第26話:ツァイトガイスト【7】
「はじまりは、恐怖だった」
紅茶の湯気とともに、うたうような静かな声。
混乱していた頼子の気持ちも、ゆっくりと落ち着いていく。
「得体のしれないものを、誰もがおそれる。それは太古の昔から現在に至るまで、何も変わらない。未知への恐怖――それが、われわれを生んだ」
われわれ。彼女が、自分の胸に手を当てた。
吸血鬼。
「侵略する者を吸血鬼、抑圧される者として私たちドラキュリーナを生み。循環し、永遠に繰り返す。破壊と再生産。それが私たち血の血族……分かりにくいかな」
彼女は、申し訳なさそうに笑った。
見透かされている。ちょっとだけ頷いて、紅茶を啜る。
息を吐くと、納得したような顔になって、向かい側の彼女はつづけた。
「つまり――あなた達も私たちも、はじまりは同じだったのよ。なんにでもなれる因子が先天的に備わっていて、それが人間かそうでないかを分けた」
同じ。
あたしと、あなた達が?
あまりにもあっさりと語られた衝撃のことば。悪い冗談のように聞こえてしまう。固まって、何も言えない。
「あなた達の世界の、生物学者はこれを知らない。というより見ないふりをしているでしょうね。じゃないと、世界が壊れてしまう――まぁ、それでいいと思うけれど。とにかく」
カップを置き、一呼吸。
こちらを見てくる。どきりとする。
びっくりするほど、あの人に、瞳の色が、輝きが、似ていた。
逸らせない。射抜かれる。
「私たちも彼らも、その血族としての純粋さとは裏腹に、実はあまりにも繊細で脆い。認識が変われば、簡単に因子が書き換えられて、元に戻ってしまう。だから必死になった。
上位種としての『記号』を、物語として各地に伝え、あなた達の畏怖を集め続ける必要があった。ある種の、交配ね」
思い出す。
ここにくるまでの、あの、街中に広がっていた吸血鬼たちの存在の証。
自分のように嗅覚の鋭い人間でなければ、そのおぞましさ、おそろしさに気付かない。しかし、それは着実に、自分たちの無意識に刷り込まれている。
サブリミナルのように。コマーシャルのように。気付かれないように、自然に染み渡るように。
でなければ、反抗されてしまうから。
あの少年が生きていたら、保健室の吸血鬼のはなしを、他の誰かに伝えて、それが広がっていたのだろうか。だとしたらそれもきっと、目の前の彼女の言う『物語』ということになる。
自分はまるで知らなかった――曖昧だった久遠のこれまでが、急激にひとつの輪郭を帯び始めていくような。
後悔が襲ってくる。もっと早くに知っておけば、もしかしたら、あの人の苦しみの一つくらいは、共有できていたかもしれないのに。
……そんな頼子の感情を、向かい側に居る、ドラキュリーナの彼女は、鋭敏に察知する。
「私たちはずっと、それでいいと思っていたの。そうして自分たちの種を、そんないびつな方法で存続させていくことこそが使命であると、生きる甲斐であると、本当にそう思っていた。
でも……あの子は、違ったの。クドウ。あなたの、『久遠』は」
――その次から、彼女は。
せんぱいの過去について語り始めた。
◇
◇
そこにはすべてがあった。
「生まれ落ちた」とき、せんぱいはとても引っ込み思案で、優しくて。
いつだって成績がよくって。
だけど、たまに本当に、賢すぎて。多くを気付いて、先生たちを驚かせて、いつだってその視線は、森の外側に向けられていて。
そこから、決闘騒ぎがあって、彼女は一人の吸血鬼と出会って。
どうしようもなく彼に見惚れてしまった。
ドラキュリーナは吸血鬼のしもべとなる。その暗黙の了解を超えて、彼の内面を、その遠い目で見たように。
彼女は、彼のことを知りたいと願った。
それが、劇的な再開を生み。
ひとりの、別のドラキュリーナの苦闘を知り、自分たち種族の宿命を知った。
抑圧された種族の歴史。
それはそのまま、心を通わせた果てに、残酷な結末へと至って。
せんぱいは――クドウは、生まれた地を離れて、遠くに向かった。
遠くへ、遠くへ。いつだってそう思っていたのだ。その先に、何かがあると信じて。
せんぱいは賢すぎるから。
未来を見通すためなら、現状の、自分の周りにいる何もかもの機微にまでは、目が届かないのだ。
だから――何も告げずに、消えてしまった。
その挙句が、この、傷ついてボロボロになった今の姿。
すべてを聞き終えた後、頼子は涙が止まらなかった。
呼吸は浅く、ハアハアと喘鳴を何度も繰り返した。
身体が震えて、椅子から崩れおちる。
「大丈夫、少し横になる。無理もないわ、恐ろしいわよね」
「違う、違うんです」
首を振って腕を振り払い、久遠のところへ。
その枕元に座り込んで、すがりつくように。
涙は流れるままにした。それが何かになると思って。
「せんぱい……あなたは」
まわりの皆は、止めなかった。
「あなたは。あたしと、一緒だったんですね。同じように苦しんでた。生きてる時代も、年月も違うけど……それでも、やっとわかった」
眠る彼女の手を握る。
そうしてみると、ずっと細くて白い手だと気付く。
なんだ、ただのおんなのこじゃないか。それなのに。
何百年もの年月が、影法師みたいになって、彼女を見下ろしているのだ。それがどれほど重圧だったのか。
頼子は、懺悔する。
「ごめんなさい、せんぱい、ごめんなさい……やっぱりあたし、なんにも、分かってなかった……」
久遠は目をさまさない。ひょっとしたらずっと眠ったままなのか。いやだ、そんなのはいやだ。
……あなたと、もう一度話がしたい。
再び一滴が流れて、その手の上で弾かれた時。
空気が、変わった。
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