弔い②───冴えないやり方

「私の部屋に行こうか」


 靴を脱いで、二階へ上がる。

 彼女の部屋には、虫の標本や、動物の骨格模型や、魚拓が、所々に飾られていた。


「私は、生物全般が好きでね」


 だが、クローゼットだけは空いていた。

「急いでたんだよ。気にしないでくれ」


 笑いながら言う、赤いワンピースの彼女。

 白魚の指で、甲虫の死骸を持っていた。


「この子に興味があるなんて、筋金入りの虫好きだね、君は。……まあ、ここに座ってよ」


 言われるがまま、少女の向かいに正座する。


「私と君の仲だろ?もっと気楽に行こう」


 といっても、数日の関係だが。


「少なくとも、部屋にあげても良いくらいには、君のことを想ってるんだよ」


 わけのわからないことを、灯奈は言うが、やはりその笑顔は、安心できた。


「……なんで灯奈さんは、ぼくに笑うの?」

 思わず聞いていた。


「それは、君を好ましく想ってるからさ」

 好ましい、というのが好きということは、彼にも分かる。だが、不可解が余計に増えた。


「じゃあ、なんで。なんでぼくが、虫の死骸を取るときも、そこからアリが出てきて、つぶしちゃうときも、どうして笑ってたの?」


 唇の端を、薄く広げた、笑顔を作る灯奈。


「ぼくが、おかしなことをしたのに、止めてくれなかったのは、どうしてなの?」

「……それはね、虹人くん。私が、とても嬉しかったからだよ。君は、私と同じなんだ。私はね、君の先輩なんだよ」

「どういうこと?」

「私もね、君と同じ怒りを抱えている。死んだ生物が食い荒らされるのが、とてつもなくムカついて仕方がない」


 その怒りは、正しく見えた。だって守ろうとしてるのは、正義だと教わっていたから。

 姉が、自分を「優しい」と言っていた理由がわかった気がした。


「……灯奈さん。それは、優しいの?」

「いいや違うよ」


 だが即答された。


「真逆だよ。自分の見た死んだ生き物が、自分以外のモノに食われてるのが嫌というなら、それは義憤ですらない独占欲……自分のものが、自分以外のものになるのを許せない。そこに、「弔い」がついただけ」


 生きてるうちは誰に殺されたって良いけど、死んだものは他人に始末させたくない。そんな終わり方は、許せない。

 ただの、わがままだろ?


「それは変じゃないの?」

「変だけど。これくらいのワガママは、隠しておけばほっといてくれる。死に対するスタンスだって、犯罪をしなければ問題はないよ」


 話が逸れたね、と彼女は言う。


「さて、本題だ。虫の弔い方を教えるよ。

 まず、手本を見せるね」


 灯奈は正座になる。

 ポニーテールが、ふわりと揺れた。

 

「虹人くん。……私は、目の前で死んだ生物を見たときにはね」


 灯奈は三日月にしていた唇を。

 すとん、と落とし。

 白魚の五指で、死骸を掴む。

 

「いつも、こうしてるんだ」


 もう片方の手でツノを手に取る。次に枯れ木のような音がした。少年は思わず息を止めた。丸くした目が限界まで見開かれてしまう。


「まだ足りない」


 静かな声の後、細い足を一本一本ちぎる。

 ぷちぷち、ぷちぷちと、小気味いい音。


「ここは、こうする」


 関節に沿って顔の部分と胴体を割る。

 左の羽を、黒い甲ごと引きちぎる。

 硬い音が鳴り、分離した。粘着質の、腐ったヨーグルトのような白い液体が、カブトムシの背に開いた空洞からどろりと抜け落ちる。


「あ、」


 虹人は、思わずそれを両手で掬った。薄羽が白濁に汚れたが、どうでもよかった。


 顔を上げると、頬を赤らめた彼女がいた。

 先ほどまでの無表情はどこかへ消えていた。


「虹人くん……」

「な、な、なにを!!」


 真っ赤になる少年に、「君も手伝ってよ」と灯奈は言う。


「右の羽を、千切ってくれる?……君に、してもらえると、うれしいかな」


 ひれ伏すように虹人は頷いた。

 灯奈は、満面の笑みを見せた。

 甲殻に手をかける。

 金属に触れているようだ。


「えっ、と……」

「羽の付け根ごと」

「は、はい」


 彼女は、安心したように笑っていた。

 

「優しく、だよ。そう、上手だ。……ああ、そこは軽く持ち上げてみて」

「わかっ、わかりました……」

「敬語じゃなくて良いよ。言葉より、指先に集中してごらん。

 私が、ぜんぶ教えてあげるから」

「う、うんっ」

「ふふっ」


 言われるままに、羽をもぎ取った。

 その間、灯奈の顔をなんどか見る。そのたび、心から安心したような笑顔だった。


「できたっ」

「お疲れさま」


 羽の裏地の、繊細な感触まで味わう虹人。


「ああ……」


 真新しいセミの死骸、薄緑の羽の心地よさとよく似ている───と、ここで少年は疑問に思う。

 バラしたこれらを、どうするんだろう?


「……燃やす?」

「それもアリだね。毒のある場合は、しぶしぶそうしているよ。火葬も葬儀だ。

 だけれど、もっと目的にあったものがある。

 他者に食い荒らされるのが嫌。

 他者に汚されるのが許せない。

 だったら、」


 赤いワンピースの彼女は、右手を持ち上げ、


「これが一番だ」

 

 口元に持っていって。

 飲み込んだ。

 節分に、年の数の分の豆を、子どもが一気に食べるように。


「うっ……かふっ……」

「ぁ」

 

 枯れ木のような音が、灯奈の口の中から響き渡って。


「……ごく、ん、ぅっ」


 飲み干していた。


「…………た────。た、え?」

「……おえっ、けほっ、ぶ、げほっ!げほげほ、うっ、ぶ……っ」

 

 灯奈はむせている。

 右手で口を押さえて、ひどく、苦しそうに。白い顔を青ざめさせて吐きそうだった。切れ長の目の端に、涙が溜まっていた。初めて見た。


「だ、だいじょ……」

「大丈夫。……弔ってる最中に、吐き戻すわけにはいかない」


 深呼吸を繰り返したあと。


「……さあ、虹人くん。やってみようか」


 涙目の、上気した笑顔に、少年は頷いた。

 

 内臓の染み込んだ薄羽を、口に入れる。

 案外味はなかったが、水っぽいスライムのような食感と、土臭さが堪えた。

 飲み込む。

 食べることで、ただの死んだカブトムシが、己の中に巡って、自分の血肉となっていく。想い出となるという、実感を得た。


 ……ああ、こうすれば良かったのか。


 虹人は、笑いながら涙をこぼした。


 それから少し、灯奈と話をした。


 家を出る。

 湿った夏の夜風が、心地よかった。

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