第81話 崩壊
「ウゥッ、ウォオオオオッ!!」
苦痛を伴う叫びを上げながら、魔人ルシアの肉体は漆黒へと染まっていく。
「イリア、お前は手を出すなよ。1対1で捩じ伏せて今度こそあいつの心を折ってやる」
「アゼル大丈夫ですか? さっきまでとは様子が違います。油断するとケガをしますよ」
「あら、魔王が怪我するなら願ったり叶ったりなんだけど」
アミスアテナの心ない合いの手、しかしアゼルはその軽口に反応しない。
何故なら、魔人の剣は既にアゼルの首もとに向けて斬りかかっていたからだ。
「うおっ、危ねえ」
アゼルは身体を仰け反らせて剣を躱す。
驚くべきは、魔人ルシアはまだ一歩も動き出していないことだった。
ルシアの魔聖剣は夜の闇を纏いながら彼の周囲を縦横無尽に飛び回る。
「チッ、遠隔操作か」
「だけど、どうして突然。そんなことができるなら昼間の戦いの時から使えば良かったのに」
「おそらく使用条件があるんだろ。例えば真夜中であるとか、深い闇の中である必要があるとかな」
「正解、ダ。本来のオレの魔剣と融合した聖剣の属性は闇。コノ能力を使えば闇ヤ影ヲ手足の延長として扱うことが、デキル。コンナ、フウニナ!!」
再びアゼルに襲いかかる魔聖剣オルタグラム。
今度はアゼルも魔剣シグムントを顕現させて打ち払う。
しかし、
「グッ、」
アゼルの脇腹から零れ出す血液が地面を濡らす。
彼の脇腹には銃創が出来ていた。
「油断スルナヨ。オレの武器は剣ダケジャ、ナイゾ」
ルシアは今まさにアゼルを撃ち抜いた魔銃を掲げている。
「そういえばそうだったな、クソガキ!」
アゼルにも火がついたのか、彼自身から濃密な魔素が溢れだしてみるみるうちに脇腹の傷が癒えていく。
「……ソレデイイ、本気デコイ! ソノ本気のお前を叩きツブス」
遠隔操作された魔聖剣はよりいっそう速度を増し、闇夜ということも相まって視認するのが困難なほどになっていた。
「ダークルミナス!」
さらに追い討ちをかけるようにルシアはアゼルに向けて弾幕を張る。
魔銃から放たれる闇属性の魔弾は周囲の暗闇を収束させ、
「ガハッ、っ痛。 クソッ、夜だと随分厄介だなあの武器」
「マダ、ダ!!」
四肢を撃ち抜かれて動きの止まったアゼルを容赦なく遠隔操作された魔聖剣が切りつける。
「グァッ! イッテェなこの剣。こんな見た目で半分は聖剣だって言うんだから笑ってしまうな」
軽口を叩きながらアゼルはルシアを睨み付ける。
「ほざけ! これで死ねぇ! エレメンタルバースト!!」
ルシアは両手で魔銃を握り締めてアゼルへ渾身の魔弾を撃ち放つ。
「アゼル!」
昼間と同様、いやそれ以上の暴威がアゼルを襲い、その肉体を削っていく。
「───────────」
それを、アゼルは呻き声一つあげることなく、無言で受け止めていた。
数十秒に渡る魔弾の掃射が終わった時に膝をついていたのは、魔人ルシアの方だった。
アゼルは全身傷だらけになりながらもしっかりとした足取りで立ち続けている。
アゼルの肉体からは黒い霧が生まれ、肉体の損傷を速やかに癒していく。
「嫌味な魔王よね。あの魔人の心を折るために、敢えて真正面から攻撃を受け止めたわよ」
冷たく状況を分析するアミスアテナ。
「そうかもしれない。……だけど、あの人の眼はまだ死んでいないよ」
しかし、イリアはそれ以上に冷静に戦いの成り行きを見つめていた。
「ヤツを散断シロ、オルタグラム!」
苦痛を押さえつけながら、ルシアは自身の剣に命令を下す。
命令を受け付けた魔聖剣は、最速最短の軌道にてアゼルの命を刈り取らんとする。
だが、
キンッ、キキキキン
実にあっけなく、魔聖剣は真っ二つ、いや粉々に砕けちった。
「もうさすがに
魔聖剣を斬り落としたのはアゼルの魔剣。
アゼルは片手で難なく、死界から襲い来る攻撃に対応していた。
「俺の魔素はこの空間にもう十分に散布できた。お前には感じとる余裕はなかっただろうがな」
アゼルはルシアの攻撃を受けながら、徐々に自身の周囲に魔素の結界を広げていた。
自然界の魔素でなく、自身が生成した魔素であればアゼルはその範囲内の攻撃を知覚できる。
もちろん魔王アゼルの力であれば瞬く間に周囲数百メートルに渡って魔素を展開することも可能であったが、森林の中ということもあり環境への影響を考慮してアゼルは最小限の結界の範囲を探っていたのだ。
「ダカラ、ドウシタ? ソレデ、ドウシタ? 一度や二度オレのオルタグラムを折った程度デ調子にノルナ!」
ブシュゥッ!
「!?」
折れたはずの魔聖剣がアゼルを背中から貫く。
ルシアの剣を完全に砕いたことでアゼルはその剣を警戒から外してしまっていた。
「ソノ剣ハ、オレノ心ノ投影ダ。オレノ心ガ折レテイナイ限リ、何度デモ蘇ル」
掠れ掠れの声ながらも毅然とした瞳でルシアはアゼルを睨み付ける。
「クッ、厄介な。その特殊性、お前の魔剣の性質か。確かに貴様の剣を意識からは外していたがそれでも俺の守りは完全だったはず。─────お前、剣が砕かれる度に再生させることで俺の防御を突破したな」
防御を固めたアゼルの、空間、体表、体内に渡る三層の魔素骨子は、いくら不意討ちしたところで攻撃した側が破損してしまうほど強固なものだ。
しかしルシアは完璧とも言えるアゼルの魔素骨子の結界を、魔聖剣が破壊された瞬間に即座に再生させることで突破した。
もちろん一度の衝突で傷つく程アゼルの魔素骨子はやわではない。ルシアはわずか一撃を与える為にわずか一瞬で数百回の魔聖剣の再生を行なっていた。
「………………」
その結果としてアゼルに強力な一撃を与えたはずのルシアは今は言葉を発することもできずに膝をついて悶えている。
それはそうだろう。自身の精神状態によって瞬時に剣を再生できる能力と引き換えに、魔聖剣の破損によるダメージはそのまま使用者であるルシアの精神にフィードバックされる。
数百度に及ぶ精神へのダメージが僅か一瞬に収約されたのだ。
意識を保つことすら困難なはずである。
たが、
魔銃を握り締めたルシアの左手がゆっくりと持ち上がり、アゼルへと照準を定める。
何度も決定的な敗北、絶望的な力の差を見せつけられ、
それでも決して彼の心は折れなかった。
そんな不屈の心を目の前の少年が持ち合わせていることをアゼルは十分に理解し、
「───────そうか、死ぬか」
目の前の魔人を、自身の命に危害を与えうる、殺すべき敵として認識した。
「冥府の黒雷─ディアエクレール─」
アゼルの左腕で精密に構成された魔素骨子、魔積回路に魔素が走るのと同時にルシアの頭上の空から黒い稲妻が降り注ぐ。
これは魔法が生まれるよりも遥か昔から存在する原初の魔導。
上位の魔族、魔物にのみ与えられた特別な力だった。
「グァアアアア!!!」
爆発的な降雷によるダメージがルシアを絶叫させる。
「──────────────」
その様子をアゼルは冷たく見つめ、
「ちょ、アゼル!?」
彼を中心に爆発的に魔素の波が広がっていった。
今まで周囲に気を遣って手心を加えていた時とは違う、本気の力。
アゼルは右手に持つ魔剣シグムントを起動させ、自らの最強の技の準備に入った。
それは、暴風のようなアゼルの力に叩きつけられて満身創痍となりながらも、魔人ルシアは魔銃の引き金に指をかけたが故に。
だが、それよりも前に、
「ガァアアアアア!!!!」
断末魔のような叫びが響く。
その叫び声の主である魔人は両腕を地面につけてもがき苦しんでいた。
両腕から顔にかけて黒い葉脈のようなものが蠢き、瞳は既に正気を失っている。
精神は限界を迎えずとも、肉体の方についに終わりが訪れたのか、
これは、もはや戦いを続けられるような状態ではなかった。
しかし、
「…………………」
無言のまま、アゼルの歩みは止まらない。
魔剣シグムントを手に、ルシアへと終わりを与えようとする。
そこへ、
「アゼル!! 何をする気ですか? もう決着はつきました」
両腕を広げて、魔人の前に仁王立ちになってイリアが立ち塞がる。
「そこをどけイリア。まだ終わってない。きっちり殺してそれで仕舞いだ。そいつはただの雑魚じゃなかった。俺を害しうる危険な牙を持っていて、こっちの命を狙っているのなら生かしておく理由はないだろ」
アゼルの殺意はいまやイリアすら巻き込み、強大なプレッシャーとなって襲う。
「…………いいえ、ダメです。アゼルは、殺しては、ダメです。きっとそれはよくありません」
「は? 意味が分からんぞ。何がダメだと言うんだ」
「アゼルは強いんです。強いのならまだ頑張らないと。……アゼルは、頑張れる人でしょ?」
瞳を潤ませて、必死にアゼルを留まらせようとする。
自分が何を言っているのか、おそらくイリアには分かっていない。
しかし、ここで剣を振り下ろすのを止められなければ、きっと決定的な何かが終わってしまう。
そんな曖昧な予感だけが、強くイリアを突き動かしていた。
「頑張れるって言われてもな。そいつが襲ってくるたびに我慢しろってのか? いずれは俺の命に届くかもしれんぞ。……多分」
「いいえ、大丈夫です。私は信じます。信じられますから」
真摯な瞳でイリアはアゼルを見つめ続ける。
それをアゼルは嫌そうな顔で受け止め。
「いや、そんな勝手に信じられてもだな。………………、あ~、うるさいな。分かったよ。止めればいいんだろ。ったく、ここでお前と揉めることの方がメンドクサイ」
消えていくアゼルの殺気とともに膨大な魔素も収まっていく。
「っ痛。……で? これからどうするんだ? 放っておいてもそいつは死にそうだが」
アゼルは背中から突き刺さったままだったルシアの剣を刀身を握って強引に押し抜いた。
すると瞬く間にアゼルを貫いていた刀傷が癒えていく。
「あんたみたいに簡単に傷が治れば苦労しないわよね。悪いけどイリア、私も魔人なんて初めて見たし、治療法なんて分からないわよ。…………このまま苦しむようなら、介錯してあげるのも優しさよ」
アミスアテナの冷たい声音が響く。
「そんな、」
「こら馬鹿聖剣、それじゃ俺が何のために引いたのかわからないだろうが」
「何なのよ魔王まで。さっきまであんなに殺したがってたのに」
「うるさい。しかし俺も魔族ならともかく魔人の治し方なんて知らんし、下手に手を出せばかえって殺してしまいかねんぞ」
「……………………」
沈黙がその場を支配する。
伝説に謡われるほど実在事態を疑われていた魔人、そんな者の治療法など誰も知っているはずがなかった。
その時、
「歓談中失礼、そいつを助ける方法を教えてやる」
森の闇の中から、鍛冶士クロムが現れた。
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