第17話:HER:STORY【9】

 季節が流れて、何年も経って。

 何度起き、何度授業を受け、何度血を分け与えられ。

 なんど、共に踊っただろう。

 級友たちは時を数えたりなんてしないけれど、クドウはそれができた。

 ジルと出会ってから、それまで一枚の長い布のようだった時間が細かく刻まれて、そのひとつひとつが、自分にとって大切であるように思えていた。

 だから、クドウにとっては、この先の未来すべてが明るいものになると、簡単に確信できる土台があった。


 しかし、完全にそうならなかったのには、やはり理由があった。

 級友たちの間で流れる、うわさ。狼男。

 お互いを疑うなんてことは、決してあり得ない。だけど、あらぬ憶測を呼び込む可能性は常に傍にある。

 クドウは、何度も聞かれた。あなたは見ていないか、と。

 そのたび、級友は、安心したように微笑んだ。

 ――瞬間、自分に猜疑の目を向けていなかったか、気になって仕方がなかった。


 先生は言った。

 過去、愚かにも、吸血鬼とドラキュリーナの関係を超えて、境界線を壊そうとした愚かな者たちが居た、と。

 その末路を、彼女は語る。

 裏切りの烙印。種族からの追放。その果て、名づけ得ぬ者たち。どろどろとした不定形のかたちになって、終わりのない苦痛を味わいながら、誰にも認識されることなく、だれかれ構わず悪罵を吐きつける。

 そんな存在になると。そして、きわめて残念なことに、そんな例が、これまでないわけではなかったと、先生は締めくくった。


 単なる注意喚起のはずだった。

 しかし――クドウにとっては想像以上の効果を発揮した。

 一つの迷いが生まれる。


 私はこのまま――彼女と、ジルと共犯関係のままで、いいのだろうか。



 だからその日、級友たちの時間はぐっと緩慢さを増したように感じて、それでもなおたえしのび。

 「彼女たちにとっての夜」がようやく訪れたとき、クドウは忍び歩く速度をはやめた。

 変化の精度も上がっていた。いまは物音を立てずに隠し通路を通ることが出来る。

 一刻も早く、ジルに会いたかった。真実は、どんどん短く、後ろめたさを増していくあの時間のあいだにしかないのだから。

 ――ジル、待っていて。あなたに会いに行く。

 ――あなたが、もとめるかぎり。


 扉を、開けたとき。

 彼女は、やはりそこにいた。

 けれど。


 ジルは、絨毯の上に座り込んでいた。

 ブラウスの袖がところどころ裂けて、小さな傷が見えている。

 頭がぐらりとするのをこらえながら、近づき、顔をそっと覗き込んだ。

 ……彼女は、目に涙をためていた。


「ジル……」

 そこですぐに上を向き、かかった髪を後ろへはらうと同時に、もとの顔に戻ってみせたのは、彼女の強さだ。

「負けたのさ、決闘に。そこで、まぁ、ありとあらゆるたぐいのことばを、吐かれたというわけだ」

 肩をすくめて、おどけるように。しかし震えが隠せていない。

 クドウはにわかに、自分よりもずっと歳月を重ねているはずのドラキュリーナが、自分とまるで変らない、弱々しい存在であるように思えた。

 あるいはそれは、実はそうであるということを、これまでずっと自身で作り上げてきた鎧で覆い隠していたということだったのかもしれない。

「いったい、どうして」

「別に変らないよ。これまで通り、彼らは彼らで連帯を強めていった。周辺種族の脅威は更に高まるばかりで、我々の力をさらに強大にすべきだ云々。

私としては、そこにドラキュリーナが入っていなかったことが……まぁ、なんというか、腹が立った。だから、遠回しに嫌味を言ってやった。可能な限り、彼ら自身に非はないと、前置きしたつもりだったが……結果が、このざまだ」

「そんな、ひどい。彼らにとっては、あなたも同じ吸血鬼、なのに」

「だからこそ、さ。下等な存在であれば、どれほど醜悪な行為を晒したとしても、平気で見下してしまえる。だけど、同胞であるならば、脅威だ。結果として、対応が厳しくなる……自然の摂理だよ。忌々しい神の作り出した、ね」

 そこまで言ってから、彼女は自分の肩を抱いた。

 部屋のなかは暗く、既にベッドの下には、グラスがいくつも転がっていた。

 何杯、飲んだのだろう。自分の役目は、水を渡すことだ、と思った。

 そのまま立ち上がろうとしたとき。

 クドウは、袖を引っ張られて、引き留められる。

「……いっそ」

 小さな声。これまで聞いたことがないような。

「いっそのこと、何もかもが白日のもとに晒されたうえで、みじめになってしまえればよかった。私は、君を含めた私たち全体を、辱めてしまっている……」

「そんなこと……」

「ないと、どう言い切れる。『永遠』に飼いならされた者たちにとっては、ほんのひとしずくの過ちが、自分たちのすべてをこわしてしまう。愛するものも何もかもを巻き込んで。私はそれがこわい……」

 ジルは泣いてこそいなかった。

 しかし、言葉の通りだった。彼女は恐怖している。震えている。

 その身体にそっと腕を伸ばし、抱きしめることが、できたら。

 かつてないほど、いとおしいという気持ちが湧き上がる。だけど、あと一歩足りない。

「私たちはもう……会うべきじゃない。君を傷つけてしまうかもしれない。それだけじゃない。君たち、として吸血鬼たちすべてを、滅びに導いてしまうかもしれない……」

 言葉は続く。

「こんな仕打ちを受けても、どうやら私は、吸血鬼もドラキュリーナも嫌いになれない。どっちつかずの怪物だ」

 先生の言葉を思い出す。

 裏切りの果ての、不定形の怪物。

 あと一歩、あと一歩……。

「だから私は――」

「……ジルっ」

 その一歩は。

 クドウが、半ば強引に、奪い取った。

 前に進んで、くずおれる彼女を、抱きしめた。

「君は、」

「……っ」

 なかば、衝動的に。

 そのあとで、なぜそうしたのかを考えた。

 何を言うべきか。何をすれば、彼女は立ち直れる。わからない。

 でも、その一歩を踏み出せたのは。いま、ここまでの、ジルのことばだ。

「嬉しかった。ジルがそんなにも、話してくれて。悩んでたことも、こわいことも。それが嬉しかった。だって……怖いのは、自分だけだと思ってたから」

「クドウ……」

「いま分かったの。ドラキュリーナが前に進むために必要なのは。きっと、えらぶこと。そのために考えて、悩んで苦しんで。それが、わたしたち自身で、生きるってことなんだって」

「でも、私は、これまで……」

「ううん。あなたは生きていたよ。吸血鬼の姿になったことも、否定しないで。選んだことじゃない。そのなかで、頑張ってきたんでしょう。それを認めてあげて。自分を許してあげて……私も、私自身を、好きになりたい。

ジルと出会ったことを、心の底から……祝福したい」

 そこで、喉がつかえて、いつの間にか、泣いていたのは、自分のほうだった。

 背中が震えて、嗚咽が止まらなくなった。

「だから、だから……自分だけで、背負わないでよ。共犯者だって、言ったじゃない……」

 戸惑ったように宙を掻いていたジルの腕が、背中をさすってくれていた。

「参ったな……これじゃ、私が悪いみたいじゃないか」

「悪いよ。でも許す。私と同じくらい、悪いもの……だから」

「ははは」

「だから。これからも、一緒に。なにがあっても、一緒、だから……」

 そこで言葉が止まる。

 それ以上、言えない。すべてを出し尽くして、身体から力が抜けてしまう。

 このあと、この部屋で眠ってしまったとしても構うもんか。言うべきことを、すべて吐き出したんだ……。

「ああ、そうだな、クドウ」

「ジル、ジル……」

「何度だって呼んでくれ。私のかつての友が、いま、背中を押してくれている……君の名前で、彼女を塗りつぶしてしまうぐらいに、呼んでくれ……」


 状況は苦しくなるばかりで。

 明日にだって、この行き来が不可能になるかもしれなかったのに。

 いま、クドウには、この瞬間が絶対に必要だと思えたから、後悔はなかった。


 そのはずだったのに。

 次の日。

 クドウが、会いに行った時。



 ジルは、部屋に居なかった。

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