第58話 憎悪の君の祝福⑤

 ニコラスが召喚した亡者の処刑人は、首を刎ねられるとそのまま塵となり一瞬で消えた。


『さてソフィア殿の処刑人よ、そなたの任務は終わった。マスター、よろしいですな?』


「うん、ソフィアさんの為だもの。処刑人さん、ご苦労様でした。あなたの武勲はソフィアさんにちゃんと伝えておくわ」


 ソフィアが召喚した亡者の処刑人は、横たわるソフィアに向けて騎士らしく剣を構え一礼すると霧となって消えた。


 ソフィアは既に意識を失っていた、魔力の消耗が限界であったのだ。


 そうとう無理をしていたのだろう。ルーシーはソフィアの額の汗をハンカチで拭う。


 戦闘が終わり静寂が訪れると、部屋の奥から声が聞こえてきた。


「くそ、良くもやってくれた。こいつといい、貴様らと言い。せっかく目覚めたというのに。どいつもこいつも俺の邪魔をする。許せんなぁ!」


 ニコラス皇子が立ち上がる。ふらふらとしている。動きは遅い。人格が入れ替わったといえ、今だニコラスは抵抗しているのだろう。


「くくく、今回は失敗だったか。……だがな、ふ、ふふ。せめて俺の爪痕を残さなければな。

 ……聞け! 我は呪いのドラゴンロード・ルシウス様の眷属にしてエフタル王国、闇の執行官ハヴォック。我は、闇を探求する者。

 闇はどこにでも存在するのだ、ああ、偉大なルシウス様、憎悪の君。貴方様の眷属として最後に大きな花火を上げましょう。

 ……極大暗黒魔法。最終戦争、第二章、第二幕『飢餓』!」


 ニコラスが両手をかざすと黒い玉が出現する。それはゆっくりと少しずつ大きくなっていく。


『マスター、まずいですな。このままでは周囲は誰も住めない腐った大地になってしまいます』


 極大魔法の一つ『飢餓』の効果は大地を腐った沼に変える恐るべき魔法。


 作物はもちろんの事、沼から生み出される毒の瘴気によって誰も住めない土地と化すのだ。


 極大魔法を使える者の中でも、習得できた者はごく一握りに限られる禁呪の一つである。


 やがてニコラスを中心に黒い魔力の靄が溢れ出る。靄に触れた床や壁は黒い濁った泥と化していく。


『マスター、時間がありません。逃げるか、あるいは彼を殺すの二択です。魔法が完全発動するまえに結論を!』


 ルーシーは悩む。逃げても周囲には被害は広がる。だからと言ってニコラス殿下を殺してしまうのは有り得ない……


 そもそも、ルーシーの目的はニコラスに魔法が使えることを報告しようとしてここまで来たのだ。


 なんでこんなことになってしまったのか……。


 イラっと来るルーシー。いくら皇子様とはいえ、なんて理不尽。ソフィアさんにもとんでもない迷惑をかけて。


 ここはお仕置きの一つでもしてやらねばと思った。


「そう、お仕置きだ……。ソフィアさんがこんなことになったのも全部殿下のせいだ。殿下にはお仕置きを受けてもらいます!」


 ルーシーは立ち上がり、今まさに魔法が完成するであろう、黒い靄に包まれたニコラスに向かって全力で走る。


『なるほど、マスター。我もお供します』


 ルーシーは右腕を突き出し、黒い靄の中に腕を入れる。

 衣服は靄に触れた瞬間、袖から肩までの部分が全て泥と化した。ルーシーの右腕は素肌が露出するも。ルーシー自身には何も問題ない。


 極大暗黒魔法『飢餓』の魔力に直接触れたものは、術者以外は生き物だろうと植物だろうと全て泥と化すがルーシーには耐性があるので問題なかった。


 黒い靄はルーシーの全身を飲み込むが、お構いなしに素手でニコラスの頭に触れると叫ぶ。


「殿下! お仕置きだー! 行くぞ! 呪術『地獄の女監獄長』!」



 ◇◇◇



「ここはどこだ!」


 ニコラスを乗っ取った闇の執行官ハヴォックであったが、魔法の発動中に一瞬意識を失ってしまった。


 ニコラスに身体を奪い返されたと思ったが。そうでもない。

 ハヴォックは自分の意思で手足を動かせることを確認すると安堵する。


「……ふむ、意識は乗っ取った。若干まだあがいているようだが押さえ込めている。……だが、ここはどこだ? ……牢獄? ちっ! しまった。 『千年牢獄』か、……面倒くさいことになった。

 100年ぶりに蘇ったというのに。また1000年も身動きが取れんとはな……。

 まあいい、せっかくの時間だ。この身体を完全に支配した上で堂々と世に出ようではないか。100年耐えたのだ。1000年とて大したことはない」


 やがて牢獄の鉄格子が開く。

 薄暗いが、何者かが入ってきたのは足音で分かる。


 ハヴォックとしては自分の置かれた状況は理解している。術者に圧倒的に有利な空間なのだ、抵抗など意味はないと。

 そして、やってきたの間違いなく自分に千年牢獄を掛けた術者だろう。どんな奴か見てやろう。呪術の上級者、碌な奴ではないだろう。だが説得次第で懐柔できるかもしれないと。


 牢獄に明かりが灯る。蝋燭の火が灯ったのだろう。ゆらゆらする明かりに照らされながら術者の正体が露わになる。


「おお! なんと、禍々しい姿か」


 ハヴォックが見たのは二人。片方は長身の黒いローブを纏った骸骨。

 これは先程もみた、おそらくは闇の召喚術の一種だろう。


 ならば隣の女が術者ということか、マスター級の魔法使いのアンデッドを使役するということは実力は本物のようだ。


「俺をここに閉じ込めたのはお前か。いや、参った、降参だ。取引でもしようじゃないか。貴女は随分と闇の魔法に造詣が深いようだ。ぜひとも仲良くしたいところだ――」


「おだまり!」


 パシン! 床に鞭を打ち付ける音が牢獄に響く。


 その者は、全身を黒いレザーのボディースーツで身を包み。深く被る黒いレザーの帽子からは美しい灰色の髪がこぼれていた。


「我は地獄の女監獄長である。さて、ニコラス殿下。お仕置きの時間ですよ?」


 ハヴォックは息を呑む。幼さは残るが美しく禍々しい姿。

 目の前でくるくると鞭を弄ぶ仕草、感じる黒い魔力の威圧感。そして虫けらを見下すような目は、かつての主人であった呪いのドラゴンロードを思わせたのだ。

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