弔い①───昆虫ショップへ

 その日は、姉も灯奈も予定が空いていなかった。なので、夕方から、虹人は部屋で課題を進めていた。

 算数のドリルはまだしも、漢字のノートは写すだけになるので、苦痛で、すぐ飽きがくる。

机から離れて、外を見た。

 空は正しく赤く、太陽は西の空にあった。

 少年は、目を逸らすように、住宅街へと目を向ける。


「……あれ?」


 見覚えのある影が、道を歩いている。月光のように儚く白く瑞々しく。セーラー服を着た、黒髪のポニーテール。

 それは、虹人の家でも、公園でもない方へ歩いていく。たしか、あの先にあるのは、

「昆虫ショップ……?」


 気になった少年は、親に言って外へ出る。

 裸足のまま靴を履いて、走り出した。

 100メートルほど進み、彼女の、細い背が、近づく。と、灯奈は振り向く。


「ん……虹人くんじゃないか。どうしたんだい、そんな足音を立てて」


 冷涼な声が、こちらに向けられた。


「偶然、見えて、追いかけ、てきたんです」

「……へぇ、そうなんだ」

 灯奈は、切れ長の目を、見開いた。


「昆虫ショップに行くんですよね?」

「一緒に来るかい?」


 灯奈はいつものように手を差し伸べてくる。

 少年は、ためらわず握った。

 五百メートルほど進むと、昆虫ショップに着いた。

 灯奈は、入り口で、「ただいま」と言った。


「ただいま?」

「ああ、ここ、私の家だよ」


 と、我が家のように入っていくので、灯奈の家だと理解した。

 灯奈は、レジで寝ている男を指差す。昔、見たことがある顔だった。


「……悪いけど、ちょっとここで待っててもらえるかい?」 


 二、三分して、店の奥から、氷水を持って戻ってきた。先ほどまでのセーラー服から、赤いワンピースに着替えていた。

 見たことのない姿だった。


「……カッコいい。綺麗」


 言うと、何やらくぐもった声が聞こえた。顔を上げると、灯奈は立ち上がっていた。


「まだ寝てるし、代わりにやってやろうか」

「なにをですか?」

「飼ってる虫の見回りだよ。一緒にやる?」


 手を引かれて歩く。ガラス箱の中で、図鑑で見る虫が実際に動いていた。


「あれがヘラクレスオオカブト……ミヤマクワガタ……あれは」


 少年は、キラキラと輝く藍色の蝶を、まるで星に対するように指さす。確かあれは、


「モルフォチョウだね。ウチの一番人気だ」

「すごく、かっこよくて、きれい」


 モルフォチョウの、生物的な瑞々しさと、金属的な硬質を持つ藍色の羽に魅せられていた。


「……私も綺麗だと思うよ」


 それは、灯奈も同じだったらしい。

「だよねっ」


 少年の同意に重ねるように、灯奈は、指の絡め方を強くした。


「灯奈さんは、どうして、こういうふうに手を繋ぐの?」

「それはね、君が好きだからだよ」


 あっけらかんと言われ、目を逸らす。

 二人で歩く。ケージの中には、知らない虫もいて、勉強になった。

 入り口の近くのケージに差し掛かる。


「……おや」

 灯奈は、ガラス箱を見て、つぶやいた。


「どうしたの?」

「死んでしまっている」


 声を上げて少年は驚いた。昆虫ショップで虫が死ぬとは思わなかったからだ。

 だが、それは、当たり前のことだった。


「…………どうするんですか?」


 虫食いのセミや蝶を思い出しながら聞いた。


「虹人くん。

 今日は特別に、虫の弔い方を教えてあげる。

 君も、知りたかっただろう?」


 灯奈は、死んでしまった虫をケージから出して、華やかに微笑んだ。

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