夢十夜的なやつ

@BottleMailer

第1話

 必死で走っていた。正確には、必死で車を走らせていた。

 道の両側には鬱蒼とした針葉樹林が広がり、道の先は霧に覆われてほとんど見えない。もし向こうから車が走ってきたら、大事故になるのは間違いないだろう。この道が一方通行ではないことを私は知っていた。

 しかし止まれない。スピードも落とせない。後方の霧の中から何かが追ってきている。振り返る暇はないが、後部座席で黙りこくる子供たちから伝わる緊張感は、予断を許さない状況であることをなによりも雄弁に伝えていた。走るしかない。走ることしかできない。必死で走らされていることそのものが罠である気もしていたが、それでもアクセルを踏む。銀色の車体が霧を裂いて走る感覚だけが私を勇気づけていた。

 霧の向こうからふらりと女の子が現れた。かろうじてハンドルを切りながら、私は叫ぶ。

 「乗りな!」

 車を止める必要もなく、助手席のドアを開けただけで女の子は飛びこんできた。きちんとシートベルトも締める。白いワンピースにおかっぱ頭。わたしを見上げて、安心したようにちらりと笑顔を見せる。

 なにかが私の頭をよぎった。

 しかし、見た目がか弱い女の子だというだけで、好かれて悪い気はしないし、無条件で助けたくもなるのだ。私はすぐに考えるのをやめた。走るしかない。走ることしかできない。必死で走らされていることそのものが罠であるとしても。

 追ってくる何かと、一時的に距離が開いたような感覚はあった。だが、追跡を諦めたわけでもなさそうだ。ほぼ一直線に見えてときどき緩いカーブを繰り返す道を、霧を裂いてひた走る。

 またなにかが頭をよぎる。そう、そういえばこれは撮影ではなかったか。新車が森の中を颯爽と走り抜けるだけの、シンプルなテレビCM用の映像を撮るために、この車は用意されたのではなかったか。撮影前に参考として見せられた、写真や合成CGを思い出す。

 しかし、いつになったら止まれるのかは思い出せない。いつ乗ったのかも思い出せない。

 その時、突然視界が拓けた。

 霧はすべて一瞬で空に逃げたかのような重たい曇天。

 目の前には、見渡す限り辛気臭い緑色の蓮の葉が広がっている。その下に泥沼があることはわかっていた。道なんてどこにもなかった。

 思いっきり踏んだのはブレーキかアクセルか。車は一瞬浮いた後、蓮の群生の中へ鼻先から突っ込んで行った。窓ガラスに深緑の蓮の葉が押し寄せ、叩きつけられ、ばさばさと不穏な音を立てる。泥の中でタイヤが空回りする感触が、はっきりと足の裏に伝わってきた。

 途端、助手席に乗せた少女が爆発するように笑いだした。首を逸らして、おかっぱ頭を背もたれにこすりつけるようにして、げらげらげらげら笑っている。

 ああ、やっぱり。

 後部座席の子供たちは声もない。最初から乗っていなかったのかもしれない、とふと思うが、もはや振り返る気にもなれない。フロントガラスはどんどん蓮の葉に埋もれ、車内は暗くなっていく。

 私は諦めてハンドルから手を離し、その手を、笑い転げる少女の首へと伸ばした。



目を覚ました。1日目。

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