6-7


午前9時だった。


監視カメラの死角を見つけて涙を流し、カルのことを思い出して罪悪感でいっぱいになり、本当の親に対する感情にエネルギーを使い果たして、生理的欲求が襲ってくる。


トーストと、サラダをテーブルに置いたところでデジタルネットから突如音が鳴り響いた。「CALL」と書かれている。


日霧市役所、とあった。勝手に動かしていいのかと思って監視カメラを見るが、鳴りやまないので画面をタッチする。


「あ、小野村です。聞こえますか」


知った人の声でなんだか安心していた。


「聞こえます」

「昨日の都知事の会見が反響を呼んで、朝から市役所のネット回線がパンク寸前です。2、3日はそこから出ないでくださいね。人々がまだどんな行動に出るかわかりません。聖さんや西園さんにも言ってあります。今は家で大人しくしているそうですよ」

「2人になにもないならよかったです」


軽く息をついた。


「デジタルネットで、国営放送のチャンネルだけ見ていいそうです。これは、都知事からのお達しです。でも、こちらから言うまでは、自らなにかを検索したり別の動画やチャンネルを見たりといったことはしないでください。もちろん、聖君たちに連絡を取るのもだめですよ」

「はい」


従うしかないのだろう。


「高校の処分はそろそろ決まるそうです。連絡が入り次第伝えます」

「すみません、お世話になります」


咲夜は笑って頭を掻いた。小野村と話したことによっていつもの調子を取り戻した。


「そちらのマンションは都知事と親しい、要職についている方々ばかりが住んでいます。ので、マンションの周りに警護を固めてあります」


ではまた。と電話は切れる。


国営放送にチャンネルを合わせ、見ることにする。


昨日の都知事の会見を見た各国の政府が、日本の制度を批判しつつも8の強制受け入れより、まずは自分の国を見直すという方針を打ち出したという。8居住地区の前で防衛をしていた海外の人々は、各国からの強制で帰ることになったらしく、撤退していく姿が映し出されている。


一般人の8への攻撃も今のところほとんどないようだとナレーターが淡々と語っている。


ベースからの意見は全く聞こえてこない。


ふと、周囲が騒がしくなった。ブラインドを少しあけ見てみると、警護をしているらしき人たちが動き回っている。たくさんの人がいてなにかを叫んでいる。彼らはたちまち取り押さえられる。


「8の子供が! 犯罪者が!」


誰かがそう侮蔑の混ざった声で叫んだ。咲夜は慌てて窓から顔を離した。全国、全世界に名前と顔と出生が知れ渡っている。そして今いる場所もいつの間にか特定されている。


動画を問題視せず、昨日の都知事との放送を見てもなにも思わず、自分のことを気に入らない人が集まったということか、と咲夜は納得した。


小野村からは出るなと言われている。しかし、自分は問題提起するだけしておいて、安全な場所にいる。警護までされているのだ。体を張って闘わなければ。そう思った。ここで引っ込んでいたらだめだ。すぐに出ようとして、呻いた。ロックが開かない。ボタンを押してもなにも反応がない。全部管理されている。


「くそっ」


再度窓を見遣る。窓から降りようとしてもロープもなければ、足をかけられそうなところもない。闘わなくてはと思っても、このまま無謀に群衆に突っ込んでいっては意味がない。なにかしらの変化を起こせるような説得ができなければ、はた迷惑な騒ぎで終わってしまう。


CALL音が聞こえてきた。


「小野村です。聞こえますか」

「はい。下が騒ぎになっています」

「そのようですね。こちらから様子は見られません。鍵を開けようとしましたね」


知られている。


「だめですよ」

「じっとしていられないんです」


なにができるわけでもない自分の無力さに絶望する。


「一時の感情論でなんとかしようとしても無駄です。この程度のことはすぐにおさまりますから、言いたいことがあれば別の場にしたほうが賢明です。あ、先程学校から連絡が入りました」


思っていた以上に早かった。


「退学ですか」

「いえ。会議であっさり決まったようです。3人とも、夏季休暇が明けたら普通に通っていいそうですよ。よかったですね」


ずいぶん甘い処分で逆に不気味に思う。なにかの罠ではないのか。


「まあ、とにかくじっとしていてください」


小野村はいい人なのか悪い人なのかよくわからない。ただ淡々と上からの命令を忠実に実行している人のようにも思える。下からの騒ぎが酷い。再びコール音。都知事からだ。 


「どうだね、様子は」

「騒ぎが酷いです。これが今の日本なのですか」

「昨日のことも君の動画も、なにも届いていないんだろうね彼らには。さて、君はどうする。およそ50年でなくなる世界にこれからも身を置くか、まだずっと先の未来があるベースに帰るか。それを考えなくてはいけないだろう。50年後といったらまだ君は生きているかもしれないぞ。まあ、ぴったり50年と考えなくてもいいけど」


それもそうだった。制度のことも大事だが、自分の今後も考える必要はある。


「僕は未来永劫犯罪者ですか」


「松雪が言っていただろう。制度を変えられるものが現れたときは罰しないと。ただ時が流れるまで市民は君たちを犯罪者扱いするだろう」


「犯罪者扱いされるものにも、市民権は与えられますか」

「配慮しよう」


「では。では、僕が日本での永住を決めたら誰かひとり、今8にされている人をベースに移住させることはできますか」

「それは私だけでは決められない」


落胆した。しかし、8の件は別としても、日本で生きてみたい。沈む船と共に沈んでみようか。そう新たに決める。


「僕はここで、この世界で生きます。それで死んでも構いません。だから誰か一人、ベースへ移住させてください。もちろん、時々はベースに帰りたいですが」


「わかった。では市民権、居住権を取る前提で手続きの段取りを始めておいたほうがいい。そのへんは小野村に聞いてくれ」


窓からそっと空を見る。


吾妻はその地で、両親とは異なり上手くやっていけるだろうか。


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