第178話 リノンとアミスアテナ

 ある男の話。


 彼は生まれながらにして他者よりも優れた素体を持ち、そして探求の旅の果てに誰の認識も及ばない真理の知識を手に入れた。


 超越者、誰も彼もを置き去りにした存在に、その男は成った。


 満ち溢れる全能感。


 他者と隔絶した地平に立てたことによる優越感。


 その全てが、彼の肥大した自尊心を潤し続けた。



 だが、


 世界に永劫などなく、はやる自尊心はたかだか数十年で醒めてしまう。


 もはや、彼の胸を埋め尽くすのは無謬むびゅうの喪失感のみ。


 その男は、何もかもを手中に収めたつもりで、何もかもをその手の平からこぼしていった。



 そして彼は気付く。




 『ああ、


 僕は全てを置き去りにしたつもりで、


 その実、あらゆる全てに置いてけぼりにされたのか』





「─────────────────────────おや、どうやらつまらぬことを思い返してしまったみたいだ。まったく僕らしくない」

 ハルモニアにその名が轟く大賢者、リノン・W・Wはふと、気恥ずかしげにひとりごちる。


 彼は今、手ごろな岩の上に座っており、その彼を焚き火が煌々と照らし上げていた。


「あれれ? 不思議だねぇ、僕以外みんな寝てしまっているよ」

 リノンは周囲を見渡してそう呟く。

 彼の言うように焚き火の周りではイリアを始め、アゼル、エミル、シロナ、そしてユリウスとカタリナが寝心地よさそうに眠りについていた。


「いやはや、もしかしてみんな疲れてしまったのかな? ホーグロンで馬車を貰い受けてここまで来たけれど少し強行軍だったかもしれないね」

 そう言ってリノンは彼らの寝顔を面白そうに眺めている。

 リノンのによってホーグロンで馬車を手に入れたイリアたちは彼が案内する冥府の大沼に向けて真っ直ぐに進んでいた。


 そしてそんな彼の手には今、イリアが持つはずの聖剣が、


「何をわざとらしいことを言ってるんですか。眠らないはずのシロナが眠っている時点で、これは貴方の仕業に決まってるじゃないですか」

 アミスアテナは普段の冷たい口調ながらも一定の敬意を込めた言葉遣いでリノンに突っ込む。


「おやおや、疑り深いねアミスアテナ。だがまあ今回は正解かな。少年ユリウスとカタリナ嬢が早々に眠ってしまったものだから、だったらみんなまとめて眠ってしまえと思ったのさ。『僕以外の人物は眠っている』とね」

 何の悪びれる様子もなくリノンは言う。


「それで、わざわざこんな手の込んだことまでして、リノン様は何がしたいのです?」

 敬語ではありながらも決して信用はしていない態度のアミスアテナ。


「その質問は野暮だなあ。君とゆっくり話がしたかったからに決まってるじゃないかアミスアテナ」


「…………一体、何の話をしたいのですか?」


「そりゃあもちろんイリアのことかな。どうだい彼女は? 僕と別れてから1年、少しは使い物になりそうかい?」

 リノンはニヤリと意味深な笑みを浮かべる。


「何ですかその言い草は。それを言うのなら1年前の時点でイリアは十分に魔族領域を攻略できるだけの能力はありました。それを貴方が『う~ん、納得いかないなぁ。これでは満点にはほど遠い』なんて言い出してイリアを大境界から遠ざけたんじゃないですか」


「あれぇ、そうだっけ?」

 苦言を呈するアミスアテナに対してもリノンはとぼけた態度を続ける。


「そうです、おかげでこの1年イリアは何度も死にかけました。この前なんてあの英雄が見逃してくれなかったら本当に死んでたんですよ」


「はは、でも生きてるじゃないか。『たら』とか『れば』とか言って物事の結果をいじるのは僕の仕事さ。それ以外の運命は大きな流れの中で決して人の手の及ばないところにある。だからイリアは生きるべくして生きたのさ。そしていつかは─────」

 飄々と話し続けるリノンだったが、ふいに真剣な表情になり言葉が止まる。


「リノン様?」


「いや、何でもないよ。それこそ、その未来を都合よく解釈するのが僕の仕事だしね。それよりどうだいアミスアテナ。彼の大魔王の息子の魂を捕獲した感想は?」

 真面目な表情が一転して、意地悪な笑みを浮かべてリノンはアミスアテナを見る。


「──────────別に何も。いつかは交渉材料になるかと思って封印を試みただけですから」


「その為にイリアの魂を楔に使ってかい? 悪い女だね君も」


「っ、それは!」


「いやいやいいんだアミスアテナ。君にはその資格がある。何せイリアという素体が生まれるまでに200年の時を費やして待ち続けた君なんだ。彼女の人生の一部をちょっと拝借するくらい許されてもいいだろう」

 スラスラと流暢に言葉を並べたてるリノン。その言葉にはまるで悪魔の誘惑のような甘美さが備わっていた。


「……いいわけ、ないじゃないですか」

 だが、アミスアテナはその誘惑には乗らなかった。


「おや、そうなのかい」


「これは、私のわがままだから。いつかはイリアに謝らないといけない。ずっと、騙してきてごめんねって」

 絞り出すようなアミスアテナの言葉。それはまるで近くにいるリノンのことすら目に入っていないかのようであった。


「騙してごめん、か。まったく君も不器用なのは変わらない。一体どこからが嘘なんだか」

 リノンはそんなアミスアテナに聞こえないような小さな声で呟く。そしてさりげなくアミスアテナのコアに触れた。


「? 今なにかしました?」


「いや何も? ま、その問題はいつか君自身がけじめをつけるといい。ただ問題はその時までイリアの肉体がもっていられるかということだ。彼女、この前の戦いで自分の血を結晶化して戦ったんだって? まったくエミルくんといいイリアといい無茶をする。もっと自分の身体を大切にしたらいいのに」


「その言葉、確かに貴方になら相応しいかもしれませんね」


「おや? 何か今のは皮肉っぽく聞こえたけど気のせいかな。まあ何より今はイリアだ。あの子の結晶化を防ぐための安全策は既に一度使ってしまっている。そしてその効果だってそう長くはもたないだろう」


「ええ、おそらくは」


「だから対策ができるまでイリアがまた無茶をしないように見張っておいてくれよアミスアテナ。君だって、彼女がになってしまうのは見たくないだろう?」


 大賢者の言葉とともに、夜の荒野に一陣の風が吹く。


 その風は重く、生暖かく、不吉な未来の到来を予感させた。


 

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