第36話 魔族の子供

 暗く、湿気の強い牢屋。

 奥の方へと目を向けると何者かが壁に鎖で繋がれている。


 それも二人。


 年の頃は今のイリアの姿と同じ10歳前後だろうか。

 一人は赤髪の少年、もう一人は青い髪が肩まで伸びた少女だった。


 二人とも髪はボサボサで身体も煤けており、ひどい悪臭がした。

 


 両腕は鎖に繋がれて吊り上げられており、幾度となく暴力を受けてきたのだろう、全身は痣だらけとなっていた。

 二人には首輪が付けられており、首輪の中央には黒い宝石が付属している。


 二人とも衰弱しているのは明らかであり、とくに青髪の少女は項垂うなだれて気力を失なってしまっている。

 赤髪の少年も疲労によりやつれているが、ただ一点、その両の眼差まなざしのみが、気高い光をたたえていた。



「水を、くれないか?」

 赤髪の少年は掠れながらもなお力強い声でイリアに頼んできた。


「は、はい! 少し待って下さい」

 深刻な事態とみたイリアは慌てて水筒を少年のところへと持っていく。


「いや、違う。俺じゃない。カタリナにやってくれ」

 そうやって、隣の少女に目配せする。


「ユリウス? 私はまだ、大丈夫だよ」

 弱々しい声ながらも少年に対して気丈に振る舞う少女。


「大丈夫だろうと口にしておけよ。俺はいいから」



「いいですからお二人とも飲んで下さい! 私の分は大丈夫ですから。このお弁当も二人で食べて下さい」


 そう言ってイリアは水と弁当を差し出した。


「いや、貴族たる俺たちが人間にそこまでの施しを受けるわけにはいかない。多くは求めない。ただ、こいつが飲める分の水だけでも貰えるのならそれで十分だ」


 決して媚びることのない強い目で少年はイリアの厚意を固辞する。


「そんなのいいから食べなさい!! 子供が遠慮なんてしないの!」


 少年の決意などものともしない強引さでイリアは水と食事を改めて差し出す。



「??? お前も子供だろ? ったく人間のくせに変な奴だな」


 イリアの剣幕に驚いた少年は、目を丸くしている。



「そういうあなたたちは魔族、なんですね。いつからここに捕らわれているんですか?」


 イリアは先に青い髪の少女に水を与えながら問いかける。

 少女は少しずつ、渇いた心を潤すように水を口にしていく。



「俺たちがここの連中に捕まったのは大体10ヵ月前だ。魔王軍が勇者たちに敗れ、俺達は親たちと共にこの国に逃げ込んで立て籠り、反撃の機会を待った。……だけどそれも勇者の追撃にあって俺達は完全に敗れ、こうして人間たちに捕まることになったわけだ」


 少年は自嘲気味に苦笑いを浮かべながら語る。


 それを聞いていたイリアの肩が小さく震えていたことに、気づけた者はこの場にいただろうか。



「そ、それで、あなたたち以外の魔族の人たちは?」

 微かな不安を感じてイリアは聞く。




「死んだよ。みんな死んだ」


 ただ簡潔に、何の感情も込めずに少年は答えた。


「こっちには自然に存在する魔素なんてないからな。自分で十分な魔素を生成できない連中は次々に嬲り殺されていった。拳で殴られて死んだ。鈍器で殴られて死んだ。剣で殺された。水責めで殺された。鞭打ちで殺された。毒で殺された。餓えて死んでいった」


 淡々と語り続ける少年の瞳から光は失われ、まばたきをすることもない。


「俺たちは貴族の子供だからな。人間の生半可な攻撃じゃ傷つかない。……だけどそれはあいつらにとっても都合が良かったらしい。俺たち二人以外の魔族が全員死んでしまって、あいつらは気がついたんだ。『このままでは恨みを晴らす相手がいなくなる。……ああ、壊れないオモチャが残ってくれて良かった』と」


「それからは毎日のように俺達は広場に連れ出されてあいつらのリンチを受け続けた。……別に痛くはなかった。ただ、先のことを考えると泣きたくなるから何も考えないようにした」


「分かったことは、あいつらは正しかった。あいつらの行いがじゃない。あいつらは正しい怒りのもとで俺たちに暴力を吐き出していた。親を殺された奴、子供を殺された奴、友達を殺された奴。ああ、俺が自由になったらあいつらに同じことを必ずすると確信できるからこそ、あいつらの理由と行為は紛れもなく正しく繋がっていた」


「………………見も知らない連中に殴られながら、俺はずっとそんなことを考えていた」


 そんな少年の独白に、誰が何と言葉をかけられただろうか?



「……おい、何でお前が泣いてるんだ」



 ただ、言葉の代わりに、イリアの瞳からは幾条もの涙が零れ落ちていた。


「やっぱりお前は変な奴だな。……気が変わった。俺にも少し水をくれ。話をしてたら喉が渇いた」



「ごめんなさい。ごめんなさい」

 イリアは謝りながら、少年にも水を飲ませていく。



「ごく、ごくっ、……はあ。何で謝るんだよ。礼を言うのはこっちの方だ、ありがとう。最期にお前みたいな人間がいるって知れて良かった」


「二人で話して決めたことなんだ。人間は嫌いだけど人間を憎まない。あいつらと同じ獣になって消えていくのは嫌だから」


 もう一人の青髪の少女は話す気力もないようだが、少年の言葉に同意して頷いている。


「お前のおかげで本当に奴らを憎むことなく逝けそうだ。……一度は断っておいてなんなんだが、その弁当、分けてくれないか?」


 少年はさっぱりとした笑顔とともに不穏な言葉を吐いていく。



 だが今のイリアには恐ろしくてその先を聞くことができない。


 心のどこかで気づいている真実から目をそらすように彼らに食事を分け与えていく。


 水を飲み、食事をして気力が回復したのか青髪の少女にも笑顔が出てきた。



「ありがとうございます。美味しかったし、嬉しかった。……人間にも暖かい人がいるのですね」


 まだ弱々しいながらも気丈な声で少女はお礼をする。



「名前、ちゃんと言ってなかったな。俺はユリウス、ユリウス・ガトーショコラ。こいつはカタリナ・ザッハトルテだ。お前の名前は?」



「私は、イリア」



「そうか、いい名前だな。……ありがとう」


 そんな少年少女の感謝を受けて、イリアの心は再び軋む。



「……ところで、あなたたちの魔王はどんな人なんですか?」


 所在の分からない良心の呵責から逃げるようにイリアは話題をそらした。



「魔王様? 変なこと聞くんだな。魔王様はとにかく凄い人なんだぞ。ずっとずっと長い間、俺たち魔族を率いてくれてるんだ。……まあ最近は病気で何年も表舞台には出てこられていないんだけどな。俺たちが物心ついた頃には既に病気で伏せっておられたから、本当は俺らは魔王様に会ったことがないんだ」


 目をキラキラと輝かせて魔王について語り、未だ対面したことがないことにショボンとする。

 赤髪の少年、ユリウスはここにきて年相応らしい姿を見せた。



「それでもきっと物凄く素敵な方に違いないわ。お父様はいつも言っていたの。あのお方ほど、能力も人格も優れた人はいない。お前も将来は魔王様みたいな方と結婚しなさいって。あととても格好いいんですって」


 青髪の少女、カタリナも続けて魔王を誉めちぎっていく。



「へ、へ~。そうなんだね~」

 イリアは先ほどまでとは別ベクトルの気まずい気持ちを抱えてしまった。


 確かに魔王アゼルの本来の容姿は整ってたかもしれない……が、イリアの脳裏に浮かぶのは小さく可愛らしい妖精の姿であり、憧れを交えて話す彼らに対して素直に共感することができなかった。

 何より、アゼルが人間たちの領域で10年も引きこもっていたとは、とてもこの少年たちには伝えられない。



「魔王様が健在なら、きっと魔王軍が負けることもなかったんだ。あのにだって魔王様が負けるなんて絶対にないんだから」


 絶対の信頼をもって熱く少年は語る。



 こうやって第三者の視点から魔王の話を聞いたことで、アゼルが魔族たちにとっての本当の英雄であることを改めてイリアは感じとる。


 そしてその英雄を封印したことへの後ろめたさも、



 その後ろめたさから、イリアはある質問をこぼしてしまう。





「勇者は、やっぱり憎い?」

 




 おそらく、世界中で彼女だけは、この質問をしてはいけなかった。

 


 しかし、その質問の無神経さにイリアが気づく前に牢の外から声がかかる。



「お前たち、時間だ」

 そう言って、イリアにお弁当を渡した髭の衛兵が牢の鍵を開けて入ってくる。


「って、お嬢ちゃん。奥には近づくなと言ったのに、そいつらの近くにいて大丈夫かい? 怪我なんてしてないだろうね。封魔石で弱体化しているとはいえ、漏れ出た魔素の影響があるかもしれない。体調が悪くなったらすぐに言うんだよ。医務室に連れていくからね」


 優しい。とても優しい言葉での子供であるイリアを心配する衛兵の男。


 ユリウスとカタリナの首輪に付いた黒い宝石は封魔石と呼ばれる、周囲の魔素を際限なく吸い続ける貴重な品であった。

 これを着けていることで、彼らは自らの生命維持に必要な程度の魔素しか生成できなくなっている。


「さてお前たち、もう覚悟は済んでいるだろうな」


 先ほどまでイリアに優しい言葉をかけた人と同一人物とは思えないほどの、憎しみのこもった声と視線で魔族の子供二人に向け、繋ぎ止めていた鎖を外す。



「待ってください。この子たちをこれからどこに連れていくんですか?」


 衛兵の纏う尋常ではない空気から、これから恐ろしいことが起こるとイリアは予感した。


「どこって、そりゃあこれからこいつらをに連れていくのさ。アスキルドの民はずっとこの日を待っていたんだ。これでやっとこの国から魔族を根絶やしにできる。今日は国を挙げてその事を祝うのさ」


 そう語る男の口元は昏い笑みが浮かんでいた。

 

 イリアはその顔にどこか見覚えがあった。



「処刑って、こんな子供ではないですか!」



「……子供だね。でもただそれだけだ。こいつらにかける同情は必要ない。最後まで生き残ったのがこいつらで、ならば最後は大々的に殺さなければみんなの気はおさまらない」



「どうして? どうして!」

 懇願するように、糾弾するようにイリアは叫ぶ。


「…………僕にもね妻と子供がいた。僕はね妻と子供をこいつら魔族に殺された。僕だけじゃない。この国の誰しもが魔族の連中に大切な人を踏みにじられた。………………どうだろ? それじゃ理由になってないかな」


 そう昏い瞳で男は語る。


 イリアはその顔にどこか見覚えがあった。



「さて、外でみんなが待っている。さあお前たち、ついてこい」


 首輪に鎖を繋ぎ直して男は無慈悲な目をして魔族の少年と少女を引っ張っていく。



 イリアはその顔にどこか見覚えがあった。



 イリアは毎朝、その顔を見ていた。


 宿の鏡、顔を洗う時の水面、聖剣を磨き上げるときに映る自分の表情。


 少年たちを連れていく男の顔は、行き場のない憎悪をぶつける先を探しているその表情は、村のみんなの仇を追い求める自分と同じものではないのか。



「そうだイリア。これは答えておくよ」


 衛兵に連れていかれながら、赤髪の少年、ユリウスは言った。


「俺たちはこいつら人間を憎まないと決めた。だけど勇者だけは別だ。あいつは俺とこいつの父を殺した。俺たちの目の前で。あいつは、勇者のあの目は、父たちが憎くて殺したわけじゃなかった。今ならわかる。あれは義務のような、形のない惰性のような、あいつ自身にとってはさして意味もないことのために父は殺された。……だから、俺は殺したいほど勇者が憎いよ」


 そう言い捨ててユリウスたちは連れ去られていく。






 ここにきて、イリアは自身の逃れられない罪にようやく捕まった。





「あ、ああ」


 たった一人取り残された牢屋の中で、



「あああああああぁぁぁあぁ!!!!」


 座り込み、両手で顔を押さえてグシャグシャな顔でイリアは号泣する。



「私だ、私だ、私なんだ!」



 誰一人聞く者のいない暗闇にて、



「あの子たちをこの地獄に叩き落としたのは私なんだ!!!!」



 終わることのない慚愧ざんきの声が響き続けた。

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