5-7


瀬賀夫婦は普通に話しかけてくる。


もし気づかれたら追い出されるだろう。だが、不思議と切迫した気はしなかった。


動画作成の件は一種の意趣返しでもある。むしろ瀬賀夫婦の家から離れられることを、心のどこかで望んでいる。


しかしどうして悪いことをしているわけではないのに法律の規制がかかっていると、「悪いことをした」という気持ちが芽生えてしまうのだろうかと、思い悩む。


翌日は別の8がまた隣に座っていた。今回も女の子だったけれど同年代がいなかったのか、かなり年下に見える。


吾妻は本当に、どこへ行ったのだろう。女の子に訊ねてもなにも知らないという。とりあえずは、学業に集中することにした。 


7月はテスト期間だ。それが終われば夏季休暇が2週間貰える。


課題、レポートがあり、こなさなければならない。ベースで教えられた間違った知識を、地球の正しい基礎知識として身につけるために、小、中学生用の書籍も読み更ける。


日々は忙しく、緩やかに過ぎて行く。


暑さがかなりこたえるが、蝉の声になにも感じなくなるくらいには日本の暮らしにも馴染んでいる。


すぐに死んでしまう蝉を儚く思い、列車から見渡せるビル群に射す光に愛着を感じ、家家の庭から漂う土の匂いや、家の中から漏れてくる夕飯の香りを愛おしく思い始めていた。


川島夫婦から3日に1回は来ていた通信が途絶えている。


愛想を尽かされたのかもしれない。それは少し怖い。


テスト期間のさなかに、1日挟んで進路指導が行われることになった。


仕事をすることを考えた。地球の、主に日本の文化を正確にベースに伝えるような媒体の仕事に就こうかと考える。


しかしそれにはもう1年か2年、地球上の世界や文化のことを学ぶ必要がありそうなので、「簡易短期大学」という機関を紹介された。海外の留学生向けに用意された日

本の教養を1年から2年程度で身につける機関である。場所によっては幅広い文化を学べて、入学もすぐにでき、寮にも入れて国からの補助金も出るという。だが、そうすると3年があっという間に経ってしまう。


どうしようか。答えが出ない。健吾は機械工学に強い短大へ行く予定らしい。悠斗は音楽を学んでそれに関係する職業に就きたいらしいが、その優秀さから大学へ行けるのではないかと本人の知らないところで噂が流れている。優秀な子は本人の希望があればすぐ大学へ入れるのだという。


「なあ、今日どこかへ寄って帰らないか」


進路指導を終えたあとで、咲夜は2人を誘った。日はますます強烈さを増して照りつけている。テストや課題、暑さの疲れで、リフレッシュしたい気持ちがあった。


「いや、今日は帰るよ」

「俺も」


テスト期間に入ってから、2人の様子がどうもおかしい。

学校では親しく話しているものの咲夜ひとりで帰る、そんな日々が続いていた。

 


あっという間に7月末になった。

テストや課題が放課後に一斉に返される。咲夜はどれも平均的な数字しか出せずにいた。しかし、誰からも叱られることもないので気は楽だ。


返されたテストをさっと見て、悠斗と健吾はまたすぐに話す間もなく教室から去っていく。


明日から夏季休暇に入るというのに、僕、なんか避けられている? なにかしただろうか。


無意識の根底に見捨てられ不安がある。そのためちょっとしたことで気を揉む。


隣の席にいる8は期間中、ただぽつんと座っていた。


名前は教えてもらったが、声に出して呼び掛けることができなかった。もともとの名前は取り上げられ、いやらしいことを連想しそうな名をつけられていたためだ。


「彼岸ちゃん……」


前を向いたままぼ呟く。僕に言っているのだろうか。咲夜は歩み寄った。


「さく……彼岸ちゃんがどうしたの」


「少しお話をしたことがあるんでしょう。私にうれしそうに話してくれたことがあるよ。あなたたちのことでしょう」


「話を聞かせてもらったことはあるけど……」


「昨日、死んだよ」


言葉に詰まる。さくらの笑顔がちらりと脳裏を過ぎる。


「どうして・・・・・・」


「一般人が襲ってきて殺された。殺したのは」


彼女は視線を鹿江に移した。血圧が上がっていくのが分かった。 


鹿江は質問をしている生徒に笑顔で受け答えをしている。問い正したほうがいいだろうか。


しかし、これまでのことから考えられるのは、教師は8を施設に送ったり、8に決まった子供を役所に申請したりできる権限があるということだ。また、その保護者にもなんらかの説明ができる地位にいる。


吾妻の居場所だって知っているのかもしれない。南本が殺されたことだって、どこかの機関から情報が入り知っているはずだ。教師もまた役人みたいなものだ。

問い正せば直ちに疑われて通報される可能性がある。そうすると、健吾や悠斗、今ここにいる彼女にも危険が及ぶ。


「担任の様子はどんな感じだった」


「笑っていた。彼岸ちゃんは無理に外に連れ出されて……」


彼女の瞳が潤み、口元に手を当てた。うっという呻きが聞こえる。


「連れ出されどうしたの」


「まるで処刑されるかのように全身をしばりつけられて……焼かれて死んじゃった」


担任が焼死させた? なぜこの時期に。なぜさくらが殺された?


自然と作った拳に力が入る。もっと気を遣い、気を配っていれば止められたかもしれない。ひょっとしたら、自分たちの行動を知って当てつけに殺したのか。そして、テスト期間で憔悴している時期を狙ったのか。


歯が軋む。奥歯の表面が少しばかり欠けたのかざらざらとした変な舌触りがした。


8居住地区を見学した時の鹿江の目は狂気に溢れていた。それを見て以来、必要最低限のこと以外でかかわらないようにしてきた。こんな人間が教師であってたまるか。


そう思った。今もそう思っている。


鹿江を見つめていると、目があった。強く睨む。鹿江は笑ったまま、目を逸らした。


直後に吐き気を催す。2、3秒の出来事だったにもかかわらず、まるで蜘蛛の巣に捕えられた虻のような気分になったのだ。それだけ鹿江の目には深淵が広がっていて、そして、語っていた。


お前を捕えるぞ。


やっぱりだ。やっぱり計画的にさくらを狙った。勘が働く。


「教えてくれてありがとう」


彼女に言って帰ることにした。きっと、どこかで動画を見たに違いない。


自分は間接的に、さくらを残酷な方法で殺してしまったのかもしれない。


気持ちは緩やかな闇の中へと堕ちて行く。

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