第96話 ニコラスの夏休み①

 カルルク帝国首都ベラサグン。


 カルルク帝国内でも最も名誉あるオリビア学園は、先帝オリビア・カルルク陛下によって設立された。

 学園には魔法学科や騎士学科、レンジャー学科、そして近年、新たに設立された最新の魔法機械学を学ぶことが出来る唯一の総合学園である。


 学園周辺は閑静な住宅街が建ち並ぶ首都の繁華街とは違った落ち着いた場所になっている。


 学園が夏休みに入ると、学園の周囲には生徒達がいなくなるため少し寂しい雰囲気になる。

 だがそれも毎年の事、若者がいなくなるのもまた風情と言わんばかりにゆっくりとした時間を楽しむ住民もいる。


 ニコラスはアベルとゴードンを伴い、そんな街中を歩いていた。


「やはり、あの魔法道具屋は建物だけ残して跡形もなく消えていたな」


「はい殿下、今は普通の道具屋といった感じですね、新しく開店した店は首都中央でも有名な系列店ですのでむしろ安全でしょう」


「アベル、君はそう言うけどな、前だって長年オリビア学園の公式魔法道具屋だったのだ。マーガレット先生ですら長い間、疑いもせずに利用していたのだから」


 そう、ニコラスだって違法な店には出入りしない。ちゃんと認可の降りた店だから信頼して買い物をしていたのだ。


「……なるほど、では今回の事件は殿下を狙うためだけの行動だったと?」


「その通りだ、ゴードン。考えられる理由はそれしかないし、兄上もその線で操作をしている。……だが、僕にその価値があるのだろうか。

 たしかに俺は皇子だが、ハヴォックという旧エフタルの闇の執行官。

 奴の尊大な野望は、例え僕を乗っ取ったところでどうにもならなかっただろう、政治の中枢になんて俺は入れないんだから……」


「ご謙遜を、殿下の才能なら卒業後の要職など容易ではないですか。むしろどこの派閥にもついていない殿下はそれこそ何者にもなれるのですから」


「ふ、それは俺が有能だったらという話だろ? 無能な僕では何もできないだろうさ。

 まあ、ハヴォックもそこまで計画性があったとは思えないし、奴が道具屋を操ってまで俺に箱を空けさせたとは考えにくいな……」


 ニコラスの考えでは、ハヴォックはおそらくは捨て駒だったのだろう。


 ということは黒幕は別にいる。魔法道具屋の店主がそうだとは言えないが関係者であることは間違いない。

 あるいは既に店主は消されているか。


 どちらにせよ、黒幕は逃げているのだろう。

 せめて何か痕跡の様なものがあれば……。


 新たな道具屋には当然痕跡などなかった。

 だが、今日は調査よりも夏休みを利用していろいろと調べたいこともあるのだ、その為に今日はこの店に来た。


「殿下、ようこそ、今日は何をお求めですか?」


 新たな店主は皇室との取引も何度かあるため、ニコラスとも顔見知りである。


「うむ、今日は鞭を見せてくれるか?」


「鞭ですか……、乗馬でも始めるのですか?」


 ニコラスはインドア派であって乗馬は好きではない。


「……いや、少し調べたいことがあってな。古代史研究の参考にしたいんだよ。

 乗馬用じゃなくて武器として使われていた、そう、古い鞭とかあるかな? 昔、奴隷を拷問するときに使用していたような鞭」


「はあ、うちは古道具は扱ってませんので奴隷用のはありませんが、似たようなのはいくつかそろえております、現在では形を変えて魔獣用の武器としての鞭はいくつかあります、正直素人には難しいと思いますが……」


「いや、実戦で使う訳じゃないよ。あくまで学問の探求のためさ。……僕の恩人が鞭を使ってたのもあってね。夏休みを利用して本格的に調べようと思ったんだよ」


 ニコラスは商店に並ぶ鞭を見て回る。


 鞭は外皮を持つ北方の魔物に対して使われる武器の一つ、力の弱い商人でも比較的小型の魔物であれば撃退できる事から護身用として重宝される。

 殺傷力は無いものの、独特の破裂音と皮膚を切り裂く痛みは護身用として最適だからだ。

 もっとも過去には拷問のために人に対して使われた歴史もある。


(あの方の鞭に痛みは無かった。いや、一瞬は痛かったのだが僕を乗っ取ったハヴォックを通じて感じたのは……とてもいい気分だった。やはりそこからあのお方に近づくべきだろう)


「おや、ニコラス殿下。鞭に興味があるとは、魔獣使いにでもなるつもりですか?」


「イレーナ先生! こ、こんなところで会うとは。……いえいえ、興味というか、歴史の勉強の為ですよ。

 奴隷商人が使ったとされる鞭とはどういう道具だったのか、ちょっと現物を見てみたくなりましてね、残念ながらここにはないようでしたが……ははは。

 ……ところで、先生は買い物ですか?」


 珍しく早口でしゃべるニコラスにイレーナは少し違和感を覚えた。

 別に鞭はいかがわしい物でもないのに、彼の反応はいかがわしい物がばれたときの男子の定番の反応だったのだ。


 とはいえ殿下の趣味については教師であっても踏み込むべきではないと、イレーナは何事も無かったようにニコラスの質問に答えることにした。 


「いやー、実はこの間ちょっと無茶しちゃってねー。ソロ討伐なんかやっちゃったもんだから、破損した装備品の補充に来たのよー。

 ……でも、考えてみたら鞭も選択肢に入れてもいいかも、ある意味魔法使いの装備としては理にかなってるかもね、使ってみて良さそうだったら冒険者の皆にもお勧めしようかしら」


 こうしてニコラスはイレーナの勧めで無事、魔獣除けの鞭を購入したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る