第125話 どこかのいつか

「お母様お母様~」

 幼い少女、アーシャが母親のもとへと駆け寄っていく。


「あら、どうしたのアーシャ、剣のお稽古はもう終わり?」


「んふふー。ほらっ!」

 少女は嬉しさを隠しきれない顔で後ろ手に隠していたモノを母親に見せる。


 それは、一本の黒い小剣だった。


「あら、これは魔剣? いつの間に出せるようになったの?」



「ふふふ、さっきだよ。お母様がうたた寝してるあいだにできるようになったの」



「あらスゴいわアーシャ。……でもそうしたら、今度はその剣を持つことの意味と覚悟も教えなきゃね」



「意味と覚悟?」



「そう、強い力はただ持っているだけじゃ自分も周りも傷つける。アーシャのその魔剣はきっとすぐに大きく成長していく。その前に知らなくちゃいけないの」

 母親は優しく少女の頭を撫でながら語りかける。



「うーん難しそう。それって、むねんむそうとどっちが難しい?」



「無念無想? さあどうかしら、その境地は私に分からないけどきっと同じくらい難しいわ。それに、アーシャは無念無想なんて目指さなくていいのよ」



「えー、わたしもあの剣士様みたいになりたい~」



「もう、アーシャの言うその剣士は無念無想とは程遠かったわよ。彼は考えて考えて、考え抜いたすえに夢みたいな理想に辿り着いた。そうね、理念夢想とでも言えばいいのかしら」



「りねんむそー? 剣士様は結局お星さまを斬ることはできたの?」


「……さて、どうだったかしら。昔、太陽に近づき過ぎて燃え尽きた男がいたわ。身に過ぎた想いはその身を滅ぼすっていう良い教訓ね。その剣士がどうなったかは、そうね、アーシャがその魔剣をいっぱしに扱えるようになったら教えてあげる」



「ホント!? お母様、わたし頑張る!!」

 瞳を輝かせながらやる気に満ちたポーズを取る愛娘の頭を母親は優しく撫でる。



「────様、アーシャ様。そろそろ肌寒くなってまいりました。風邪を引かないうちに中へと入りましょう」

 赤髪の青年、ユリウスが二人へと声をかける。



「そうね。さあアーシャ、ユリウスのところに先に行って。カタリナ、この机と椅子を運んでもらってもいいかしら」

 母親は簡易机の上に乗っていた分厚い本を取って、青髪の少女、カタリナを促す。



「────様、そちらの本も私が持っていきますが」



「いいの、…………このくらいの思い出は、まだ私に持っていさせて」

 母親は、儚げにそう言う。



「ええ、そうですね。では行きましょう」

 カタリナは静かに頷き、母親とともに広い中庭を後にする。




 残されたのは壁に立てかけられた二つの木剣。



 かつて、二振りの刀を扱う剣士がいた。



 星を斬ろうと挑み続けた哀れな人形。



 しかし、その在り方は誰の目から見ても美しかった。


 

 空っぽの胸に理念夢想を抱き続けた彼の結末は、今もあの本の中で眠り続けている。

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