第4話
〈旦那〉は庭先に置かれた肘掛椅子に腰掛けながら遅めの朝食をとっているようだった。少し離れていてもわかるほどに毛羽立った茶色い
「――プレシアドさん」
私は軒先の真下をゆっくりと歩きながら――遠巻きに顔見知りがいるのに気がつきつつもまるで気づいてなどいないかのようなそぶりで歩を進め、いざすれ違うとき発する、あの声の調子で――彼の名を呼んだ。するとプレシアド氏の背がぴたりと動きをとめた。彼はすぐに、胸もとにねじ込んでいたのであろう
「誰だあんた。アブンディオはどうした。おい、勝手に入ってきたのか。いま、わしの名前を呼んだな? モレロス派の
話が早い。私は率直に思った。《あたまがいいな》
「ご明察の通りです。そちらに座っても?」
「……わしは食事の途中だ。勝手に話してくれ。ろくでもない
プレシアド氏はそう言って
《これは意外というべきか――》
私は彼の
《――この
「アブンディオは。番頭がいただろう」
勝手に話せと言っておきながら、私が席につくやいなやプレシアド氏の方からぶっきらぼうに口を開いてきた。
「ああ、あの背の高い、頭の禿げ上がった?」
私は苦笑するままに答えた。
「そいつだ、その禿げだ」
「ええ、彼なら玄関のあたりでその禿げ頭を血で真っ赤にして倒れ伏していると思いますよ。こちらに下女かなにかいるのなら、そろそろ悲鳴が上がる頃合いでしょうな」
――玄関の方で甲高い悲鳴が上がった。
「殺したのか?」
木製の
白髪のまじったあたまは
「いえ、たぶん生きていますよ。この屋敷で殺しはするなと指示していますんでね、とりあえずのところですが」
「指示してもだ、死ぬときゃ死ぬ。はずみでな。ましてあんたらは革命とやらの真っ最中で殺しにゃ慣れすぎてるほどだろうしな。しかしまあ、死んでたとしてもだ、それはアブンディオの運の尽きってことだろうよ」
「死んでいたら謝りますよ」
「無意味だな。馬鹿なことを言うな。馬鹿げとる。さっさと本題に入れ。あんたらコマラ州方面では相当押し込まれてるらしいな。落ち目のたかりか!」
吐き捨てるようにそう言って、プレシアド氏は母屋の方へ首を傾げ叫んだ。「ドロレス! 茶を持って来い! ふたつだ!」
「いや、まずそれよりも先に申し上げておかねばならないことがありまして」
プレシアド氏はぎゅっと
「正午を過ぎても、
あらかじめ、プレシアド氏お抱えの用心棒どもは皆殺しにしておく手はずだった。密告によると《正午前後にゃ必ず数名が〈旦那〉の屋敷を警護するためやってくる》とのこと。やくざ者が何人死のうが問題ない。〈交渉〉は相手の手足をもいでからの方がなめらかに、心地よくすすむというものだ。
「解せんな。お手上げということか。つまらん話だ。欲しいものはなんでも持っていくがいいさ。わしの命が欲しいっていうならそれもしかたがない」
幽霊のように存在感の希薄な、枯れ木そのものの老婆が運んできた茶を、プレシアド氏は即座に引っ
「あなたの命を欲しがっている者もいなくはありませんが、あなたを吊るしてもね、なんの益もないどころか、そんなことは悪手でしかありませんよ」
「金と食料と武器か」
茶碗を意外なほど慎重に置いて、プレシアド氏はひとりごとのように言った。
「われわれの秘密の後ろ盾になっていただければと思いますよ。もっとも、秘密を明かしたところでね、さほども状況は変わりはしない。プレシアドさん、あなたが損するだけです。大損です。わかりますよね?」
「……わかるさ。だがそもそもだ、ここいらの役人にはあんたらとやり合う気概なんぞない。賄賂好きの下っ端ばかりさ。それにな、後任の神父が来ないままもう何年も経っとる。教会はただの寄り合い場だ。あんたらの大義名分と関わりようのないわしらが後ろ盾となることを強いられるとは滑稽に過ぎる。あんたらが一体全体どこからやって来た何者なのかは知らんがな、政府と教会の利権争いに乗じてぴょんぴょん跳ね回っているだけじゃないのか? 神やら信仰やら気軽に口にするが、それを理由に殺し合いをしおって、主もさぞや困惑していることだろう」
プレシアド氏はそう言い終えると腕で自分の茶椀を庭の方へ勢いよくなぎ払った。椀は割れずに地面を転がって草むらに入り込み、見えなくなった。
「プレシアドさん、われわれが欲しいのはおっしゃるとおり、金、食料、武器です。それだけです。《後ろ盾》などと言ってしまいましたが、言葉選びを間違いましたね。あなたにわれわれの闘争を理解してもらいたいわけではないんですよ。そうです。あなたは無関係ですとも。なんにもわかっちゃない。あなたはむしろ犠牲者といってもいいかもしれませんな。ところで、ミゲル・パラモとアレハンドロ・ヴィラロボスをご存知で?」
事は問答無用。プレシアド氏とわれわれの信条について論じ合いたいわけではない。私は話を変えた。ここから先は単なる世間話といったところだ。《気楽なものさ。それにしても、腹が減ってきたな!》
「知らんな。ふむ? いや……知らんな」
「そうですか? そのふたりはうちの若い衆でしてね、まさにこの集落の出身なんですよ」
「わしが知らんということは、ふむ、そいつらはむかしここから逃げたごろつきどもか? 以前、どこぞかでさらし首になったと噂話に聞いたがな。とすると、だ。ヴィラロボス……南東移民の姓……そうか……エステファニア・ヴィラロボスの兄が生きていたのか」
プレシアド氏はあっという間に記憶を組み立て直し、正答へといたった。
「ご明察の通りです! エステファニアのおかげで、こうやって私は安全にあなたと交渉ができたわけです。
「あの小娘が……なるほど。恩を仇で返すとはな。してやられたというわけか。もっとも、エステファニアの手引なんぞなかろうとも、あんたらは力づくでわしの財を奪えたに違いあるまいな。あの娘、母親が首を吊ったあたりから様子がおかしかったが、モレロス派のちんぴらをたらしこんだか。いや、兄のアレハンドロ・ヴィラロボスが接触したのか?」
「いえ、アレハンドロは成り行きのすべてに出遅れておりましてな、ああ、ちょいと話は逸れますが、は、は、は! 彼は妹の娼館送りにも、母親の
「神父? 神父だって? あの
そのとき、はっきりそれとわかる大きさで
「ひ、ひ、ひ! さすがに私らもね、ミゲルとアレハンドロのうつくしい幼年期の記憶に現実の泥を塗りたくるのは
「くだらん! だが、気をつけるとしよう。この世は恩知らずと恥知らずばかりだな。あんたらもだ。どいつもこいつもどうしようもない。そんなのばかりだから、
プレシアド氏は黒ぐろとした頭上の雲を見つめながら淡々とした口調で言った。私が微笑みながら無言でいると、ぐっとこちらを向いて身を乗り出し、一瞬、血走ったような凶暴な眼差しで
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