第176話 晩酌

 夜も更けたころ、食卓にてシロナとクロムが酒を酌み交わしていた。

 既にユリウスとカタリナは就寝しており、イリアたちは別にホーグロンの宿をとっていた


 よって今は彼ら二人、長い間離れていた時間を埋めるように静かに言葉を交わしていく。


「どうだった、シロナ? この家を出て、世界を見て、その刀を、振るってみて」

 クロムが酒を口にしながら吶々とその話を切り出す。


「色々と、あったでござる。多くの魔族を斬り、多くの称賛を得て、とても長い時間を、……悩むことに費やした」

 シロナも静かにクロムへと答える。


「そうか。すまないな、おれが言葉足らずなばっかりに、お前を迷わせた。おれは、お前を最上の聖刀の使い手として作ったにも関わらず、そんなお前が誰かを斬るという必然を遠ざけようとした。……ひどい矛盾だ。そりゃ、お前が迷うのも当然だな」

 自嘲するようにクロムは言葉を吐き出す。


「─────そんな風に、主は考えていたのだな。自分は、自分のことばかりで、主の想いにまで考えが及ばなかったでござる。ただひたすらに刀を振り、その果てにあの里にまで辿り着いた」

 ふと遠い目をするシロナ。


「ああ、言っていたな。刀神の里カグラにまで行ったんだって? まさか、あの里が既に滅んでいたとは。つらい思いをしたな、シロナ」


「つらくないといえば、確かに嘘になる。だが大切な出会いがあそこにはあった。……夕斬りという少女を、主は覚えているでござるか?」

 少し目を伏せ、シロナはその少女のことを口にする。


「……覚えているさ。今代の、最後の刀神だろ? とても病弱な少女だったが、これまでのどの刀神よりも刀に愛されていた。シロナは、その子に会えたのか?」


「うむ、会えた。そして大事なことをいくつも教えて貰えたでござる」

 静かに、誇らしげにシロナは言葉を返す。


「そうか、それは、良かった」

 そう言ってクロムはグイっと杯を飲み干す。そして、


「良い出会いが、お前を導いてくれたんだな」

 幸せそうな顔でそんなことを言った。


「…………主も、少し雰囲気が変わったように思う。あの子たちと暮らし始めたせいでござるか?」

 シロナはクロムの杯に新たな酒を注ぎながら聞く。


「そうなのかも、しれねえな。おれは他人なんてただの邪魔でしかないと思っていた。本物への探求の障害だとな」


「──────────」


「だが、あいつらと過ごす時間は多くのことをおれに気付かせてくれる。あいつらと話すたびに新しい発見が飛び込んでくる。─────結局、おれはたったひとつを目指すために視野を狭めて、この人生において多くのことを見落としていたんだな」

 酒に映る自身の顔を眺めながら、クロムは言う。


「…………そのたったひとつを追い求めたからこそ、拙者はここにいるでござる。多くのもの取りこぼしたからこそ、今それを大切に想えるのかもしれない。だから主、そんな顔をしないで欲しい」

 静かに、酒を口にしながらシロナは微笑む。


「ああ、そんな心配になる顔をしていたのか。…………ふと気づけばおれも随分と長生きをした。お前がこうして帰ってきて、つい今までを振り返りたくなったのかもな」


「ふ、そんなセリフを口にすると、まるで老人みたいでござるよ」


「まるでも何も、人間だったらとっくに墓の下だ。だがまあ確かに、魔人がいくつまで生きるかなんてそもそも前例がないしな。もしかしたらまだまだおれも若造なんてこともありえるわけだ。ったく、やってらんねえな」 

 クロムはこみ上げる笑いをこらえながらまた酒を口に含んだ。


「気持ちはいつまでも若いにこしたことはないでござる。拙者もそれまでは付き合うゆえ、主には長生きして欲しい」


「何を言うかと思えば、こないだまで機能停止してた奴の台詞じゃねえよ。…………なあ、まだアイツらと旅を続けるのか?」

 空になった杯を見ながら、ふとこぼすようにクロムはそんなことを聞いた。


「……そうでござるな、この身体が本調子に戻って再び戦えるようになれば、自分はそのまま担い手イリアに同行していく。拙者は既に彼女の刀であるが故に」

 その問いにシロナは真っ直ぐに答えを返した。


「そうか、まあそれはそうだ。つまらないことを聞いたな。シロナ、後で『凛』と『翠』を出しておけ。朝イチで磨き直すくらいはしておくからよ」


「承知したでござる。ありがとう主」


「バカやろ、の道具見るのに感謝されてたまるかよ。…………それよりも、言うことがあるだろよ」

 クロムは少し顔を赤らめて視線を逸らす。


 そして、シロナは何かに気付いたように、


「ああ、そうでござるな。ありがとう─────ぱ、パパ」


「誰がパパだ! そんな軟弱者に育てた覚えはねえ!」

 思わずクロムの拳骨がシロナの頭に入る。


「はは、冗談でござる。ははは、殿に殴られたのは初めてだ」

 シロナは何故か嬉しそうだった。


「まったく、いつのまにそんな冗談を言うようになったんだか。ん? 今お前……」


「───親父殿と言ったでこざる。何か、おかしかったか?」


「何もおかしいことなんてひとつもねえよ。おれたちは随分と、遠回りしちまったな」


「……別に、近道が正しいと決まっているわけではないでござる」

 そう言ってシロナはクロムの杯に再び酒を注ぐ。


 二人は夜が更けるまで、静かに語りながら飲み続けた。



 ふと、クロムから


「なあ、アイツらとの旅は楽しいか?」


 肩から力の抜けた問いが出る。


 彼にも本当は不安もある。勇者に魔王、この息子は間違いなく世界を動かす大きな流れの中に巻き込まれようとしている。だがそれでも、シロナが納得してその道を行くのならばと。



 その問いに対してシロナは、


「もちろん、拙者は良い仲間に恵まれているでござる」


 本当に心から、少年のように笑って答えた。 

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