われて、毛布に包まれてガタガタと震えている。

 洞窟の庇護すら失われた彼女にとっては、外気に晒されるだけでも、耐え難い苦痛なのだろう。

 であれば、もはや躊躇うことはない。あそこは、吸血鬼たちが入り込むまでは、彼女の領域だった。再び戻って、態勢を立て直すことだってできるかもしれない。

「分かりました。でも、無理はしないでくださいね。その、困るので」

「ふふ…………いうように、なったわね」

 誰のせいだと思っているんですか。

「続きは、なかでしましょう」

 そう囁いて、毛布に包まれた彼女の髪を少しだけ撫でると、頼子は駆け足になった。

 久遠の身体は、軽かった。



 あの男の子。

 従者たち。

 久遠のこれまでの年月を通り過ぎていった者たちが、いま、薄暗く、まがまがしくすらある、学校の廊下のなかを徘徊しているように思えた。

 頼子は必死に保健室に向かった。

 どうすればいい。どうやったらこの状況を塗り替えられるのだろう。吸血鬼とドラキュリーナ。

 片方が、はじめから虐げられるためだけに存在する種族。

 そんなことが、自然の摂理のように、自動機械のように、平然と。

 それが自然だと諦めていた過去。父が母を殴り、母が自分を罵って。その繰り返し、世界はその相似形で出来ていると疑わなかったあの頃。

 それから抜け出させてくれた彼女さえ、せんぱいでさえ、その仕組みから逃げられないのなら、絶望だ。

 ――でも、もう、絶望には飽きてしまった。

 もっと他のことがしたい、その先が見たい。

「せんぱい……あたしを導いてください」

「その先よ……向かって……」


「後ろをついていくだけじゃ、あなたのことはわからない。憧れるだけじゃ、一緒にいられない。本当に大切なら、隣を歩かなきゃ駄目なんだ。みんな、あまりにもそれに、気付かなさ過ぎた……だから」


「一緒にドアを……開きましょう。遅れないで……」

「うん、分かってるよ、せんぱい。もう、とりこぼさない」

 

 ドアを開けた。これまで何度も繰り返してきたその動作。

 いま、ようやく、違う意味で満たされる――。

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