第246話 胡蝶の夢

 時は戻り、アゼルたちと大司教マッグワックとの一悶着ひともんちゃくが片付いてからしばらくのち、ヴァージンレイクの大広場の一角に人だかりができていた。


「は~い、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。世にも珍しい相談屋さんだよ~ あなた達の日ごろの悩み苦しみをきれいさっぱりなかったことにしてしまう優れもの。期間限定! 実質無料! ほらほら早い者勝ちだよ~」

 その人だかりの中央には、あろうことかリノン・W・Wが立て札を持ちながら謎の勧誘を行なっていた。


「なんだなんだ? お悩み相談とか正気かよ。タダとか言ってるけどどうせ後から高い金を請求してくるんだろ?」

 そこへリノンに疑いの目を向ける若者が大きな声で割り入ってきた。


「おやおや人聞きが悪いねぇ、さっきから言っているだろ実質無料。こちらからお金を請求することなんて一切ないさ。まあもし、自分からお金を払いたいっていうんなら止めはしないけどね。だが何はともあれ実績がなければ信用を得られないのも確か。サービスだ、試しに何か相談をしてごらんよ」


「けっ、何が相談だよ。こんな胡散臭い商売、速攻で潰してやるぜ。そうだな、俺のダチが金を返さなくて困ってんのよ。これってどうにかなんね?」

 リノンにイチャモンを付けてきた若者は一切信用していない態度ながらも相談を持ち掛けてきた。


「ほう、そうかいそうかい。金の切れ目は縁の切れ目というモノだが、友人間でのお金のトラブルはいつになってもなくならないものだねぇ」

 そう口にしながらリノンは片手に分厚い本、『深淵解読システムブック』を出してパラパラとページを捲り始める。


「え~と? ふむふむ、どうやらキミが友人に貸した額よりも、他の友人に借りているお金の額の方がかなり多いみたいだけどまあいいや。相談の本質はお金の問題ということでいいのかな?」


「はあ? 聞いてたか? 俺はダチから金を返して貰えねえって言ってんだよ」


「ああ聞いてるよ。それはつまり貸したお金よりもその友人にキミが価値をおいていることの証明じゃないか。なら貸したお金はそのままにして、取り返そうだなんて思ってはいけないよ。だからキミの相談の本質は、その友人関係を保ったまま新たに金銭を得たい、そういうことになってくる。違うかい?」


「いや、まあ。そりゃ金が手に入るならそれに越したことはねえけどよ」


「それならキミの部屋の棚の2番目の引き出しの裏底を調べてごらんよ。前の住人が忘れていったヘソクリが入っているはずだから。あと浮気はほどほどに、今の浮気相手がベッドの下にわざとピアスを忘れていってるよ」


「は!? ふざけんなよ、そんな適当なこと言ってるとぶっ飛ばすぞ!」

 若者はやや動揺しながらも、威勢よくリノンに向けて啖呵を飛ばす。


「ふふ、別にこんな公衆の面前で適当なことなど言わないさ。それに急がなくていいのかな、キミにお金を貸した友人が今の話を耳にしてキミの部屋を家探しするかもしれないよ」

 リノンはクスクスと笑いながら若者に告げる。

 すると若者は、ハッとした表情になり慌てて家路を急いでいった。


「さ、デモンストレーションはこんなものだろう。キミたちどんな相談でも言ってみるといい。僕は何であろうと受け止めてみせるよ」

 リノンがそう言って集まった大衆に両手を広げると、次々に新しい相談事が飛んでくる。


「ずっと好きな娘に告白できません。どうしたらいいですか?」


「おお、これはまた純な相談だね。答えから先に言うとどうもしなくていい。これはよくある勘違いだけど告白をしたから関係性が進展するというのは間違いだ。正確には関係性が進展していたから告白が価値を持つ、だよ。だから別にキミは告白に重きをおかなくていい。二人きりの時を狙って2、3回くらい不自然でもいいから手を握ってごらんよ。向こうから握り返してくれるなら脈があるし、3回とも拒否されるなら関係性ができていないね。その時は性格診断や占いだったと言って誤魔化しな、言葉にして告白するよりもずっとダメージが少ないから」


「新しく好きな人ができたんですけど、今お付き合いしている彼氏に別れを切り出せません」


「どこに行ってもこの手の話題は尽きないね。いいんじゃないかな、わざわざ別れを言わなくたって。好きな人と恋仲になれるようなら別れればいいし、なれないなら今の関係をキープすればいい。こういう時に自分に誠実さを求めてしまう気持ちもわかるけど、もっとずるく生きたっていいんだよ。ただそれをやるのなら丁寧に、静かにだ。野ウサギを狩る獣くらいには別れの気配は殺しておくんだね」


「で、ですが。いざ別れるとなった時に、すんなり別れられるとは思えないのです」


「そりゃ、相手がキミのことを好きでいる限りこじれるだろうね。だから別れの決意ができた時には、彼にも良い相手を用意しておくことだ。不思議なものでね、候補が一人しかいない時は執着してしまうものだけど、移籍先がすぐ隣にあると案外簡単に別れることができてしまう。ま、今の彼に負い目を感じているのなら、その程度の準備はしておくことさ」


「な、なあアンタ! お、おれの二股ふたまた、いや四股よんまたがバレちまって殺されそうなんだ。おれはどうしたらいい?」


「そこは素直に殺されておきなよ、ってのは冗談だけど。またこの手の話か。殺されそうってことは彼女らはキミにまだ価値を見出してるということでもある。そして盲目的でもあるね。男をあまり知らない初心うぶな女子ばかりを相手にしたんだろう? 少しは反省したまえよ。お互いの人生の為にも関係を整理する必要があるのだけど、とりあえず一番ヤバい子との関係だけ続けて、残りは自然消滅を待つんだ。え、ヤバイ子が二人いる? おう、それは詰んでいるね、どうせそのヤバい子同士も友達なんだろ? やっぱり死んでおけば?」

 

「そ、そんな! そりゃねえよ」


「なら死に物狂いで頑張ることさ。彼女らがキミを殺しかねないというのなら、殺してしまうのがもったいないほどの価値を付加するしかない。何をするにも他人の2倍頑張りな、余所見をする暇もないほど真剣にね。女の子1人では支えきれないほどの男と思わせるしかないよ」


 そう言い切ってリノンは次の相談に移った。

 矢継ぎ早に来る相談や悩みごとにリノンは迷いなく答え続け、二時間ほどたった時には彼のもとに集まる大衆は初めの数倍ほどになっていた。


「教主様、聞いてください!」


「この悩みからお救いください教主様!!」


 そして気づいた時にはリノンは当然のように『教主』と呼ばれるようになる。


「いやいや、別に僕は宗教を開いたつもりはなかったんだけどねぇ、でもいいさ。せっかくだし名前もつけてしまおうかな。うーん、新興組織『胡蝶こちょうの夢』なんていいんじゃないかな?」

 リノンのそんな言葉に盛り上がる大衆。


 すると、1人の壮年の女性が彼の前に出て、やつれた顔ですがるように聞いてきた。


「聞いてください教主様。私の夫は酒に溺れ、息子は引きこもり、しゅうとめは私がどれだけ丁寧に家のことをしてもあれこれと責めてきます。いったい、いったい私はどうすればいいのでしょうか? 何をしたらこの状況から救われるのでしょうか?」


「そうか、それは大変でしたね。貴女は何も間違ってなどいません。全て思うがままをここで吐き出して下さい、…………と相手を否定しないのが相談事を受ける時のセオリーなのだけどね。ここは敢えてそれを破ろうじゃないか。さてご婦人、どうすればいい、何をしたらいいかとの質問だが、てんで的が外れているよ」


「え?」

 リノンの突き放すような態度に、女性の顔は絶望の色へと変わっていく。


「自分がどうにかすれば、自分が何かをすれば状況が変わるだなんてとんだ思い上がりさ。試しに今日明日と何もしないでいてごらんよ。きっとキミがこれまで苦心して頑張った1日と、何もしないで無為に過ごす1日にそんな違いなんてないはずだから」


「そんな、そんな。それなら私は何をしても無駄だからと諦めろと言うのですか? 私は無力だからただひたすらにツラい日々を我慢しろと」


「別にそんなことは言っていない。まだ話は途中だよレディ。ここで僕が奇蹟を見せるのは簡単さ。例えばそこの噴水で一糸纏わずに身を清めて家に帰れば不思議となんだかんだ色々と上手く回るようになるだろう。そういう誤魔化しは得意だからね」


 そうリノンが口にした瞬間、女性は迷わず着物をはだけさせて噴水へと行こうとする。


「待ちたまえ、途中だと言ったじゃないか。キミは自分のことを無力だと言った。それは半分正解さ」


「半分、正解? では、私にも何かできることがあると?」

 リノンの言葉で立ち止まった女性は振り返ってもう一度すがるような表情で問い直す。


「はは、それじゃまた振り出しに戻ってるよ。自分が何かをすればどうにかなるなんて思い上がりだと言ったじゃないか。半分正解なのはキミが無力であること。そしてもう半分の正解はみんなが無力であること。キミの夫も息子も姑も、ここに集まる全ての人も、そして…………僕も含めてね。誰もが無力であり、その一点においてのみ僕らは対等なのさ」


「誰もが、無力? そんなの……」


「納得がいかないかい? でもそれが事実だ、まずはそれを受け入れるんだ。運命と呼べばいいのか神と呼べばいいのか、とにかくそういったとても大きな力に大して僕らの力ははっきり言ってゼロさ」

 リノンは女性だけでなく、大衆全てに言い聞かせるように言葉を続ける。


「だから諦めろって言ってるわけじゃない。僕が言っているのは、そんな無力なキミが力ある振る舞いをしているんじゃないかってことさ。家で引きこもる息子、働かない夫に対して『何で私はこんなに頑張っているのに、こいつらは何も努力をしないんだ』って思ってないかな? 姑にだって『こんなに頑張っている私を何故評価してくれないのか』ってね」


「それはっ、ですが、それはいけないことなのですか?」


「いけないなんて言っていない、それは自然な反応だろうさ。だけどそれではずっと同じままでキミの生活は変わらない。まずは無力な自分を受け入れることさ。そして自分の周り全ての人の無力さをね」


「でも、私には周りの人が無力だなんて思えません。私の目には、みな、みんなが幸せそうに映ります」


「幸せそうであることと幸せであることは別のことだよ。誰だって他人に幸せを幻想してしまう。それぞれの不幸があるであろうことは無視してね。ただそれと同様に不幸に見えることと不幸であることも同じじゃない。もし周りから幸せでないように見えたからといって、なにもわざわざ自分からそれを不幸と受け入れることはないじゃないか」


 さとすように、だますようにリノンは言葉を続ける。


「家に帰ってそこに誰がいるのか考えてみるんだ。そこにいるのは誰だい? かつてのように働きたくても老いた身体と世間がそれを許してくれずに、妻に養ってもらう自分を情けなく感じる夫ではないのかい? 社会のレールから一度外れてしまったがために、立ち戻るすべも知らずに母親の無償の愛とやらにすがるしかない哀れな息子ではないのかい? 家に帰ればそこにいるのはキミと同じ、大きな力に抗えぬ無力な家族ではないのかい? それを受け入れた上で、自分に何ができるのか考えてみるんだ。そうすれば、何一つ変わってないというのに、世界が変わって見えるはずさ」


「本当に、……そんなことで?」

 女性は震えながらリノンに向けて手を伸ばし、涙を流しながら最後に一度だけ問い返した。


「ああ、そんなことで人に見える世界は変わる。さあ、家に帰るんだ。その幸せは、この大賢者が保証しよう」


 その言葉を聞いて、女性は駆けるように自らの家に帰っていった。


 リノンの言葉と今のやりとりを見て沸き上がる群衆。


(まあ、その自己と他者の無力を認めるということ自体がものすごく難しいのだけどね。彼女の様子なら問題はないだろう。にしても、ああ、嫌だ嫌だ。自身の無力を認めるだなんて、自分にも出来ていないことを他人に薦めるのは。──────僕はまだ、自分の無力を認めるわけにはいかないからね)


 リノンは静かに溜め息をつきながら空を見上げた。


 だがその時、


「こらぁ!! 貴様たち、何をしている!!」

 ドスの効いた怒号が響き渡る。


 リノンと大衆が視線を向けると、そこには湖水教の兵士たちが大勢で彼らを取り囲んでいたのだった。

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