言わなければ透明なもの

鍍金 紫陽花(めっき あじさい)

第1話

 地球温暖化を無視してきたツケが来たような暑さ。私は裏庭の木陰に涼む男子生徒のふたりをぼんやりと眺めた。わたしは汗で濡れたマスクを外して、ゴミ箱に捨てる。


「陽葵はどっちが好き?」


 教室には私の友達が1人も欠けることなくたむろしていた。冷房の効いた部屋で、日が落ちるのを待っている。最前席が私の教室における居場所。机の下で携帯を開いたり、好きな教科を真剣に学習しているところで、彼女らはお菓子を広げている。


「何の話?」


 わたしは友達の明日香が乗っている車椅子の手すりに指を触れる。明日香はじゃがりこを噛みながら喋りを続けた。


「いまのJPOPと、昭和の曲はどっちが好き?」


 質問した明日香は音楽を広く浅く愛している。Spotifyの選曲リストにセンスがないと憤りを伝えてきたのが、初対面時の会話。わたしの選曲リストも知らないVtuberに埋められて憂鬱だったから頷いた。それから私たちは駅前のタワーレコードで時間を潰したり、互いの家で一日が終わるのを待っている。


「昭和の曲はメロディが馴染み安くて好きだけど歌詞は嫌い。だって、女性が男性の横暴を許す曲ばかりだから

「陽葵、いいねー」

「だってそうじゃない?」

「陽葵と違ってメロディしか聞いてないからわかんないかな。歌詞だって言うなら、いまのJPOPの方が中身なくない? なんか、用意されたテンプレートのワードを並び替えてるような曲ばかり」


 陽葵はなにか思いついたようにお菓子をとる手を止める。車椅子の左ブレーキを解除しているから、反対の方を解除した。鞄を取りたそうにしていたから、わたしは手元まで持ってきてあげる。机に車椅子を接近し、ブレーキを再びかける。カバンからタブレットを取り出し、滑り止め箇所を机に寝かせ、付属のペンを走らせる。


「何書くの?」

「まあ見てて」


『夏』『花火』『扇風機』とワードを3つ出した。わたしは先程の曲の流れから掴めずにいると、明日香は説明する。


「他に聞く感じの曲なんだっけ」

「ああ、テンプレート並べてるの?」

「うん。そんだけなら私たちでもできるんじゃない?」


 彼女はいまの季節に歌われるポップソングの歌詞を並べた。僕は君といった定番の他に、虫と書き出す。


「虫は違うんじゃない」

「君にたかる羽虫を僕は払った〜」

「ぶふっ、何それ」


 彼女は適当な歌詞を捏造した。誰からも共感されない歌詞を思いついたまま歌っている。わたしは羽虫と恋愛がロマンチックに結びつくイメージがわかず、どうしても笑いを抑えきれなかった。明日香曰く、私の笑い声は引き笑いだから誘ってくるのがずるいらしい。私と合わせて、明日香は私と笑ってくれた。彼女が笑うことで頬があがり、白い歯が見える。わたしは人の秘密を覗けたような背徳感が芽生え、彼女に欲情する。それを隠すように咳払いをした。


「ねえ、明日香。だったら誰からも共感されない歌詞を作ろうよ」

「え、面白そうー」

「メロディは兄貴にやらせる」

「そんなことできるの?」

「うん。兄貴はわたしのCDをパクリ出してから音楽ハマって、いま曲とか作ってる」


 人に聞かせるには恥ずかしいほど、純粋で痛々しい。兄貴は傷ついたことがないようなむき出しの性格で、歌詞を渡しても素直に作業するだろう。


「悪いなー。そんなこといいのかな」


 そんなこと言いつつも、明日香はワードを上げ続けていた。自転車や綿あめと文字を足していき、なぜ夏の曲は女性の顔ばかり写すバンドマンの曲が多いのかと怒りを表した。明日香も私の影響を受けてきている。その事がたまらなく嬉しいのは、独占的だろうか。


「ねえ、陽葵ー」


 彼女は冗談で変な言葉を書いては笑わせてくる。そんな中で、質問してきた。


「マッチングアプリはどうだった?」

「ダメだった」

「やっぱこんなちいせえ街だと、陽葵さんの器に収まる女はいないんだよ」

「そう、かも!」


 私は彼女とハイタッチした。ペンをまた拾ったが、彼女は私の瞳を捉え、書こうとしない。


「教室は平気?」

「うん」


 わたしの脳内に陽葵との思い出が掠める。彼女に披露しようと話す。


「明日香おぼえてる?」

「覚えてる覚えてる」

「まだ言ってないよ。あのね、担任が弄ってきたヤツ」


 私の担任がホームルームが始まる前に到着し、クラスの一軍とよく話す。私の席は前だから、彼らの声を聞きたくなくても入ってくる。そんな中で、明日香と過ごしていた。すると、担任が私に話を振ってくる。もう詳細は覚えていないが、クラスで彼女のいない男子を指さして、コイツにアドバイスしてやってくれと絡んできた。


「ああ、あったね」

「そうしたら、明日香が『話す時に見下した姿勢にならないよう、しゃがんで話す人』って変わって言ってくれたヤツ。そうしたら、担任が気まずそうに沈黙してたよね。クラスもみんな静まってた」

「だってウザ絡みだったしね。それ、続きがあるけど知ってる?」

「なに?」

「あのあと、私のところまで来て、いじられてる男子がわたしに有難うと言ってくれたの」


 その後、明日香と彼女がいないとダメという風潮に疲れていることを愚痴った。明日香は恋愛対象にされないと男子に愚痴る。互いに意気投合したらしく、連絡先を交換したらしい。


「ああ、今日あすかと挨拶していた人」

「うん。もっと話したいけど、クラスってすぐ彼氏彼女とか噂するから出来ないんだよね。友達だって言うのに」

「ふーん」


 私は胸の中に沸きあがる感情が分からなかった。彼女が私の知らないところで交流を広げている。何も悪い所はないのに、どうしてか居合わせたかった。


「陽葵?」

「うん?」

「どうしたの?」


 私のことを心配したらしく、彼女は車椅子のブレーキを解除し、近づこうとする。顔を近づけられたら心の奥底を見透かされてしまいそうで、わたしは立ち上がった。菓子を片付けようとする。


「嫉妬した?」

「……明日香。今日は帰るね」

「わかった」


 彼女は必要に私を追求しない。それが彼女の良さだった。



 わたしは宿題を片付ける。時間は21時を指していた。寝るにはまだ早く、動画投稿サイトから私の好きな投稿者が新着をあげているか確認した。あれから明日香に上滑りのような会話をする。記憶に残らないようなコンビニの新商品の話や、担任の愚痴。私は小さなことで嫉妬に駆られるのが嫌だった。

 明日香のことが好き。彼女の体に触れてセックスしたい。喘いでいる声も、姿も私のものにしたかった。ひとつになって、ほかを全て捨てたい。


「あっ、間違った」


 スマホをあまり意識せず操作する。そのせいで、わたしはおすすめ欄から嫌いな芸能人の切り抜き動画を開きかけた。慌てて×ボタンを押したけれど、彼の動画を開いてしまったという記録がネットに残る。その小さな指の動きが、彼の糧になると思えば、憤りを隠せなかった。むかし、Twitterで身体障害者に対する差別を呟いたのだ。車椅子に乗る人は乗客員に介助され、いつも座れていいなという内容。許せなくてずっと覚えている。彼は謝罪もせずにテレビに出続けていた。

 今の彼と昔の発言が地続きか不明だ。ただ、怒りで落ち着きを取り戻せなくなるから、そもそも見たくないのに。私は嫌になって携帯を閉じようとする。すると、着信が鳴った。明日香だ。


「もしもし?」

「……」


 明日香は受話器越しから環境音がした。ざらついた音の後で、咳払いが聞こえる。彼女は何かを企んでいるらしい。何を計画しているのか、すぐ分かった。


『君にたかる羽虫になりたい〜』

「ぶふっ、あはは」


 そのまま彼女は有名なアイドルの曲の歌詞を変え、最低な夏の歌を続ける。トイレでセックスすると熱中症で倒れるぞというサビの歌詞は、現代の暑さに対する警告になって思わず納得した。


『あれからずっと考えていたんだ。これはビルボードに乗るよ』

「のるのる」

『そうしたら金持ちになって、全部思い通りになるよ!』

「金持ちに夢見すぎじゃない?」

『陽葵。気は落ち着いた?』


 彼女は放課後の気まずい瞬間を洗い流そうとしている。その気遣いにこれまで救われてきた。だが、今日は乗らないことにする。


「明日香。私の気持ちに気がついてるよね」

『うん』

「それに答えてくれないのもわかってる」

『わたしはノンケだからね』

「でも、告白したい」

『いいよ。友達だから聞いてあげる』


 ありがとうと私は言った。涙が一筋涙が落ちる。

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