第19話:HER:STORY【11】

「……いまのは」

「おまじないだよ、クドウ。私から君への」

 あの日、部屋を去る直前。

 ジルは、クドウに口づけをして、自らの血を、ほんの少しだけ、分け与えた。

 途端に、身体の内側があたたかくなって、優しい気持ちに包まれた。

 同時に、牙が、削り落としたはずのそれが、ずきずきと痛み始めた。


「私もかつて、そうやって力を与えられたんだ。吸血鬼の血は、互いに食い尽くしあうが、ドラキュリーナは、その逆だ。互いに尽くして、互いを高めあう。だからもし、私に何かがあれば、君が」



 ――きみが、わたしの血を、飲んでくれ。

 ――えぇ。そうする。あなたを、救う。


「貴様、牙と爪を……伸ばして……」

「落第生、だから……」

 ジルの頭はがくりと垂れ下がる。

 生のくびきから解き放たれたのだと感じた。彼女の苦痛は終わったのだ。

 別れを告げるように、最後の血を、喉に流し込んで。

 彼らのほうを、向いた。

 怯えたような、吸血鬼たちの視線。


 ……身体に、奇妙な震えがはしる。

 歪んだ悦び。自分はもう戻れないのだと分かる。それでもいい。

 口の端を曲げて、真っ赤な口で笑ってみせる、誰よりも派手な口紅。


「貴様、貴様ぁっ!」


 吸血鬼たちが、牙を剥き出しにして、飛びかかってくる。

 クドウは、こわくなかった。



 それは蹂躙の絵画だった。

 力を得たドラキュリーナは、通常の吸血鬼をはるかに上回る殺戮の力を得る。

 それが恐れられたからこそ、いびつな搾取構造が作り出されていたのだ。

 クドウがその爪と牙で彼らを引き裂き、首を引きちぎり、影から無数の蝙蝠を散らしていくなかで、吸血鬼たちは、その宿命を、自らの命で思い知ることになった。

 悲鳴を浴びながら、彼女は狂ったように笑っていた。ジルという名前だったドラキュリーナの身体は、いつの間にか砂になって消えていた。

 それでいいのだと思った、何にも脅かされることのない、真の永遠へと彼女は向かったのだ。

 ――さようなら、さようなら、ジル。

 何度も叫んで、やがて彼女は、吸血鬼たちを、殺し尽くした。



 学校を、森を抜け出して、旅に出る。

 吸血鬼に生き残りがいれば、自分を追いかけてくるだろう。


 ――自分は裏切った。二つの種族の、最悪の裏切者だ。


 どこか遠くへ行く必要があった。

 校門から、外界への最初の一歩を踏み出そうとしたとき。

 後ろを振り返った。

「あ、ああ……クドウ」

 級友たちが、呆然と立っていた。

 真っ赤に染まった自分を見て、すべてを察したのか。地下の情景を実際に見てしまった子も混じっていたかもしれない。

「どうしたの」

「あの……本当は。わたしが、言ったの。彼らに。あなたが寝静まった後、どこに行ってるか、って。誰に会っているか、って……」

「……」

 それを聞いても、さほど驚かなかった。

 誤差の範囲だ。

 告白した元級友は、気の毒なほど怯えていたが。

「そう。もう、どうでもいいわ」

「クドウ……」

「そのかわり。二度と私に関わらないで。名前だって呼んでほしくない。それだけ……じゃあね」

 なおも、声がかけられそうな気配がしたが、結局そうはならなかった。

 立ち尽くすドラキュリーナたちを、森の奥深くの屋敷に置き去りにして、クドウは、外界へと旅立った。



 その後、その場所には二度と立ち寄ることなく。

 何年、何十年、何百年と、時が過ぎていった。

 吸血鬼たちの追跡は執拗で、殺意と憎悪に満ちていた。

 それらをかわしながら、幾人もの従者を見つけ出し、そして別れていった。

 ただのひとりも、忘れていない。

 皆、本当に大切だった。


 二番目に新しい従者は、北欧の地で出会った少年だった。

 自ら境界線を越え、数十年。すっかり年老いた彼は、自らの意思で去っていった。

 その後の行方は知らない。



 そしていま、クドウは、遠く離れた東洋の地で、一番あたらしい従者とともにいる。


「ふぁ……せんぱい、あたし、かなり夜型になってきましたよ。そう思いません、久遠先輩」

 頼子は目をこすりながら言った。

 いまは、久遠だ。

「馬鹿ね。貴女は人間なんだから、眠れるときに眠っておきなさい」

「えー。あたしは眷属がいいって、言ってるじゃないですか。ほら、月だってちゃんと綺麗に見えますよ、あたしにだって」

 見上げると、窓からは、赤い月。


 そう、あの頃と、ちっとも変わらない。

 ――その昔、あの月光を合図に、あの人に会いに行ったっけ。


「そうね、本当に綺麗――」

 頼子を、そっと引き寄せようとした。


「……げ、見てください、先輩」

「……」


 雨が降り出して、夜と月を、汚し始めた。


 頼子は、せっかくのいい景色だったのに、と呟いている。

 久遠はそのまま空を見ている。


 こころのなかで、ある決意が、徐々に育っていく。 

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