第3話:HE:STORY【後編】

 現実感が途端に失われる。

 空を見上げると、群青の中に垂らし込んだように赤色がまじって、それがまだらを作っている。遠くで雷鳴も聞こえるようだ。

 そんな中で無機質な鉄筋の灰色を晒している校舎は、出来の悪いCG画像のように浮いていた。

 ごくりと息を呑んで、足を踏み入れた。

 ――守衛が居なかったことを、なぜぼくは、疑問に思わなかったのだろう。

 その時点でぼくは、正気を失っていたのだろう。


 そこから先は、まるで、ユーチューブで音声だけが違法判定された映画の場面切り抜きのような時間。

 先ほど言った気味の悪い色彩だけが照明代わりの廊下には、何人かの生徒が歩いていた。


 彼ら――そう、彼ら。男子生徒たちは、しきりに何かを話していた。でもぼくには、それがなんなのか、何を話しているのか、まるで分らなくって。

 ただ彼らが、喜悦に顔をゆがめて、ぼくなどまるで居ないように振舞っていることだけは、絶対にリアルで。

 ぼくはそこでも阻害されていて。影として立ちはだかっている彼らのゆらゆらしたあゆみに邪魔されながら進まなきゃならなくって。

 彼らが、ある一か所に向かって進んでいることだけは、絶対に絶対に否定したくって。

 でも、ぼくの理性は存外に賢明なせいで……現実を、告げてくるのだ。

 他者を、「彼女たち」を侵害するとき、男たちは、そういう顔をするものだから。


「イヤだ……絶対に、厭だ」


 ぼくは、彼らとともに向かった。そこへ。その群衆に取り込まれないように叫び、自分は違うと訴えながら、鼻水と涙を垂らしながら。

 保健室のドアを、あけた。



「――あ、」


「あら……見られてしまったわね。恥ずかしい」


 そこには彼女が居た。

 カーテンで覆われていたところしか見たことのない彼女のほんとうの姿は、ぼくの想像していた通りで。

 長い黒髪も、青白いほどの滑らかな肌も、伏せられたまつげも、ぼくを魅了してやまなかったけれど。

 ぼくは反応が遅れて、ひざまづいた。


 というのも。

 


 


「あーあー、だから言ったのに」


 その傍で、もうひとり。

 夕暮れの柱に居た生徒だ。


「でも、悪いのは全部君だよ。ぜんぶほんとうなのに、なにひとつ信じようとしなかったのだから」



「あ……あ」


「ごめんなさい。あなたを騙すつもりなんてなかった。こんな事態は起きてほしくなかった――私は、あなたを完全に拒んでしまうべきだった」


「あ、あ……」


「だけど、これが私の真の姿――吸血鬼。男の血を吸うことで、生きている。何百年も」


「だから、こうして集まったんですよ。アワレな男子たち。本当に単純な、猿でも引っかかるような催眠なのにね」


「……」


「あなたとの出会いは偶然だったの。信じて。でも、あなたを『選ばなかった』のは、必然。あなたのからだでは、吸血に耐えられない……」


「ぼくを、騙した……」


「違う、ちがうの。偶然と言ったでしょう。だから、どうあっても、あなたを拒絶すべきだった。でも、できなかった。こんなことになってしまった。私は……あなたが語った言葉を、自分に引き合わせて考えてしまった。哀れなのは私なのよ」


「……」


「せんぱい。もういいでしょう。本当なら、こうして話すのも問題なんです。枯れ死ぬより『偶然』死ぬほうが偽装が簡単だと、教えてくれたのはせんぱいだったじゃないですか」


「分かってる」


「本当に、聞くんですか。ねぇ、この子、なんにもいいところないですよ。むしろせんぱいが忌み嫌う部類です。親も裕福だし、裏でどんなことだってさせてもらってるのに、文句ばっかりで。自分で自分を騙してても、不幸自慢が幸福自慢にすり替わっていても、気付かない部類の人間です。劣等なオスですよ」


「でも、それでも彼は、私の話を聞いてくれたの。だから、お願い――少しぐらい、私に希望を抱かせて頂戴」


「……はぁ」


「お願い」


「…………分かりましたよ。じゃあ、質問は一回だけです。それ以上なら、きょうはもう口きいてあげませんから」


「えぇ。約束する」


「……」


 彼女は。

 いや、そいつは、ぼくのほうを向いて、くちをひらいた。


「これが私。だけれど、あなたと言葉を分かち合ったのも、私……――もし、拒まずに、受け入れてくれるのなら、」


「――いやだ」


 問題外だ、こいつは何を言っているのか、理解できない、理解したくもない、気持ち悪い反吐が出る見たくない聞きたくもない。


「――……」


「いやだ、近づかないでくれ、ば、ばけ……」


「せんぱい――……諦めてね」


「ば、け、も、の、め、」


 直後、ぼくの首は、その少女が手に持った斧できりとばされ、

 

                         宙を



      舞って、







 ……――。


「あ~~~~もう、ほらみんな帰って帰って、明日になったら忘れてるから。また溜めといてねぇ」


「……」


「せんぱい、まさか本当に」


「この子、どうするの」


「え、ああ。はい。いつも通りですよ。ご同胞に処理してもらいましょう」


「……」


「はぁ……気になるなら、ちょっと飲んでみたらどうですか。喜びそうですし」


「……怒ってる?」


「そんなことないですよ」


「……うそつき」


「どうでもいいです。やるんですか、やらないんですか」


「じゃあ、ちょっとだけ」


「向こうむいてまーす」


「…………ん」


「どうでした? お味は」




「………………………………………………………………うすい」

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