6-2
午後9時にインターホンが鳴り、都知事が外の熱気を連れてやってきた。一人だ。
「よう。久しぶり。ちょっと仕事がたてこんで遅くなっちゃったよ」
勝手に玄関をあがると、鞄を置き台所にある鍋の蓋をいきなり開けた。
「おや。煮物作ったんだ。こんなの作れるんだ。食べていい」
「お出しします」
家を借りている身だ。都知事は「暑いねえ」と言いながらテーブルにつく。備え付けの茶ダンスに入っていた皿に丁寧に盛り、パンと一緒に出した。
都知事はあっという間に平らげると、てきぱきと片付け咲夜を振り返った。
「さあ。じゃ、早速本題に入ろう。私は君に最初会った時、法律の遵守はできるかと言った。できなかったようだね」
責めるでも怒るでもない口調で座る。
「初めて8を見た人なら、普通は誰でも見過ごせないですよ」
咲夜は率直に言った。
「そうかね? ニュースでは8攻防戦が流れたけど、実は海外の観光客も便乗して8を攻撃する人もいるようだよ」
「反対に守る人もいるっていうのはもう御存知でしょう。8の存在を日本で誰も疑問に思わないような社会なら、『幸福度の高い国』ではありません」
都知事は相槌を打ちながら、耳を傾けている。
「では君は、なにが疑問だと思うのかね」
わざと聞いているな。そう思った。
「8を無理やり作って、両親を抹殺。挙句一般人と8というふうに人間を分けて、8を人間じゃないと刷り込み、残虐な行為を容認している社会……こんなの、法という名の暴力です」
都知事は水を一気に飲み、笑顔のまま息をついた。
「数式。0+0も1+1も8。無限大に8。あれはなかなか、いいところを突いている」
いいところってなんだろう。なにを言おうとしている?
「愛だって無限です。8にも愛される権利はあるはずですよ。それを無理やり奪うなんて」
「愛も必要だがそれだけで世の中は成り立たない。真に愛を知っている人っていうのは少ない」
おや、と思った。
「都知事は愛という単語を知っているのですか」
「旧時代には存在していた言葉だ。ただ愛というものを本当に理解して、態度で証明できた人っていうのは少数だったと聞く。愛もひとつ間違えれば、過保護、過干渉、精神の蹂躙になりかねないんだ。よく聞く虐待の、真逆の虐待になるんだよ」
だから言葉が消えたのだろうか。
「そこまで知っているのなら、あなただって子供や孫に愛情をかけられるでしょう。子供が8になっていたらどうするんですか」
「私に子供はいないよ。もちろん孫も」
迂闊だった。深く追究していいものか。しかし都知事は全く気にしない様子で言った。
「遺伝子操作や照合システムで望み通りの子供を作ることができる今でさえ、出産の成功率は100パーセントではないということだ」
「すみません。でもあなたにもあったでしょう。その日が。その時どんな気持ちだったか」
都知事は、両手をあげ落ち着けといった仕草をする。
「まあ、私がその法律を作ったわけではない。そう興奮しないでくれ。だが、これだけは言っておこうか。8はなくならない。人類がいる限り、絶対になくならない」
確信している強い目だ。
「なぜそう思うんですか」
都知事は応えず笑った。
「こちらも君のことは徹底的に調べてあるんだな。君の出生もね。ベースと君が極秘にしたところで、調査をすればわかる。調査隊は現地にも行った。これは君が地球に留学生として来ると決まってからだ。ただ我々は入手した情報を極秘事項として市民に言わないだけ。今の日本がこういう社会なのは、ちょっと脇にずらしておいてくれ」
既に身辺調査をされていた。腹が立つ思いがしたが、論点はそこではないのだと思い、続きを待った。
「聞いてみようか。素直に答えてくれるかい。君はベースのスラム街で育ち、11歳まで君を含めた7人の子供と一緒に育ての親、ママナさんのもとで暮らしていた。あっているかね」
ママナのことまで知っている。管理社会のなせる業か。
「はい」
「6人は養子として引き取られた」
「はい」
「なら、残りのひとりは」
頬にそばかすのある色白で大人しい少年の顔が頭に思い浮かび消える。
「今、残りのひとりはどうしているかね」
「それは……」
答えられない。残りひとりの小さい頃の顔と名前は思い出せる。
が、今どうしているか知らない。
「名前は」
「カル……」
声が小さくなっていく。
「男の子だね?」
「ええ」
「カル君と他6人はどんなふうに過ごしてきた」
口ごもる。接触した記憶があまりない。彼と笑ったり喧嘩したりした記憶がない。
「拾ってきたパンを、分けて」
「カル君にも平等に分けたか」
「多分……」
「辛い環境下で育ったとはいえ、8の環境とは異なる。楽しいことくらいはあっただろう」
「はい」
「カル君と君たちはどんな楽しいことを語らった。どんなことをして一緒に遊んだ」
「…………」
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