フードコートの一本うどん

南沼

うどんを食べに行った時のこと

 ちょうど近くまで足を延ばしていたところで時間も良い感じに余裕が出来たので旧友の田辺に「なんかこの辺でうまいもんある? 連れてってよ」と連絡をとってみたところ、ふたつ返事で釣れたは良いものの連れてこられてのは郊外のショッピングモールだった。

 9月のよく晴れた日で、まだうだるような残暑が続いていた。


「ええ、なんかもっとこう……ないの?」

 それ以上口に出すことはなかったが、いかにも「低中所得帯の家族連れが日がな過ごせるようコストパフォーマンスとタイムパフォーマンスを一義的に追求しました」という商業複合施設で、一体どんな『うまいもん』を食べさせようというのか。

「結構珍しいものもあるんだよ、一本うどんとか」

 一本うどん。その料理には聞き覚えがあった。

「鬼平で読んだことあるな。めっちゃ太いうどんだっけ?」

「そうそう」

 田辺は我が意を得たりといった風で、「ここ結構昔からあるから、そういうのもフードコートにあったりするんだよ」と言った。

「そんなに古いんだ」

「たしかこの辺りだと一番古かったんじゃないかな。このへん空襲もなかったから」

「え、じゃあ戦前から?」

 そうは見えないな、と辺りを見渡す。

 白いリノリウムの床に、光沢こそないが同色の壁紙。天井は高く空調も効いている。

「そんな古い建物には見えないけどな」

「そりゃそうだ。改装だのメンテだのはしょっちゅうしてるもの」

 どうやら、時代に合わせて少しずつ作り変えているのだとか。

 土曜日だけに、モール内を歩く人は多い。今私たちが歩いているのは1階の一番端っこにある食料品売り場だった。目の前にはパンを陳列している棚があり、食パンや菓子パンとともに特売品のポップがその存在を主張していた。家族連れをはじめとしたさまざまな男女がその前を通り過ぎ、あるいは品定めの後買い物かごに放り込んだりしているのだが、その中に一般客らしからぬ格好の一団が紛れていた。大仰な、ゴーグルと一体になったガスマスクとフリーサイズの防護服を身に着けきっちりフードまでかぶっているものだから、男なのか女なのかもはっきりとは分からない。

「ああ、ありゃ保守点検のスタッフだよ」と田辺は言う。

「それにしちゃ、大げさな格好だな」

「危ないところもいっぱいあるしな」

 そんなものなのだろうか。

 彼らはどこに向かうのだろう。この平和そのものに見えるショッピングモールのどこに、そんな装備を必要とするような場所があるのだろうか。思わず目で追い足をそちらに踏み出そうとするが、田辺に止められてしまった。

 なんでも、彼らが向かう先はこのショッピングモールの中で最も危険な場所らしい。普通の客ならば、むしろそちらを避けるはずだと。


 目当てのフードコートは土曜日の昼食時とあって混みあっていたが、運よくテーブルのひとつを確保することが出来た。周りにいるのは大体が子供連れで、みな買い物袋やベビーカーを脇に置いて楽し気に談笑し、ハンバーガーやピザを口に運び、あるいは早くもパフェなどのデザートを楽しんでいるテーブルもある。朗らかな店内BGMに溶ける喧騒が心地良かった。

 他にもカツ丼の専門店やラーメン店など様々な店舗が壁沿いに並んでいるが、そのどの店舗名にも見覚えがなかった。どうやら有名どころのチェーン店はここには出店していないようだった。

「じゃ、各々食べたいもん買ってまたここ集合な」と言って一度解散し、私はうどん屋の列に、田辺はラーメン屋と思しき店舗の方に向かった。

 一本うどんは予て小説で読んだ通り、一本きりの太く短いうどんが褐色のつゆの中にとぐろを巻いただけのものだった。素うどんそのままで、青ネギすらない。白く簡素なプラスチックの丼と相まって、食べ物というよりはもっと別の、なにか異形のもののように見えた。ひどく無愛想な店員が吐息にも似た「ありがとうございました」の声と共によこした丼の、つゆの中に浮かぶ無数の小麦粉の欠片にかえって生々しい迫力がある。

 丼の中身と睨めっこをしながら席に戻ると既に田辺が席に着き、プラスチックトレイの上の丼からラーメンをすすっていた。

「何ラーメンにした?」

「ひょうゆ」

 飲み込んでから喋れよ、と呆れ顔で言うと、田辺は慌てて口の中の麺をごくんと飲み込んだ。

「そっちは一本うどんか」

「まあ、これが目当てだからな」

 まずは丼を持ってつゆを一口すする。

「……」

 ぬるいし、味も香りも薄い。

 麺を一口齧る。

「…………」

 中心の方がえらくもそもそしている。

「なんか言えよ」

 感想を急かす田辺に正直に言うべきかどうか迷いながら「いやあ、思ったよりこう……」と言葉を濁したところで気が付いた。


 静寂。

 周りにいた家族連れやカップル、老若男女が皆会話を止め、赤ん坊すらが泣くのを止めて、全員が。

 全員が、私を凝視していた。

 凍り付くような無表情なのに、眼だけは大きく見開いて。

 いつの間にか、流れていたはずのBGMも止まっている。

 全き静寂。

 私に集中する視線以外、何も存在しない空間。

 私は私に向かって集う無数の視線を受けてまんじりともできず、箸を中空で静止させた体勢のまま固まるしかなかった。

 田辺もまた無言ではあったが、彼の何か発言を急かすような目配せに気付いた私はそれに縋りつき、何とか言葉を絞り出した。

「まあまあ、おいしい……かな」


 途端に、音が戻った。

 周りの客たちは急に私に興味を失くしたように自分の連れ合いの方に向き直り、てんでんばらばらにお喋りを始める。BGMも再生が始まり、辺りはカクテルパーティじみた喧騒を取り戻す。

 私は大きく息をついた。心拍数が大きく上がり、冷汗が毛穴から噴き出していた。

「駄目だよ、地元民はこういうのにプライド持ってんだから」

 だから下手なことは言わない方が良い、田辺は呆れたように私を窘めた。

 私はまだ不穏に高鳴る胸を押さえ、無言で頷くほかなかった。


「おれデザート食うけど、おまえどうする?」

「まだ食うのかよ」

 田辺はラーメンを平らげてなお胃袋に余裕がありそうだったが、私はすっかり食欲が失せていた。

「おれは良いよ。てか何喰うの」

「んー、ソフトクリームの気分かな」

 どうやら、このフードコートではなく、階下の専門店街の一角で売っているソフトクリームが安くて美味いのだという。

「50円だぜ、凄くない?」

 それは確かに安い。きょうび珍しい価格だ。

「企業努力だろうな」

 手近なエスカレータに乗り向かった店先には、確かに「ソフトクリーム 50円」の幟が立っていた。

「すんません、バニラひとつ」

 田辺が小銭を渡すと、店員の一人がカウンターの後ろにある機械でソフトクリームを作り始めた。よどみない手つきでコーンの上にクリームを巻いてゆく。

「おい!」

 どこかから怒鳴り声が聞こえ、店員がびくりと手を止めた。

「おい、クソ喰い!」

 また、声が聞こえた。男児のような甲高い声だった。

「クソを喰えよ、おれのクソだよ」

どこから聞こえてくるのだろうかと戸惑っていると、店員の操作している機械の、金属光沢のある蓋が大きく開いた。

 開いた蓋の中には、黒く塗りつぶされたような色合いの何かが見えた。それは確かに蠢いており、大まかに言って人間の形に似ていた。ただし、ひどく小さい。

「おれのクソ舐めるか? おい!」

 金属製のバンドか何かで機械に固定されているそれは、まだ甲高い大声で叫んでいる。店員が慌てて蓋を閉める間にも、ずっと叫び続けていた。

「ほんとに食わなくていいの? マジで美味いよ」

「……遠慮しとくよ」

 何事もなかったかのように店員から受け取ったソフトクリームを、田辺は美味そうに舐め始めた。


「他にも何か見たい店ある?」と田辺に問われ、特に何も予定していなかった私は少し返答に窮してしまった。

「というか、どんな店があるんだよ」

 田辺はしばらく腕を組んで考えたあと「……色々」と何の役にもたたない返答を寄こした。

「実際なんでもあんだよ」

 そう田辺は熱弁する。

 たっぷり売り場面積をとった食料品売り場に、多種多様な間口を揃える専門店街。ここに足を運びさえすれば全ての買い物を済ませられて一日中時間を潰せる。そういう商業施設だしその意味では田辺の弁は正しいだろう。

「でも、なんでもって事はないだろ」

「じゃあさ、試しに今欲しいもん言ってみ」

 田辺が言うには、本当になんだって揃うのだそうだ。だから欲しいものを挙げれば必ずそれを売っている店に連れてってやると言う。半ば意地になったような提案だった。やや大人気に欠ける振る舞いだが、それに対抗しようとする私も他人のことは言えない。

「じゃあ、苦痛の梨」

「は、なにそれ?」田辺がきょとんとした。

「中世の拷問用具」

「バッカおまえ、」という田辺の声に、涼やかな女性の声が割り込んだ。

「でしたら、専門店がございます」

 制服を来た女性が、カウンター越しに私たちの会話に割り込んでいた。なんということはない、私たちはインフォメーションセンターのすぐそばで話し込んでいたのだった。

「ここから時計回りに3周目、右手に『アポロニア』という店舗がございます」

 口元に笑顔を貼り付け不自然なほどハキハキと喋る女性スタッフに「あ、ども、すんません」と気まずさまじりの返答を不格好な会釈とともに返し、そそくさとその場を離れる。

「あの人、なんか変なこと言ってたよな。3周目だとか」

「ああ、それね」

 折よく通りがかった案内板のところで立ち止まる。田辺が、案内板に『現在地』のマークとともに描かれた略図を指差しながら説明してくれた。

「この建物って、大体こんな風にフロアが楕円形になってるだろ」

「そうだな」

「時計回りに回っていくと、1周目と2周目で店の並びが変わるんだよ」

「え、なんだそれ」

「3周目も違う」

 田辺が言うには、周回を重ねるごとに変わった店が増えていくのだそうだ。そして、反時計回りに巡ると戻ってくる。

「だからここって、外から見るよりずっと広いんだよ」

 他人の記憶だとか、誰からも忘れられてしまった概念なんかも売ってるらしい、おれは見たことないけど、と田辺は言う。

「田辺は、その……どこまで行ったことあるんだ?」

「12周だったかな」

 5周までは普通の物品――この場合拷問用具も『普通』に含まれる――を取り扱っているが、7周あたりから形而上のものが混じり出し、10周を超えると客も店員も人ではなくなる、らしい。

「人間じゃかったら、何なんだよ」

 田辺は難しい顔をしながら、「黒い線っていうか、鮫のエラみたいな……」と身振りを交えて言葉を紡ごうとしていたが、すぐにため息とともに説明を諦めてしまった。

「で、拷問用具が欲しいって?」

「……いや、もういい」


「あれって、何してるんだ」

 そう言って私が指差したのは、一人の男性だった。濃紺のポロシャツを着たその男は、通路の隅で床に横たわっていた。いわば側臥位の姿勢だが、奇妙なのは頭の下、こめかみのあたりに五寸釘を添えていることだった。釘は頭を床に、尖った方を頭に当てているおかげで、頭だけをやや起しているようにも見えた。そして脂汗に顔を光らせ、目を見開きながら力いっぱい叫んでいた。

「ひと叩き1000円、1000円です!」

 叩くというのは、傍に立てかけてある大きな木槌のことを指しているのだろうか。

「たまにいるんだよな。メダルゲームとかに熱中しすぎて帰りの足代まで使い込んじゃうヤツ」

 田辺は、顔を顰めていた。

「叩くって、あれで、頭を?」

「他に何があるんだよ」

「いや、あんなことしなくてもATMがあるだろう」

 いくらなんでも正気ではない、死んでしまう。

「そんな頭があれば残金を計算できるだろ。それに死ぬったって、あんなもん半分ハッタリだよ」

 見かねて小銭を恵んでくれる人間を待っているのだと田辺は嘲笑う。確かに言われてみれば、決して少なくない通行人もその男を胡乱げな目で見ながら、あるいは無視を決め込んで傍を通り過ぎるばかりだった。

「あ、残りの半分が来たぜ」

 馬鹿だなあ、と言って顎でしゃくる先にいたのは、チノパンにカラーシャツを身に着けた初老の男性だった。男性は真っ直ぐ男の前までやってくると、長財布から1万円札を抜いて男の目の前に落とした。男は目を大きく開けたままの表情で「ありがとうございます!」と叫ぶ。

「じゃあ、10回ね」

 八百屋の店先で果物を購うような調子の声だった。

「ひと叩き1000円です! ありがとうございます!」

「おい、あれ止めなくていいのか」

「なんで。まっとうな商取引だろ」

 制止の声を上げる間もなく男性は木槌を振りかぶり、躊躇いを感じさせない動作で男の頭部に振り下ろした。

 鈍い音と共に頭部が揺れ、「いっ」と男は言った。「あと9回! ひと叩き1000円です!」

「うん」と初老の男性。また振りかぶる。

 最初の一撃で勿論血は流れ出たが、恐ろしいのは一発ごとにこめかみの中へと埋まってゆく太い釘の方だった。

 私は動くことも声を上げることも出来ず、他方田辺も周りの客も興味なさげに眺めるだけ。

「あと7回! ありがとうございます!」

「あとろっ! ご、ごか! ぎっ!」

「ひとたた! せんえん! いっ! あ! ありが!! ぎっ」

 半ばまで釘が埋まったあたりから段々と男の声は意味を成さないそれになり、涎を垂らしながら痙攣しはじめた。私は吐き気を催したが、私以外の誰も、まったくこの光景を気に留めていないようだった。

 田辺がさも可笑しそうに声を出して嗤ったところで耐えきれなくなり、踵を返して足早にその場を去った。

 

「なになに、どしたんだよ」

 追い掛けてきた田辺は、心底不思議そうに尋ねた。

「もう帰るよ」とだけ私は言った。



「え、おまえそれお土産って、彼女にそんないいもん買ってくんだ」

「いや別に、普通だろ」

 私が1階の和菓子屋で購ったのは恋人に土産の品として渡すつもりの大福で、大粒のシャインマスカットが中に入っているやつだった。

「ひとつ1200円って……」

 田辺が絶句している。ちなみに3つ入りの小箱なので消費税を入れても4000円程度、恋人に送る品としてはそれ程高価とも思わない。

「それはそうだけどさ」

 まあ確かに、自分でわざわざ買って食べようと思う価格帯ではないかもしれない。田辺もきっと、食べたことはないのだろう。


 正面口から出ると、熱気と共にタールの匂いがアスファルトから立ち上った。もしかしたら、つい最近駐車場の路面を舗装したのかもしれないと思った。

「帰りは駅まででいいか?」

「出来れば新幹線の止まる方で」

「あいよ」

 コンパクトカーの助手席に乗り込み、ショッピングモールを後にした。

 FMラジオでは昔流行ったアイドルグループの曲が流れ、やれあのメンバーは引退後凋落しただの不倫騒動のその後だの、愚にもつかない話であっという間に時間は過ぎた。

「この辺でいいか?」

「おう、ありがとな」

 道中気を付けて、田辺のそんな言葉を背に受け、駅のロータリーで車を降りた。

「あ、いけね」

 そう言えば車内に大福の紙袋を忘れてしまっていた。

 慌てて振り返り車のドアを開けようとしたが、そこには車も、何もなかった。

 バタンとドアを閉めたその直後で、車の発進する音なんかしなかった筈だ。私は狐につままれたような思いだった。

 よくよく考えれば自分には田辺という名の友人などいなかった気もするし、それに、あのショッピングモールからこの駅までの道のりは全く思い出せなかった。


 今も時折、田辺やショッピングモールのことを思い出そうとはするのだが、中々うまくいかない。

 あの大福と引き換えに見逃してもらったのだと、そう思うようにしている。

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フードコートの一本うどん 南沼 @Numa_ebi

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