第321話 痛みと音

 時はわずかに遡る。


 大魔王アグニカと謁見しアゼルがセスナの部屋へと連れて行かれた後、イリアたちはそれぞれ城の中を散策することとなった。


「ごめんねイリア、一応私が見張りという形で同行しなくちゃいけなくて」

 そんな中、イリアはアルトの案内で城の廊下を歩いていた。


「別にいいよアルト。私だって変に魔族の人たちを刺激したくないし」


「それにしたって良かったの? ユリウスやカタリナともっと話すればよかったのに」


「ほら、二人にはシロナがいるし。それにリノンもアミスアテナを持ってどっか行っちゃった。……それとも、私がルシアと少しお話をした方が良かった?」

 イリアは少しだけ意地悪な笑みを浮かべる。


「はぁ!? なんでここであの駄犬の話が出てくるのよ。イリア、何か勘違いしてるかもしれないけど私は別にアイツのことなんてどうも思ってないんだからね」


「ふふ、私アルトがそんな反応するの初めて見たよ。それにルシア、私のことを一度も見なかった。前はそんなことなかったのに、だからきっと、そういうことかなって」


「…………それは、不躾に人をジロジロ見るなって教えただけよ。変に勘ぐらないで」


「わかってるよアルト。でも、よかったなって。ただそう思ったの」

 少しだけ嬉しそうにイリアは微笑み、そして彼女が前を向くとある一室の扉が不自然にも開いていた。


「あ、あの部屋は。───ねえイリア、ちょっとUターンしないかしら」


「いいよ、アルト。あの部屋なんでしょ?」

 イリアはまるで全てがわかっているような冷静さで、その部屋へと真っ直ぐに向かった。


 その開いた扉の先には、アゼルの妻、妃エリスが当然のように椅子に座って待っていた。


「ごきげんよう、イリア・キャンバス様。大魔王様との謁見は終わったところでしょうか? もしよろしければ私と少しお話をしませんか?」

 エリスは椅子から立ち上がって優美にイリアへとお辞儀をする。


「もちろんです、エリス・イノセントさん。私も、貴女と話さないといけないってずっと思ってましたから」

 対するイリアは遠慮することなく真正面から部屋の中へと踏み込んでいった。


「ええと、イリア、お母様。それじゃ私もご一緒しようかしら」

 そこへ遠慮がちにアルトが付き添おうとした時、


「いいえアルト、あなたはいなくても大丈夫よ。世間知らずの母ですが、イリア様がアゼル様にとってどういう存在か、流石に理解しているつもりです」

 妃エリスは強い瞳で娘であるアルトを見つめ、彼女の同席を拒否した。


「ですがお母様、勇者とお母様を二人きりにするわけには……」


「大丈夫だよアルト、アミスアテナも取り上げられているし、私の力に制限もかけられてる。アルトが心配するようなことにはきっとならないから」

 珍しくあたふたとしているアルトに対し、イリアは非常に静かな言葉で彼女を制する。

 そんなイリアの冷静さが、逆にアルトを不安にさせた。


「……わかりました、アルトは席を外します。近くに控えていますので、何かありましたらすぐに呼んでいただければ」

 しかし結局アルトはしぶしぶと折れ、仕方なさそうにエリスの部屋から離れていった。


「ではどうぞイリア様。こちらにお座りになってください」

 エリスは用意してあった椅子へとイリアを促す。


「いいえ、結構です。きっとこれからするお話は、そんな和やかなものにはならない気がするので」


「そうですか。それでしたら私もこのままお話させていただきます」

 毅然と立つイリアと向き合うように、エリスも正面から彼女を見据えていた。


「それでは一応確認だけさせてください。イリア様、貴女がお付き合いしているという恋人のアゼルとは、私の夫、魔王アゼル・ヴァーミリオンで間違いないのですね?」


「───そうです、エリスさっ!?」

 イリアが返答しきる前に、乾いた音が室内に響く。

 妃エリスは、イリアの頬をこれでもかと言うほど強くひっぱたき、彼女の瞳は涙で滲んでいた。


「……どうして、どうしてなのですか!? 私は10年以上、あのお方がいない日々を、ただひたすらにお帰りを待つしかない時間を過ごしました。なのに、なんで? 何故勇者である貴女が、魔王様とそんな関係になっているのですか!?」

 イリアへと叩きつけられるエリスの慟哭。

 それを甘んじて受けるように、イリアはうっすらと哀しげに笑う。


「そう言われると、答えに困っちゃいますね。今まで誰も、それを聞いてくる人いなかったから。でも確かに意味が分からないですよね、勇者が魔王と好きあっているなんて。でも、仕方ないじゃないですか。気付いた時には、私は、アゼルが好きだったんだから!」

 イリアは自身の胸を抑え、苦しそうに、しかし何よりも力強く己の気持ちを吐き出した。


「いや、やめて、やめてくさだい勇者イリア。まるで貴女の言い分だと、アゼル様も貴女のことを想っているみたいに聞こえるじゃないですか! 違い、ますよね。ただ貴女が、一方的にアゼル様に付きまとっている、本当はそうなんですよね!?」

 妃エリスの、まるで懇願するような確認。


 ここでイリアがそれに頷いてしまえば、ここでの話は一応は終わりになってくれるだろう。お互いになんらかのわだかまりが残るとしても、形の上での問題はなくなる。


 しかし、


「違います、エリスさん。私はアゼルが好きで、アゼルも私のことが好き。それだけは、そこだけは譲れない!」

 イリアはなおも毅然とした瞳で、誤解のない言葉をもってエリスを殴りつけた。


「そ、そんな。ち、違います! そんなはずはないのです!! あの貴きお方の寵愛を、ただの人間が、魔族の天敵である貴女が受けていいはずがない! この妻である私ですら、あの方の確かな想いを、本当の気持ちを手にした、ことなど」

 エリスは己の両手を見つめながら言葉を震わせる。


「私は、魔王の寵愛なんて知らない。だけど、アゼルは私のことを愛しているって信じてる。信じられる! ────貴方は、違うんですね」

 

「やめて! そんな憐れむような目でみないで。だって仕方ないじゃないですか。私は生まれついての綺麗なお人形で、いつか誰かの伴侶に据えられることが物心のつく前から決まってた。だから、私に選べる未来なんて初めからなかった!」

 エリスは苦しみながらも胸の内から絞り出すように言葉を続ける。


「だけど、憧れに出会ったの。私たち魔族の頂点に輝くお方、誰よりも気高く、誰よりも強い人。だから、恐れ多くも願った! 叶うのならば、許されるのならばあの方の隣にいたいと。なのに、それを貴女が!!」

 制御できない感情のままにエリスはイリアに掴みかかり、二人はそのまま床へと倒れ込む。


「っ、それはアルトから、聞きましたよ。アゼルの、魔王の妃になるように色々と手を回したって」

 イリアは背中を打ちつけながらも、それでもエリスから目を離さない。


「そうです! 私にできることは全てしました!! 好きだったの! 私はあの人のことが好きなの!!あの人は、アゼル様は誰のことも見てはいなかったけど、それでもあの人の隣にいることは許してもらえた! あの人の子供も身篭り、アゼル様にとっての家族にもなれた。でも、私には、それ以上は望めなかった。だって本当に仕方ないじゃないですか、すでに私の望んだ願いはもう叶っていて、それ以上を求めることなんて、私には怖くてできなかったんです」

 エリスはイリアを床に押し倒しながら、大粒の涙を流していた。

 そんな彼女を、イリアの瞳が悲しそうに見つめている。


「そう、ですか。でも、アゼルは、それ以上をこそ求めて欲しかったんだと思います。さらに、もっと内側に、踏み込んで欲しかったんだと思います。───もし、貴方にそうされていたら、きっと私がアゼルに踏み込む余地なんて、なかった」


「わ、私が、私が悪かったって言うんですか!?」


「それは知りません。でも貴方も知らないでしょう? アゼルがなんでこの城を、魔王であることから逃げ出したのか。人間の世界に、10年も隠れ住んでいたのか。……アゼルが絵を描くことが好きって、貴方、知らないでしょ!?」

 そう言葉にしながら、イリアはエリスの頬を叩き返していた。

 それは、ずっと側にいながらもアゼルの内面を知ろうとしなかった、エリスへの苛立ちか。

 叩かれたエリスは、呆然とした表情でイリアを見つめ返す。


「え、絵? 魔王様が、絵を、描かれるんですか? なんですかそれはっ、貴女のデタラメでしょ!? 私はそんなアゼル様を一度も見たことない。私が誰よりも、ずっとあの人のことを見つめていたのに、絵が好きだなんて、全然知らなかった!!」

 エリスはイリアの言葉を否定するように、平手でイリアを殴っていた。 


「っ、アゼルの魔城の一部屋は、彼が描いた絵でいっぱいになってます。貴方の知らない10年が、そこに溢れてる!」

 イリアも負けじとエリスへと感情を乗せた張り手を飛ばす。


「痛っ、─────なら、どうしようもないじゃないですか!? そんなの、私は知りようがなかった。アゼル様の胸の内に入ることなんて、許されなかった! やめて、やめてよ。貴女だけが知っているあの人がいるなんて、知りたくない!」

 エリスは両手でイリアの両肩を強く押さえつける。もう、そんな子供のような行動でしか、彼女は自身の感情をカタチにできなくなっていた。


「エリス、さん。……違うんです、私は、私の方がアゼルを理解しているだなんて言いに来たわけじゃない。そうじゃ、ないの。ただ、もう少し、あともう少しだけ、─────私がアゼルの側にいることを許してください。それを、言いたかったんです」

 イリアは、吐き出すように、本当に言いたかった言葉を口にした。

 ほんのわずかな静寂が、部屋の中を支配する。


「─────なん、ですか、それは? 私から10年もの間アゼル様を奪っておいて、それでもなお満足できないんですか?」

 乾いた音がイリアの頬から響く。エリスの瞳が、それだけは許せないと訴えていた。


「……誤解が、あります。私がアゼルと過ごしたのはこの1年、だけです」


「なら、もっとひどいじゃない! 私と過ごした50年よりも、貴女と過ごすたった1年をアゼル様は大切に想ってるってことでしょ!?」


「アゼルは、そんな風に誰かと誰かを比べられるほど器用じゃないですよ。きっと多分、今はただ私のことが良く見えるだけ。私の命があと少ししかないから、それに必死になってくれてるだけなんです」

 激情を燃やすエリスとは対照的に、イリアの心は冷静さを取り戻していた。

 いやそれを言うならば、彼女の心はこの城を訪れる前からずっと静かだった。


「貴女、命があと少しって」


「多分、エリスさんが思うよりもずっと短いです。それに、私とアゼルの間には子供ができません。だから、私とアゼルの間に確かな『何か』なんて、きっと何も残らない」

 イリアは悲しそうに、それでもうっすらと笑みを浮かべる。


「なんで、そんな顔で、そんな悲しいことが言える、の?」

 エリスは自身の胸元を苦しそうに握りしめる。まるで、目の前の少女の苦しみを代わりに抱きしめるように。


「だから、私は貴方が羨ましい、アゼルとの間に子供がいて、私が死んだあともアゼルとの時間がある貴女が、心底羨ましい。……妬ましい」

 イリアの手がゆっくりとエリスの頬を叩く。音は、鳴らなかった。


「────貴女は、私が思っていたよりもずっとひどい人です、勇者イリア。そんなことを言われて、私はこれ以上、どう貴女を責めたらいいのかわからないっ」

 エリスはイリアを床に押し倒しながら、再び涙を流す。


 だけどそれは、自分自身の為の涙ではないようにイリアには見えた。

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