第12話 希望をもって
荷馬車の外から切迫した話し声が聞こえてくる。
「くそっ! イーヴィルウルフの群れだと! ふざけやがって、この辺りで出てくるなんて聞いてねぇぞ。てめぇら馬の速度を上げろ。逃げ切るぞ!」
野盗の親分が素早く部下に指示を出す。荷馬車の速度も上がったことで揺れがさらに大きくなった。
魔獣とは魔素が肉体に侵食したことによって凶暴化した動物たちだ。
200年前に魔界の門から大量の魔素が流入した時、多くの動植物も死滅した。しかし、その魔素の毒性に耐えきった何割かの動物たちは強大な肉体と凶暴性を獲得して人間たちの脅威となり、魔獣と呼称されるようになった。
魔獣は魔族と同様に魔素骨子を有しており、一般の人々が打倒することは非常に難しい。
「イーヴィルウルフ? でも、魔獣がこんな魔素のほとんどない街道に出るなんて聞いたことがないよ」
魔獣は基本的に魔素の濃度の高い地域でしか生息できない。人間が空気を吸わなければ生きていけないのを同じように、魔獣も魔素の存在しない場所ではすぐに弱ってしまうのだ。
そして現在の街道は物流を安定させるためにも、魔素の影響が強い大境界から離れた場所に作られるのが一般的である。はぐれならばともかく、この辺りで魔獣が群れをなしてくるなんて普通であれば考えられない。
馬車の速度を上げたことによって揺れの激しさは増していき、先ほどから簀巻きにされたアミスアテナも馬車の中を右に左にと転がり回っている。そしてその衝撃で縛ってあった結び目もほどけてしまったのか、ついには粗布から解き放たれて出てきた。
「ぷはっ。やっと出てこれたー。それにしてもゴロゴロと転がされて気持ち悪いわね。イリア、今外では何が起こってるの?」
「聞こえてくる感じだとイーヴィルウルフが襲ってきてるみたい」
「魔獣? なんでこんなところまで出てきたかは知らんが、奴らの自業自得だろ。一緒に餌にならない内にさっさと逃げるとするか」
(可愛らしい見た目で冷たいことをいうなぁ。だけど、私は……)
「カシラ、無理だ! このままじゃ追いつかれる!」
魔獣の群れは、野盗たちの最後尾に今にも追いつこうとしていた。
「くそったれ、しつこい狼どもめ。おい、応戦するぞ!」
覚悟を決めたのか。それぞれが武器を取り出してイーヴィルウルフと切り結び合っていく。それに伴い馬車の速度も落ちていき、戦闘が徐々に激しくなっていくのが中にいるイリアたちにも伝わってきた。
イーヴィルウルフは低級ではあるが、れっきとした魔獣だ。魔素骨子が編み込まれた彼らの肉体に野盗たちの攻撃では効果が薄い。
普通の人間としては十分に戦えている方だが、彼らは徐々に傷ついていき劣勢に立たされ、ついには馬の足も止められて囲まれてしまった。
「アミスアテナ!私たちも戦わないと。あの人たちが死んじゃう!」
「あのね、人の心配してる場合じゃないでしょ。まあこのままだとあなたも狼たちのご飯になっちゃいそうだし、戦わないとしょうがないのだけどね。そこのひねくれ者の魔王様? やっぱりこの子の縄を切ってもらえると助かるんだけど」
「だから、お前たちを助けてやる義理はないって何度言えば分かるんだよ。……っておい、お前何してんだ」
魔王は驚いたようにイリアに声をかける。
(?? いったい何のことだろう? 今は一刻も早く、あの人たちを助けなきゃいけないのに)
「イリアどうしたの? って、あなた手首が血だらけじゃない」
アミスアテナも驚いている。
(ああ、なるほど。魔獣が襲ってきたと聞いたときから、力いっぱい縄を外そうとしていたから、手首の皮が破けちゃったんだ)
しかしそんなことはイリアにとって今はどうでもよかった。自分の身体が傷つくことよりも、守るべき人たちの力になれないことの方が彼女には辛いことだから。
「……っ! 何なんだよお前は。そんなに自分を攫った連中が大事かよ」
イリアの背中から苛立ちの籠った声がかかる。縄を破るのに必死で振り返る余裕もないが、その声に彼女はできるだけ真っ直ぐな気持ちで応えを返す。
「そうですね。確かに彼らは悪人だと思います。ですが、それは私があの人たちを助けなくてもいい理由にはなりません。それに助けてはいけない理由もないですよね。勇者としての責務ではなく、私は希望をもってあの人たちの力になりたいのです」
イリアは偽らないありのままの心で答えた。
「…………責務ではなく、か」
そう呟いたあと彼は何も言わなくなった、代わりに突然イリアの手首が軽くなる。
彼女の両手は再び自由を取り戻し、後ろに振り返った時には、彼はイリアの縛りを断ったであろう黒い刃を気まずそうに消していた。
「っ、ありがとうございます!」
誠心誠意、精一杯の謝意を込めてイリアは頭を下げる。
そしてすぐに自分の両足を縛っている縄をほどいていく。そんな彼女の背中で、
「随分とお優しいのね」
茶化したような言葉をかける聖剣と、
「あー、うるさいな。子供の姿をしたやつが、血を流してるのは誰だって見たくないだろ?」
悪態をつきながら、
本当にただの優しい理由を告げる誰かがいた。
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