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「2101年まで、学校制度は崩壊していません。私は小中高校、社会人になって数年ほども、数々の暴力や陰湿な嫌がらせを受けてきた身です。その前に、この国の文化を語りましょう」

 

日本には村八分という言葉があります。簡潔に言えば、村の掟を破った人を絶交する、のけものにするという意味です。


これは江戸初期からの風習とされており、秩序をかき乱した人々の制裁措置とも言われています。ですが現在では掟を破らないごく普通の人もどうでもいい理由をつけられて八分にされることがあります。


現代的に言えば「仲間外れ」が類似しているでしょう。これは学校制度、大人の社会生活の中で、長いこと深刻な問題になっています。


とりわけ、客観的事実として少女や女性の集団の中では頻繁に行われています。女性は集団をなして社会を形成しようとする生き物ですので、子供のわりと早い段階から如実に対象があらわれてきます。


「気に入らない子」がひとり出てくると、そのひとりを疎外します。疎外されたひとりは別段悪いことはしていません。個性もありますから、集団の輪が若干乱れたり、出る杭になったりしてしまう人もいるでしょう。足並みがそろわないと徹底的に排除する文化。


それが日本にはあります。一人が疎外されると、攻撃が始まります。攻撃の仕方は悪口から集団的な無視といった形で最初は現れます。


なにがどう気に入らないのか、具体的に言うことをしません。本人に向かって傷つけずに言うこともしません。集団で本人のいないところで悪口を言うのです。


間を置いて、攻撃はエスカレートしていきます。やり方は時代により変化するので様々ですが、共通するのは集団が結託して対象を攻撃することです。やりかたはどれも陰湿です。陰湿の代表的なものは、おそらくどの時代にも共通すると思いますので言いますが集団での悪口、電子機器を駆使しての暴言、本人の見ていないところで物を隠したり、机や鞄の中になにか嫌がるものを入れたり、といったところでしょうか。


時には追い詰められて自ら死ぬ人も出てきます。


エスカレートが極まると、恐喝、恫喝、脅迫、暴行、傷害、窃盗といった形で現れます。


こうしたことが問題視されているのはもう、周知の事実です。


女子の集団、男子の集団、男女混合の集団、どこにでもあります。疎外された誰かがいる環境に一度なると、どこでも周囲が受容し、当たり前のものとして受け止められていきます。


学校において教師の歯止めはありません。教師はあくまで公務員であり、生活の安定を求めたひとりの人間にすぎません。これに反論したくなる人もいるでしょう。親が悪いという人もいるでしょう。確かに親も悪いです。しかし、教育の現場で、全ての


子供が真に安定した穏やかさの中で笑っている学校はどれだけあるでしょうか。

教師もまた酷い人になりますと、疎外されたひとりに対し、周囲と同化していきます。助長していくケースもあります。増長していくケースもあります。


8法案が採決されるまでは全国のいつでもどこでも誰かがそのような行為をしたりされたりしていたと思います。大人社会は恫喝恐喝暴行傷害窃盗などが起これば、罪とされる場合もありますが、それでも無視、悪口、序列によるハラスメントなどが日常的に行われています。金が絡んでいるぶん厄介でしょう。


そして誰もが胸を張って言います。それが大人だと。言いたいことが言えず、泣き寝入りする日本社会が大人なのだと。海外と大きく異なる点は、日本はほぼ、主張ができないという点です。会社という組織、上司という役職に絶対的な権力があり、圧力がかかって逆らえない風潮があります。


みんな子供です。どこでも幼少期から思春期に派生するいじめの延長線上です。「お母さん」社会の中でも、序列があります。気に入らない人がいると無視したりされたり疎外したりされたりといった風潮があります。


かつて誰かを疎外し攻撃していた子どもがそのままなんの意識もなく大人になり結婚をし子どもを産み、悪循環を作っているとも考えられます。


この問題はかなり前から重大であり深刻になっています。


対象にされた人はのちに精神疾患を発症してしまう場合もあります。また、日本での精神医療はひどいものです。ただ対象に大量の薬を出すだけです。医者は薬を減らすことを考えず、ひたすら薬を出すことだけを考えます。


すると副作用で、対象の脳が働かなくなっていきます。そうすると対象の周りに、さらなる偏見が生まれていきます。


ある学者は、この長く蔓延的に広がり続いている人々の状態を社会的な病状とし「八分症候群」と名付けました。


問題が表面化されるたび一時の世論感情はありましたが、それで終わります。まず学校制度においての暴行、恐喝、恫喝、脅迫に、司法と警察の介入はほぼありません。会社はケースバイケースですが、社会人の問題では、訴えたら2度と会社に戻れない社会風潮になっています。


私は社会人経験を積んだあとで、家柄上都知事になり、何年か経てとある政党の議員になりました。色々な課題は、時には国民にとっていい方向に進み時には悪いほうへと進んでいきました。いろいろなところからの圧力がかかり思うようにならないこともありました。


悪いほうへと進んでも国は今もこうして現存しているのですから、大まかになんとかなっているのだと思います。


みなさんがこれを聞いているのは今よりどのくらい先のことでしょうか。私は日々仕事をこなしていく中で、どうしても解決したい問題がありました。


それが先ほど述べた「八分症候群」です。もっと前に政府が手を打ち政府案として学校制度に司法と警察を介入させたこともありました。が、今度は親が問題化してきます。


警察を介入させ子供を罰すると、加害者の親が被害者の親を訴える、ということが頻発しました。巧妙な根回しや言い分で、裁判に勝ってしまうこともありました。また、訴えなくても、加害者の親が被害者の家族に猛攻撃を始めるということが絶えず起こります。


深刻さはそのまま、当事者以外無関心になっていきます。個人も、国の機関も。そのうち、「よくあること」「小さなこと」「なくならない」と忘れ去っていきます。


集団がひとりを疎外し、心身共にあらゆる手段で追い詰め攻撃する、といったことは誰かが「やめなさい」と叫び続けてもなにかの権力を行使したとしても、なくならないでしょう。


では理性や知性でなくそうとしないのか。


なくならないから、なくそうという気はあっても続きません。なくならないのだと、人々はかつて被害者であっても加害者であってもそれ以外であっても傍観に徹していきます。


そうして、新しい被害者と加害者が集団の中で構築されていきます。こういう状況を望むか、と口で問えば、望まない、という答えが圧倒的大多数で返ってくるでしょう。


では望まないのに、なぜなくならないのでしょうか。


これまでの被害者、加害者関係は絶えず変動的でした。ですが8法案が採決されたことで被害者は固定されます。「なにをしてもいい誰か」をみなさんはずっと望んでいるのでしょう。


存在をはっきり固定すれば、人々の意識は8に向きます。学校制度も存続させることになっています。「気に入らない子」がいたら、その子を攻撃するのではなく身代りに8を攻撃してください。各クラスのたったひとりが我慢すれば、他が我慢することも永続的になくなります。 


もちろん議員内でも反対意見はかなり多くありました。如何様にも世論は叩き続けました。世論は叩き続けても、所詮はうわべのきれいごとにしかなりません。


しかし、私の意図は別のところにあります。


8を作って楽しめ。そう言っているのではありません。


これをいつまで続けるのか。いつまで続けようと思うのか。いつ自覚するのか。


いつ自発的に知能を駆使してやめようと考えるのか。


それを未来の全国民、全人類に対し問いたいのです。


人々の意識が変わったとき、真の意味で日本社会は上昇し、国民の健全な発展に繋がるでしょう。そして真にこの八分症候群を「望まない」のであれば、この法律を変えられるくらい徹底的に動いてください。


もしそれができなければ。今は宇宙開発もなされています。


制度があることによって、国際社会から、あるいは宇宙から批判され笑いものにされる恥ずかしい国になる可能性が高いでしょう。


後ろ指をさされても社会の「八分症候群」の現状を望むか、大きな変化を求めるか。

私は後者を望んでいます。そうしてこの制度を変えられる人が出てきたとき、法律書には書いていませんが、その人々を罰しないという隠れたルールを設けます。


AIの話はここで終わった。


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