43.瞳
――アルゴン帝国 とある執務室
「――チヨメよ、貴様ら忍びとやらは諜報活動が得意なのであろう? であれば、我がアルゴン帝国のためにボロン王国へ潜入して軍事情報を集め――モーリブ商会の商会長を殺害するのだ」
およそ執務室とは思えないほど宝飾類が大量に飾られ、ずっしりとその大きな体格をソファに沈ませながら男は言った。
「……わかった」
「チッ、その言葉遣いはどうにかならんのか。このワシを誰だと思っているのだ、まったく……」
「……肥えた豚」
「あぁん? 今なにか言ったか?」
「何も……」
「っとに、何考えてるかわからんやつだな」
男はブツブツと文句を言うが、チヨメはまったく意に介すことなく、平然とした目で男を見つめた。
「フンッ……まあ、おかしな女ではあるが、見た目はなかなかワシ好みだな。どれ、この宰相である『ブロウ・ミーン』様が相手してやろうかの」
ミーンはニタニタしたいやらしい笑みを浮かべ、チヨメを上から下まで舐め回すように品定めた。
「……気持ち悪い」
「あ? 今、貴様何と言った?」
「べつに――」
「――今のは聞こえたぞ小娘がっ! このワシを馬鹿にしおって! よいか、貴様の部下のことをよもや忘れたわけではないな? このワシにふざけた態度をこのまま取り続けるのなら、貴様の目の前で辱めてやるぞ! わかったか!?」
チヨメはぐっと歯を食いしばり、
「……わかった」
「おい、このボケが。こんだけ言ってもわからんのか?」
「……わか……りました」
ミーンに頭を下げた。
「フンッ! 最初からそうしてればよいものを。まったく、誰のお陰で今こうして使ってもらえていると思っているのだ。少しばかり腕が立つから使ってやっているが、本来なら貴様なぞ愛玩道具がせいぜいだぞ。ほれ、感謝の1つでもしてみせよ」
「――!」
チヨメは理解した。
この男はチヨメを屈服させたいのだ。
ミーンが
「……私を使っていただき……あ、ありがとう……ございます」
チヨメは心にもない謝辞を述べた。
「ブホホ、いい気味だわい。ふむ、この任務が終わったらその身をたっぷり可愛がってやるでの。当たり前だが、拒否権なんてないぞ? むしろ光栄に思え。ほれ、『ミーン様、私を可愛がってください』って言ってみよ」
「――っ!」
そこで初めてチヨメの瞳に怒りの色が滲むが、
「言え」
ミーンは冷たい声で命令する。
チヨメは逡巡するも、
「……ミーン様、私を……か……」
「か?」
「か、可愛がって……ください……」
諦めたようにミーンの命令に従った。
「くふふふ、わかったわかった。この任務が終わったら一晩中……いや、何日でも飽きるまで可愛がってやるわい。ブホホホホ――」
◆◇◆
ミーンの執務室を出たチヨメは、ボロン王国へ潜入するために行動を開始する。
「――チヨメ様」
「……ラン、どうしたの」
スッと、素人には気配も感じさせない姿がそこにあった。
もちろん、チヨメは初めから気付いていたが。
「あの醜い豚……! チヨメ様のご命令とあらば、今すぐにでも――!」
「それはダメ」
チヨメは短く拒絶する。
ランもそれはわかりきっていたことだったが、自分の仕える頭領が言葉だけとはいえ、ああして辱められることが耐えられなかったのだ。
「ケイとスズに危害が及ぶ。あの男なら、見せしめにどちらか1人だけ殺すなんてなんとも思わない。それはダメ、絶対に避けるべき」
チヨメには、ケイとスズという配下がいた。
くノ一の頭領であるチヨメは、これまで主を探すために配下たちによる情報収集を長年行ってきた。
結局のところ、そこに結びつく情報はまったくなかったが、ある時、ケイとスズがアルゴン帝国に錬金術師の情報があると掴んだ。
――チヨメは内心歓喜した。
ようやく手にした情報だ。
チヨメ自ら動きたいところであったが、当時は別の国に潜入しており、そのまま継続してケイとスズの2人に調べさせた。
――だが、結果的にはこれが失敗だった。
2人はアルゴン帝国に潜入したが、あえなく捕まってしまう。
アルゴン帝国はこれまでの国々と違い、覇権主義の国で内部の監視もひときわ厳しかったのだ。
その後、チヨメはミーンにその能力の高さを買われ、2人の命と錬金術師の情報を条件に、アルゴン帝国のために任務を受けることになった。
いや、無理やり受けさせられたというのが正しい言い方だろう。
「ラン、ケイとスズは助け出せそう?」
「――!」
ランは悔しかった。
これまで知るチヨメは、感情に左右されることなく淡々と目的を達成する、プロフェッショナルという言葉がピッタリの人物だった。
だが、目の前の
「も、申し訳ございません……居場所も……錬金術師の情報も掴めておりません……」
「……そう」
チヨメの瞳から光がなくなったように、ランには見えた。
ランは、チヨメの期待に応えられないことが悔しかった。
少なくとも、ケイとスズの2人を助け出せれば、ミーンの命令に従う必要はないのだ。
もっと言えば、忍びの掟に従って、チヨメが2人を見捨てればいいのだ。
だがその決断を下すには、頭領は優しすぎたのだった。
「気にしないで」
その言葉に、俯いていたランは顔を上げた。
「時間はまだある。私はボロン王国に行かなければならないから、まずは、2人の行方をみんなで探して」
「はっ! 必ずや――!」
ランは一瞬にして、その場から消え去った。
「私は諦めない」
チヨメがひとり呟く。
「絶対にお館様を見つけ出す――!」
その瞳には強い意志が宿っていた。
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