6-5


恐ろしい理論である。しかし正論を言っているようにも聞こえる。


咲夜は暗い気持ちになり、疑問に思った。8が作られた真の理由は後半部分に凝縮されている。しかし、国民のほとんどに認知されていないのではないか。


都知事を見る。


「このAIは昔、テレビという電子機器が一般的にあった時代に10年ごとに流れ、その度に議論を呼び、いろいろな場所で徹底的に話し合われたと聞く。議論になるたび、小さいコミュニティやいくつかの学校で8への待遇は改善されたらしい。だがそれも一時的なものだった。そして、数十年おきに放送しても、誰も耳を貸さなくなった。今は放送されない」


「なにも変わらなかった・・・・・・」


「自然災害、他の社会問題。国際関係。目を向けなければならないことは確かにたくさんあった。だがな。君の言ったとおりなにも変わらなかった。国民はその望まないことを望み続けた。8はなくならなかった。意識的であれ無意識であれ8を存続させることを望み続けたんだよ」


嫌悪を伴うのにすんなりと言葉が心に染み込んでいく。


「存続させたいという明確な声があったのですか」 


「いや。行動でだよ。誰ひとり、『真に望まない』行動を起こそうとする人間はいなかった。8を同情しつつもなんとなく『望まないはずの行動』を起こしていた。そのうち、8には『なにをしてもいいもの』という思考が蔓延し、受容され、それが当たり前のものとなって攻撃はエスカレートしていった。松雪の最後の声に耳を傾けるものは誰もいなくなった。8への目は偏見に変わり、周囲に同じ考えを強要する一般人が増大した。過激な思考をもつ者も現れ、8に関する書物は焚書扱いとされた。焚書もまた、一部の過激な思考をもつ市民が望んで、それが広く受容される社会になったというだけだ。警察の中にも過激な思考を持つものはいる。だが国は一度も書物を焚書扱いにしたことはない。8の書いたものさえ、全て国が保管している」


「え・・・・・・保管?」


「君のコンピューターの中のデータも保管している。大事な資料だからね。焚書といって8にかかわる本を燃やし始めたのは全て市民だ。市民から広まっていった」


正之の言葉をふと思い出した。市民のほうが「目」は厳しい。


「そして皮肉なことに一般人の中から疎外されるものやいじめられるものはほとんどいなくなった。8のおかげで幸福度はあがった」


「でも、どうして人間じゃない扱いをするのですか」


「疎外され攻撃がエスカレートした旧時代の被害者は、その集団において『人間扱い』をされていなかったからだよ」


法律を作ってしまうことで、松雪は日本社会の闇を炙り出したかったのだろうか。


「君は制度を崩壊させたいかね」


「ええ」


「君たちは犯罪者になっても周囲に流されず松雪が望んだことをやってのけた。それは称賛できる。でも、例えこの制度が崩壊しても集団の輪の中でまた疎外される者が出てくる。海外でもだ。今8が海外から救済措置をとられたところでどうなる。仮に海外に受け入れられたとして、8への攻撃や暴力はいろんな理由で起きるんじゃないのかね? 制度が崩壊すれば日本も旧時代に体制は戻る。そういう人たちに対し、君は全ての責任を背負えるか」


全てに責任を持てるか、と問われればノーだ。持ちたくても、物理的に不可だ。


ふと思う。8はいつの時代の、どんな世の中にもいたのではないだろうか。


迫害も差別も歴史にはある。しかしそれだけではない。差別や迫害の対象とならなくても、その時代、文化、文明の運から見放され、圧倒的に弱いわけでもなく名を遺すほどの偉業を成し遂げたわけでもなく、ただ普通に生きて普通に生活し、でも疎外されていた名もなき8はいたのかもしれない。人間の遥か祖先となるヒト亜族の中にも。


「仮に地球が滅びても、滅びるその瞬間まで疎外されてしまう人間はいるだろうさ」

「…………」 


否定はできない。望まなくても望まれてしまう現象だ。滅亡時の死ぬ瞬間まで疎外される誰かを想像してみると、寒気が起きる。


都知事は立ちあがると部屋を一周する。


「8は圧倒的な理不尽と暴力の中で生きている。地下という不衛生な環境で、いつ攻撃されるかもわからない想像を絶するほどの絶望とストレスの中で生きている。死ぬ者もいる。だが、死なずに生き延びている、生き抜こうとしている8の生命力の強さはどうだ」


「どうって」


「美しいと思わないか」


どうしてそんな美学が出てくるのか謎だった。


「美しいなんて感じている人はあまりいないと思いますよ」


「まあ、私なりの主観だが。君はどう思う。君のクラスにいただろう。なにをされても翌日には平然としていた子が」


吾妻のことだ。不意打ちのように吾妻の話を持ちかけられ、戸惑う。確かに吾妻は強かった。美しいと感じたことも確かだ。


「あなたは吾妻を知っているんですか」


テーブルに両手をついて前のめりに都知事を見つめた。国の監視システムが蜘蛛の巣のように張られているのだから、都知事がなにを知っていてもおかしくないだろう。殺されたのか、それとも。


「絶望的な環境下で、あの子の生命力の強さ、精神面の強さはどうだ。きっとどんな環境でも生きていけるだろうさ」


「それってどういう――」


都知事は窓の外を見つめた。


「『どんな環境下でも生きていける』と判断された8は、ベースへ移住することになる」


不意に、どおっという、拍手の洪水がまるで自分のことのように耳に聞こえた気がした。


「吾妻は……吾妻は、ベースへ行ったのですか」


「そうだ。彼女は宇宙で生きていくのに相応しかった。食糧危機が具体性を帯び始めた頃に決められたのだ。8の唯一の救済措置として、移住させる人間は8の中から出そうと。これは8だけに与えられる特権だ。そしてそれは、公務員以外誰も知らない」


吾妻は無事。無事なのだ。


合点がいった。稀にいなくなる8の行方不明者はベースへ行ったのだ。でも疑問が残る。年に3人だけでは、他の8は殺されたと思うだろう。


「行方不明になる8がいるとまことしやかに囁かれていますが・・・・・・」


「ベースへ行く精査をするために、各市町村から数十人集める。精査の結果不合格となった8は別の市の居住地区へ移る」


「ぬか喜びじゃないですか」


「いや。合格者だけに知らされることだ。なんのために集められたのかはみんな知らない。あと50年で人類のほとんどがいなくなると言われている。もちろん、ぴったり50年とは限らない。10年、15年くらいは延びるかもしれないし、突発的な自然現象が起きてもっと速く地球の国々がなくなるかもしれない。科学力を駆使して、いろいろな食物の人工栽培も行われている。だが、それにも限りがある。水域は今より上昇し、やがて陸地は海に覆われる。作物も育たなくなり、物資も尽きる。日本で餓死者が続出するのも時間の問題だ」


鹿江が8に過激的だったのは、ベースへ移住できる存在であることからの嫉妬だろうか。 


「ベースに行ける8の数はどのくらいですか」


「受け入れ枠は日本では1年で3人。世界ごとに枠が設けられている。ベースへ移住させるためのやり方も異なる。ここまで酷いやりかたをしているのは日本だけだろうが……」


1年ごとに3人。多くの8にとってはまったく救いがない。それでも8になった瞬間拍手をされるというのは、移住できる権利を持ったからだ。


「ベースに行った8はどうなるんです。ちゃんと生活は保障されるのですか。顔や腕の印は」


「生活の保障はされ、普通の人間と変わらず生きていける。刻印のあとも少し残るけど、地球で消して行く。顔の印は実は腕より綺麗に取りやすくできているんだ」


「チャムでそういう感じの人は見かけたことはありませんよ」


 都知事は眉を吊りあげた。


「移住する場所はチャムだけではないからね。でも、君の身近にいるはずだ」


咲夜は眉をひそめた。身近に8だった者がいた。誰だ。ママナだろうか。腕や顔にそのような跡はなかった。カルを含めた仲間は。違う。では川島夫婦……。


「君にとってすごく身近で、でも遠い存在だ。ベースへ行くことのできる3人は運がよいと思うべきかな。そしてその運は、君も引き継いでいる」


心臓の音が一度大きく耳に響いた。まさか。

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