第44話 灼銀無双

 エミルの全身に満ちる、灼銀の輝き。


 その矮躯に恐ろしいほどの魔力を滾らせて、一歩一歩エミルが歩を進め、



 唐突に彼女の姿が消えた。



 この戦いの初撃のような残像すら残さない。


 エミルは有り余る魔力を潤沢に使用して複数の強化魔法を同時に自身にかけていた。


 それに加えて空気の屈折率を操作しての光学迷彩、姿隠しの魔法まで使用する徹底ぶりである。



 そんな彼女の拳が、自分の勝ち筋を潰されて放心状態にあるアゼルの顔面を容赦なく殴り抜いた。



「ぐはっ!」


 アゼルの端正な顔立ちが結構見てられないくらいに歪む、


 が、アゼルは瞬時に気持ちを切り替えて回復に費やす魔素を増やすことでどうにかすぐにダメージを元に戻そうとする。



 しかし、エミルはそんなことはお構い無しと、姿を消したまま高速移動して全方位からアゼルを攻め立ていった。



 本来魔法使いたちの使用する姿隠しの魔法「ミラージュカーテン」は、隠す対象が静止していることを前提とした魔法であり、対象が動けば空気の揺らぎで隠密性が急激に低下する。


 実際に、現在も魔法がエミルのスピードについてこれずに要所要所で彼女の姿が見え隠れするのだが、元々ミラージュカーテンなしでも見逃してしまいそうになる彼女の歩法を合わせられては、もはやエミルの動きを捕捉することは不可能だった。



 エミルはアゼルの警戒網を用意に突破して、無防備な箇所を容赦なく殴り抜いていく。





 そんな中、アゼルは全身をタコ殴りにされながら、半ば勝利を諦めかけていた。

 



 戦闘技術は明らかにエミルが上、アゼルの強みである物量で攻めても完璧以上に対応されてしまった。


 今は回復と防御に全ての魔素を注ぐことで、なんとか倒れずにいるが、エミルの体力が尽きる気配は微塵もない。



「く、そ」



 そも、何のために彼は勝とうとしていたのか?


 顔を上げる。



 視線の先には不安そうにアゼルを見つめている、魔族の少年と少女が、



 絶対の信頼を寄せたはずの魔王の無様さに何を感じるのか。



 アゼルが国を飛び出さずに留まってさえいれば、おそらくはこのような残酷な仕打ちを受けることはなかったであろう子供たち。



 それを前にして、諦めることなど許されるのか?




「…………………そんなわけには、いかないよな!」




 瞳に鋭い力を取り戻したアゼルは、瞬時に大量の魔素を全方位に放出する。


 エミルに魔素を吸収される恐れはあるが、これによりアゼルの知覚範囲は拡大する。


 これでエミルの予測不能の動きを把握できるようになる……が、



「ほら、背中ががら空きだよ!」


 しかし、例えエミルの動きを知覚できたとしても、極限まで強化された彼女に対応する術がアゼルにはない。



 エミルの拳は先ほどまでと同様に背後からアゼルの身体を打ち、



「あれ!?」

 想定外の事にエミルは驚く。

 エミルは今までと同じ力で殴ったのだ、いくらなんでも貫通などするはずがない。



 仮に、アゼルが防御を捨ててでもいない限りは。



「やっと、捕まえたぞ。」

 アゼルは激痛を堪えて、背中から自身を貫いた腕を両手で捕まえる。

 口元からは赤い血が零れ出している。


 アゼルはあえて防御に回す魔素をゼロにして、エミルの一撃を受けたのだった。


 肉を切らせて骨を断つ、どころの話ではない。相手の僅かな隙を生み出すために心臓を差し出すようなものだ。



「あちゃ、こりゃ文字通り一本取られたね。……けどここからどうすんの? 両手で握ってちゃ魔剣は使えないでしょ?」


 ピンチに陥ったにも関わらず、エミルはこれから何が起こるのか、ウキウキした瞳をしている。



「それはな、こうするんだよ! マナ・マテリアル・ブラックショット。」


 アゼルがそう口にした瞬間、彼らの頭上から黒い飛来物がエミルへ向けて高速で放たれる。



「!?」


 エミルは直感と持ち前の超反射で謎の初弾を避けるが、飛来物は一つだけではなく次から次へと身動きの取れない彼女を襲う。


「どうだ。不定形の魔素は吸収できても、物質化した魔石はそうはいかないだろ。十倍返しだ、穴だらけにしてやる!」


 アゼルは自身から生成した魔素を高密度に凝縮させて、人工的に魔石を精製して弾丸のようにエミルに向けて打ち出していた。


 鋭利に尖った拳大の石が高速で飛んでくるのだ、まともに受ければただでは済まない。


「お、よ、とっ、あ、マズ。これヤバ!」


 自由な片手で魔弾を捌き、時にはアゼルの身体を盾にしながら魔石の射線から器用に逃れていたエミルだが、ついには回避不可能な姿勢にまで追い込まれてしまう。


 ついに魔弾がエミルを捉えようとするその瞬間、


 突然黒い布がアゼルの顔を覆う。



「!?!?」


 いきなり視界を奪われたアゼルは反射的に布を取ろうと、エミルの腕を握る力をうっかり緩めてしまった。



「っし!」


 エミルがその隙を見逃すはずもなく、一瞬で腕を引き抜き、アゼルの顔を覆った黒い布を回収しつつバックステップで大きく距離を取った。



「逃がすか!」


 失態を犯したアゼルもすかさず魔石の弾丸で追撃するが、両手の自由を取り戻したエミルには通用せず、その悉くが防がれてしまう。



「ふぅ、まったくこんな隠し球まで持ってるとか驚いた、よっ」

 エミルは超高速で飛んできた魔弾の一つを素手で難なく掴みとる。


「へー、随分と純度の高い魔石だね。これ一つでこの国の親父さんたちの半年分の給料はするよ。それを何十発も乱れ撃ちなんて勿体ない勿体ない」


 本当に勿体ないと思っているのだろう、手にした魔石を投げ捨てることなくエミルは懐にしまってしまう。



「くそ! さっき上から落ちてきたのは、初めにお前が投げ捨てたローブか。ちっ、最初からこれを狙っていたのか?」


 そう、先ほど急にアゼルの視界を遮ったのは、エミルが空に舞い上げていた黒金のローブだった。



「別に狙ってたってほどのことじゃないよ。ただ保険のひとつとして考えてただけ。ただバカみたいに殴り合うだけが戦いじゃないでしょ。アタシは戦う以上は本気で勝ちを取りにいくよ。アンタは違うの、魔王?」



「…………っ」


 アゼルは答えに窮する。

 救いたい命がある以上、本気で戦っているのは本当だ。


 だが、アゼルが全力で戦ったのは前回のイリアとの戦いが初めてだ。


 エミルの、戦いを楽しみながらもひたむきに勝ちを取りに行く姿勢と同じものを持っていると答える自信が彼にはなかった。



「ま、いいや。あんまり長話してるとすぐに回復しちゃうしね。このローブも戻ってきた以上、この技で片付けようかな?」


 エミルが黒金のローブを羽織りなおすと、両手から虹色の光が輝きはじめる。



 対するアゼルは、身体を貫かれたダメージから未だ回復できず動けずにいた。


 たが、たとえ動けずとも出来ることがあるうちは諦めるなど魔王に許されるはずがない。


 アゼルは右手を伸ばして掌から直接魔石を神速で撃ち出した。


 魔王からの反撃に一応気を払っていたエミルは首を捻って回避するが、右頬を僅かに掠めて一条の血が流れる。



「フフ。」


 未だに活きのいい獲物をみて思わずエミルから笑みが零れる。


 頬から血を流しながら凄惨な笑顔を見せるその姿は、魔王よりも魔王らしかった。


「このローブは微量ながら全属性のジンが内包されている貴重品でね。これを装備中のアタシなら五爪掌……クィンテッド・エレメントやの魔法も出せる。」


 そう言うとエミルは両手を右腰のあたりに深く溜めて魔力を集中させる。


 彼女の両手の輝きはより一層密度を増していき、絶対的な破壊の予兆を感じさせた。


「く、」


 アゼルは肉体に必死で鞭を入れるが、エミルの技を回避できるほどの体力はまだ回復していない。



「それじゃあ、バイバイ魔王。街中で絶対に使うなって言われた魔法だけど、これで跡形もなく消し飛ばしてあげる。」


 腰溜めの姿勢から、エミルがまさに破壊の一撃を撃ち放とうとする。


「エ・レ・メ・ン・た、」


 その刹那、


「させません!」

 一陣の、白銀を帯びた風が吹き抜ける。



 その風に触れやいなや、エミルの両掌に収束していたエネルギーは瞬く間に雲散霧消していった。





 それは、いまだ身動きの取れない魔王を庇うかのように、


「な、おい。イリア。」

 

 強い眼差しを携えた、白銀の勇者が立っていた。

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