第6話:頼子のはなし【3】
……「クドウ」という女性と男は互いに顔を見合わせた。
少女はその姿勢のまま、哀願をはじめた。
実に奇妙な話だった。
――この子は、見たんじゃないのか。見てしまったんじゃないのか。
――君の周りには、血を吸われた男たちが転がっているんだぞ。声も出なかったのは、おそれからではなかったか。
だけど、頼子の口を突いて出る言葉は、今はもはや、歓喜と一体となって放たれていた。
恍惚……と言っても、よかった。
「あのっ……たぶんですけど。あなた、吸血鬼ですよね。あたしも、眷属にしてくれませんか」
実のところ。彼女はそれを見た瞬間、恐怖よりも先に溢れるものを自覚したのだ。
何か崇高なものを目にしたとき、ひとが自然におぼえる身震い。頭のてっぺんからつま先まで駆け巡るような、しびれるような甘い。
ひとことでいえば、見惚れてしまったのだ。恋をしたと言ってもいい。
その、クドウという女性に。異常な場所で、異常なことをしている彼女に。
なぜかは分からない。
――おとなの男たちがみな、彼女の足元に居るからか。
――それとも、ただ、この状況が異様であるからか。
どのみち、しびれるような甘い痛みと共にやってきたのは、確実にそうだと言える悟り。
――このひとは。
――あたしを、かえてくれる。
――とっくにこわれたあたしを、もういちどこわして、別のあたしにしてくれる。
――ずっと待っていた、こんな時を。
だから、この機会を逃すわけにはいかない。
震える身体を、空気で押しつぶされそうになる四肢を、少しずつ前に進めながら、哀願する。
「なんだってします。どんなにひどい扱いをされたっていいです。でも、あたし、他に選べないです。選びたくない、だから」
「おい、君……どうする、クドウ」
「……」
「クドウ」は、近づいてくる彼女に、少し眉をひそめる。
それすらも美しく見えるが、困らせてしまっていることも、わかる。
「もう……じゅうぶんよ、彼らを帰らせて」
「分かった」
初老の男が指を鳴らした。
すると、倒れていた男たちがゆらりと立ち上がり、来た時と同じような足取りで、階下へ向かい始めた。
……数十秒後。
その場には、三人しか居なくなる。
「すごい……」
「――君は」
男の声。振り返る。彼は続ける。
「眷属になりたいと言ったな。あまりにも軽率な言葉だ。自身の欲求のためにそれを言って、後悔しながら死んでいった奴らの名前で、墓場がいくつも埋まっている」
「でも、あたし……いいんです。いや、ほんとに。すっごいの、見ちゃいました。どうやったんですか。やっぱり、あなた、吸血……」
「……参ったな」
再び二人は顔を合わせたが、行動に出たのは、「クドウ」のほうだった。
「――貴女。こっちにいらっしゃい」
身体が、芯から麻痺する。
とろけるような低く、だけど、甘い声。
なかば反射的に、言葉に従った。
少しずつ、獣の姿勢で彼女の足元に近づいて、顔を上げた。
長い黒髪だ。雪のように青白い肌に、やはり赤い瞳と唇がよく映える。
どきどきする。なんだか不思議な、香水のような香りもする……。
指が伸びてきて、髪をかき分けて、頬に添えられた。
鋭い爪が少し当たる。冷たい、でも気持ちいい、ああ、その目が、くぎ付けにしてくる、心臓が破裂しそう――……。
「試験よ。逃げないでね」
その言葉と、ともに。
――頭の中に、濁流がながれこんでくる。
それは光景であり言葉であり書物に書かれた歴史であり叫びであり怒号であり血であり鉄であり、嘆きであり怒りであり、かなしみ。
はじめ、「彼女たち」が生まれた場所、どこかの国のどこかの薄暗い場所、徐々に自我を確立していくにつれて、自分たちが何を必要としているのかを知り、人々の首筋に噛みつくことを覚えて。その血を啜り、恍惚として。根城を築き、支配を影のように広げていって、噂が広まって、畏敬と共に語られるようになって。
何人もの無謀な者たちが討滅のために襲い掛かってきて、その次の日には彼らは眷属になっていて。さらに支配が広がって。
犠牲者たちの憎悪が戦争を呼び、多くの者たちが血を流したが、それすらも糧にして。
はじめは自分たちが確立されたことに歓喜して、何十年と宴を続けていて。
だけど、やがて彼らが自分に向けてくるものが憎悪でなく恐怖と不干渉になるにつれ、倦怠と憂鬱が自分たちの間に広がるようになり、不協和音が響き。
はじめ、小さないさかいだったそれが、やがて少しずつ拡大していって。
互いを憎み合うようになって。世界中に、影として身をひそめながら散っていって。それでもまだ、長い時を、永遠にも思える時を、人々の生き血を糧にして、過ごし続けている。
……彼らの、酸鼻極まる、歴史そのもの。
おそらく絶叫していただろう、もしかしたら、おしっこを漏らしてしまっていたかもしれない。
だけど、クドウの指から解放され、床にしりもちをついた時――頼子は、虚ろな目で、わらっていた。
そう、法悦にみをゆだねていたのだ。
「最高じゃ……ないですか」
心から、そう思っていた。
ああ、この人だ。
このひとが――あたしの、王子様だ。
おうじさまは、おんなのひとだった。
あるいははじめから、そうであってほしかったのかもしれない。
男たちをかしずかせるのは、どんな気持ちなのだろう、どんな悦びなのだろう!
「あたしのきもち……やっぱり、変わらないですよ……おねがいです、あたしを、あたしを……眷属にしてください」
初老の男が唸り、言った。
「眷属は不可能だ。
「でも、だけど、あたし、」
「――
クドウの、声。
男が振り返る。驚愕とともに。
「クドウ、それは……」
「……サジ。わかって」
二人は。
みつめあった。
長い時間。
他の誰にも、分からない時間。
……それが終わった後、「サジ」と呼ばれたその男は、何やら唸りながら、ゆっくりと後ろに引き下がった。
「貴女、どうやらこわれてるみたい」
「あ、はい、そうかもしれないです」
「……でも、それだけじゃだめ。あなたは、まだそれでも、ふつうのにんげん」
「じゃあ、どうしたら――」
「貴女に、宿題を出すわ」
指が、細くてきれいな指が伸びてきて、眼前に突き付けられる。
催眠にかかったみたいに、目が離せなくなる。
彼女は言った。
「これからすこし後。貴女の大事なものが何か、選ぶ時がやってくる。そこで、貴女は、私を選ばなくてはならない」
「はい、そんなのすぐにでも――」
「駄目。よーく、考えて」
指先は。
じぶんの、くちびるにふれて。
「あっ……」
「ね。約束」
「――はい……」
「ふふ……いい子」
数分後。
彼女は、工場をあとにしていた。
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