第59話 憎悪の君の祝福⑥

 ルーシーは羞恥心に耐え、目の前のニコラス殿下を乗っ取った何者かに対峙していた。


 だが、上手くいった。ニコラスの極大魔法はキャンセルされて、この牢獄にとらえることができたのだ。


 しかし、この衣装は良くない。全身黒ずくめはまだいい。黒はルーシーの好みの色だ。


 だが肌に密着するピチピチのレザーのボディースーツ。

 身体の線がはっきりと出て、これでは裸と同じだ。はしたない格好を人前にさらしてしまうのに抵抗があるのだ。


 しかし、今は地獄の女監獄長として役になりきらないと、でも恥ずかしい……。

 ふと父の言葉を思い出した。あれは豪華客船に乗るためにドレスをおねだりした時だ。

 黒のドレスを選んだ時、弟は反対していたが父は違った。


「ルー。お前は何を着ても可愛い。どんな衣装もお前が着ればたちまちパーティードレスになる、自信を持て」


 パシン。鞭を床に叩きつける。そしてルーシーは自信を取り戻す。ならばルーシー・バンデルは地獄の女監獄長を演じるのみ。

 あくまで演技であるので。自分とは大前提別人だ。


「さーて、皇子様。いいえ、醜い豚さん。少しおいたが過ぎたかしら? それに頭が高いわね? お跪き!」


 パシン。再び床に鞭を叩きつける。


 ニコラス殿下は直ぐに跪く。


 思ったより素直な態度でルーシーは少し引いた。

 少しキャラを変える必要があるのでは。もし小説『地獄の女監獄長』の原作通りに靴をお舐めと言ったら、本当になめられてしまうだろう。


「貴女様に逆らう気はございません。私は敗北しました。この先は御身のおっしゃる通りにいたします。何なりとご命令を……その美しいおみ足をなめろとおっしゃればよろこんでそう致しましょう」


「ひっ!」


 ルーシーは思わず声を漏らす。あまりの気持ち悪さに背筋がぞわぞわとする。

 だが冷静に。今は地獄の女監獄長を演じるのみ。でなければ羞恥心に負けてしまいそうだった。


「ほーう? ならば忠実な豚さん。お前は私に何をしてほしいのかしら? 言ってごらんなさい? 私は豚さんの言葉でも、ちゃーんと理解できるのよ?」


 ニコラスは跪きながら、語りだす。


「私は、エフタル王国、闇の執行官ハヴォックと申します。今はこの未熟な身体に甘んじていますが、かつては呪いのドラゴンロード・ルシウス様の眷属として、エフタル王国で様々な活動をしておりました。

 ある時はロードの為に生贄を探し、ある時は不穏な輩の暗殺など――」


 話は続く。どうやらハヴォックという奴はハインドの数代前の先輩のようである。

 ルーシーの頭では詳しいところまでは分からなかったが、かみ砕くとこうだ。


 彼は呪いのドラゴンロード・ルシウスのパシリであった。


 そして、執行官在任中は様々な悪行を繰り返していた。

 執行官を引退してもパシリは止めずに積極的に生贄を見つけては、様々な呪いの魔法の実験台にしたそうだ。

 晩年、あと一歩で転生の魔法を完成させる所で次代の執行官に見つかり、不完全ながらも魔法の宝石箱に自分の魂を封じて今に至るそうだ。


 つまりはクズだ。ハインドだって生前はクズだったが、クズにも上がいたのだ。


 そして、今はルーシーの為に何でもすると言っている。だからここから出してほしいと。


 話はまだまだ続きそうだったが。ルーシーは我慢の限界だった。


 奴は自分の為に若い男の生贄を手始めに数人用意すると提案してきたのだ。


 手に持つ鞭を力強く握りしめる。皮の手袋と鞭が擦れ、ぎゅぎゅっと音をたてた。


「この豚がぁ! 私がそんな事を望むわけないだろうが!」


 大きく振り上げられた鞭はハヴォックにめがけて勢いよく振り下ろされた。


 パシーン! 大きな音が牢獄に広がる。『ひっ!』と隣のハインドは声を漏らす。

 

 だがハヴォックの反応はルーシーの想像の斜め上だった。


「ひいん! 気持ちいい! ああ、心が浄化されるようだ。もっとご褒美を! 女王様――」


 ルーシーはドン引きだった。


「ひっ! なんだこいつ! 気持ちいいだと? 私は気持ち悪いぞ!」


 ルーシーは続いて鞭を振るう。台所に這う気持ち悪い虫を叩き潰すかのように。

 だが、それでもハヴォックにはご褒美でしかなかった。


「ああ、もっと、この浄化される感覚。ああ、私はこのために今まで生きていたのだ……ああ、憎悪が消えていく、私は今まで……一体何を……」


 そしてハヴォックは意識を失いその場に倒れた。


『む? マスター。ハヴォックとやらの魔力が完全に消滅したようですな。……ふむ、さすがはマスター。その鞭には呪いを浄化する効果があったのですな。さすがは我がマスター。感服いたしました』


「ふぇ? そうなんだ……。ま、いっか。ニコラス殿下は助かったってことでしょ?」


『はい、しばらくすれば目を覚ますでしょう。さて、ソフィア殿が心配ですので元の世界に戻るとしましょう』


「そうだね、そっちのが心配だ。では、魔法を解除しないと……ってあれ! 周りがもやもやする……」


『むう、マスター、いけませんな、魔力枯渇をおこしてしまったようです』


 ハインドは、気を失い倒れるルーシーを抱きかかえると、そっと床に寝かせながら消滅した。


 ◇◇◇



 目を覚ますニコラス。


(俺は……助かったのか……)


 ニコラスは今までのことはぼんやりとではあるが憶えている。

 とんでもないことをしてしまったと後悔はしたが、それでも未遂に終わってほっとしていた。


 カルルク帝国の民に被害が出なかったのだから。


(それにしても、あの女監獄長は何者だったのだろうか、カッコよかったな……)


 自分を助けてくれた謎の女監獄長に思いを馳せるニコラス。


 だが現実に戻らなければと周囲を見回す。


 家の中は崩れた壁や食器棚にテーブル。そして床には大きな穴が開いていた。


 起き上がろうと床に手をつくニコラス。

 だが、なぜか柔らかい感触が手の平に……。


 はっとして目を手元に向ける。

 

 そこには一人の少女が眠っていたのだ。しかも全裸で……。

 

「お、お前はルーシー・バンデル! なんで裸で!」


 反射的に手を引っ込めるニコラス。温かい人肌の感触はまだ手に残る……。


(俺はなんてことを、未婚の女性の裸を見てしまった。いかん。何か服を……)


 動揺するニコラスは上着を脱ぎ、とり合えず彼女の裸体を隠そうとする。


 だが、次の瞬間、頭部に鈍器で殴られたような衝撃が走った。


「殿下! 見損ないました。あなたって人は! ルーシーさんになんてことを! これは大問題です。皇室裁判に訴えます!」


 ソフィアは、空になったポーションの小瓶を手に、わなわなと怒りに震えていた。


「ち、違う。これは誤解だ! 弁明をさせてくれ!」


 誤解の弁明は、ポーションの小瓶が粉々になるころには解決した。


 数分後、ルーシーが目覚める。

 毛布をどけると自分が裸であったのに驚くが、側にいたソフィアは屋敷にあったメイドの普段着であろうワンピースを用意してくれていた。

 ルーシーはそれを着るとソフィアと共に屋敷の外に出る。


 ニコラスも執事とメイドに掛けられた奴隷の首輪を解除すると彼らと共に外に出た。


 家の外には皇室騎士団が待機していた。


 ちなみに、ニコラスの取り巻きであるアベルとゴードンは手足を縛られた状態で食糧庫から発見された。

 ハヴォックは直ぐに生贄として殺すべきと提案したがニコラスはそれを拒み、人質として利用価値があるとハヴォックに説得していたのだった。 


 幸いに死人はいない。

 ニコラスはおとなしく、兄である皇室騎士団団長のもとに向かうのだった。

  

 ――第四章完。



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