5-5
全力で集中した。5日後、ナレーションと曲をつけて動画を完成させた。
「終わった……」
全員で喜び、ひと息つくために飲み物や菓子を買ってきて軽く祝うことにした。
動画は60分と長めだ。
最初に南本の数式から始まる。それから日本における8についてのナレーション。日霧市の8居住地区で撮影した遠目からの撮影。人々が8を暴行している姿。数式を書いた子は殺されたとナレーション。さくらのインタビュー。補足字幕をつけた、遥の自殺。そして遥と由香利の手紙。
再びナレーション。吾妻が網で捕獲され騒いでいる子供たち。子供たちの顔と声にはモザイクをかけた。
吾妻のインタビュー。笑顔になったところで暗転。そして、フラッシュを応用しながらこれまでのカットを混ぜ、問題提起をナレーションで投げかけて曲で閉める。
素人が作ったにしては、よく出来ているほうに思える。
悠斗はほっとしたのかリラックスした様子でくつろぎ、そして咲夜を見つめる。
「そういえば、結構痩せたな」
「そりゃあ、ここの気候に慣れないし忙しい日々が続いていたし」
実際、8キロ体重が落ちていたのだ。
「食え」
テーブルに置かれていたえびせんべいをすすめられたので食べてみることにする。悠斗の好物だそうだ。初めて口にする菓子だ。パリパリとした食感に塩気のある独特な味。
「これは海老が入っているの」
「いや。最近は、えびせんべいにえびが入らない。味は加工されてえびに似せてあるだけ」
「昔は入っていたの」
「らしいが……」
「ここ300年の間に海洋生物は段階を経て激減しています。また、別の進化を遂げて食用にできなくなった海洋生物もあります。さまざまな種類の海洋生物は旧時代より受け継がれている手法で養殖となっていますが、生産は追いついていません。海老も入手困難になっています」
由香利が突然説明を始めた。朗読用ホログラムはフィクションの話だけではなく、専門的な文献もある程度内蔵されているのだ。
「どうして減っているんですか」
不思議に思って咲夜は訊ねる。
「要因は複雑に絡み合い、諸説あります。旧時代において化学兵器の実験や核実験などが地下水域で繰り返し行われ、海洋生物に大きな打撃が出たこと。また、海に流れていく廃棄物などにより汚染された海域が複数あり、それによって生態系の撹乱を引き起こしたこと。温暖化により生態系の異常で別の進化を遂げ、人が食すには害がでる魚が増えたこと。塩分濃度の高い海域が広がり、魚が棲めなくなった場所が増えたことなどが主にあげられます。また、気候変動、地殻変動による水圧の上昇で絶滅した魚もあります。こうしたことから、現在海洋生物は旧時代の2000年から2200年頃と比較し格段に減っており、捕獲できる魚の種類、数は現在制限されています」
そういえば、瀬賀夫婦の家で魚を食べる機会は一度あったかなかったかくらいの記憶しかない。白米と煮るかふかした、大きく切った野菜がよくメイン料理になる。質素な食生活が日本の美点であり文化なのだと思いこんできた。
「食べられるものが少なくなっている? 海洋生物だけですか。肉は」
「陸上においてもまた、世界規模での大気汚染が深刻化し長く続いた時代があります。馬、羊、牛、豚、鳥、熊、猪、他人間の食用になり得るさまざまな動物において、生態異常が出る、といったことが広い規模で発生し、150年ほど続いています。その影響で現在、食用として肉にできる数も、市場に出回っている数も限られています。肉はとても高価なものとされています。野菜についても、農業の衰退、減退があります。今は穀類、野菜の栽培収穫は機械作業がほとんどですが、先に述べました気候変動、大気汚染、異常気象により不作が長く続いています。また、野菜が採れても品質が保証できず、市場に出荷できない、といったケースもままあるようです」
だから自家菜園をすすめているのか。湯治の話も間違ってはいないのだろうが、減退における自家菜園は食糧確保のためと思えた。
ブロッコリーの品切れ。みんなとの弁当の違い。ハンバーグを遠慮した吾妻。自分の弁当が普段豪勢なのは、弘子が気を使ってくれるというのもあると考えられるが、川島夫婦が仕送りをしてくれているせいもあるのだろう。恐らく、想像以上の額を。
「なあ、咲夜その。ベースの、両親のもとで。12歳からチャムでなに食ってた」
悠斗の配慮を感じた。ベースの両親とは川島夫妻のことだ。
どんな料理をいつどれだけ食べていたかと明確には思い出せなかった。
「肉と魚はバランスよく日替わりで食べていた気がする……」
「じゃあ、おまえが痩せた一番の理由って多分それだな」
肉と魚を8キロ落ちるだけ食べていなかったということだ。まさか日本よりチャムで暮らしているほうが栄養面のバランスがよかったということは、考えてもみなかった。
「ベースではまだ、肉も魚も豊富なんだろう」
悠斗がさらっと言った。
瞬間、脳の奥が痺れる。なにか自分の知らないことが大きな規模で起きている。
「まだってなんだ。まだ、って」
言うと、悠斗は淡々と答えた。
「地球は長いこと食糧不足が蔓延して、それでもなんとか成り立っているっていう感じなんだよ。世界全体でいえば餓死者は増えていると聞く。日本は幸い、まだそこまでは行ってないけど時間の問題だろうね」
「ベースから応援はないの」
「肉、魚など傷みやすい食品は宇宙をまたぐことができません。地球、ベース双方の技術が足りていません。特にワープ時にかかる負荷で品質が基準値を下回るものになります」
そうだ。宇宙船でも最初の15日は普通食でワープが始まってからは宇宙食のみになった。
「水は?」
食糧と水は、生命の根幹にかかわる。それは咲夜も身に染みてわかっている。はずだった。
「海の水を真水に変える技術は旧時代からの技術で飛躍的に進化しました。それは日本が主体となって全世界に教えてきた技術です。旧時代は水をめぐって大きな争いが起きるかもしれない、と危惧されていました。しかし自然現象は、人類のそうした危惧とは逆へ向かいました。度重なる地殻変動や水位の上昇により滅亡する国も増え、地球上の人口は減り、結果海域は広がりました。だから水だけは豊富にあります」
遥がすらすらと答える。子供に教えても平気なことなのだろう。
「じゃあ水だけは45カ国全て豊富にあるの」
健吾も悠斗も、遥も由香利も、なにを言っているのだという顔で咲夜を見つめる。
咲夜はその視線に慌てた。
「僕はなにか今間違ったことを?」
「それはベースで教えられたことか」
健吾が訊ねる。そうだと答えた。
「今、世界はベースと同じく20カ国しかないよ。無名の小さな島に移住して、名のない国家が建設されている場合もあるから、もう少し多いかもしれないけど。でも、そこまで減ったのは餓死と疫病と水没、砂漠化がほぼ原因」
背中にじわりと汗をかいた。想像以上に大変なことになっている。
「僕は地球の、古い時代のことをベースの家庭教師から教わっていたっていうのか……」
「およそ80年前に20カ国になりました。それまでは確かに、川島さんの言うとおり45カ国ありました。そして旧時代にはさらに多くの国家で成り立っていました」
由香利が答える。
しかしベースの家庭教師だけが間違っていたとも考えられない。ベースの人間ならば誰もが地球における国家の数は45カ国前後と答えるはずだ。そうした地球の世界地図も見せられる。そのため、ベースにおける人々の知識は統一されている。
情報が正しく行き渡っていない。
「そんなに減る前に、国家間でなにか手を打たなかったのか。水没し、世界中が食糧不足に陥った。それを昔に予見できた専門家だって地球にならいただろう」
「専門家により様々な策は打たれました。しかし自然の脅威は皮肉にも科学文明を軽く超え、真逆に行ってしまったのです。例えば確かな調査と統計に基づき水没を防ごうと機械を設置したところに、干ばつが起きる。砂漠化となる。逆に砂漠化を防ぐため植林をした地域が突如起きたハリケーンなどによりなぎ倒され、水没していく。専門家たちは正確な、科学に裏打ちされた調査を何度も繰り返しています」
地球の科学が問題や課題が起きても卓越していることは、サーブ25を作ったことから始まり、ベースを開拓してライフラインを敷いたことからもよくわかる。すると、自然現象のほうが人類の一枚上をいってしまっているのだろう。
世界は20カ国。あとは海。
「地球は、もしかして滅びかけているのか」
「もしかしなくてもそうだよ。だからこんな時代にベースからの留学生って不思議だったんだ。観光客も途絶えかけているのに。世界で多分、咲夜一人だよ。こんな時代に留学してきたの」
悠斗は腕を組む。
「え、そうなの」
「かなり前にベースからの留学生はたくさんいたみたいだけど、もう俺たちが生まれる前」
ベースのほうが文明ははるかに遅れているのに、安定した大地として定着している。
こんな皮肉な話があるか。
「なにも聞かされていなかった……滅びかけているのに、なんかみんな悠長じゃない」
「まあ、今すぐ滅びるわけじゃないし。慌ててもどうにもならないさ」
健吾が笑った。どうして2人はこんなに騒がず慌てずいられるのか。
「君たちは平気なの」
「平気じゃないけどあまり将来を嘆いていても仕方がないよ。なるようにしかならないし。もしかしたら、海上で生活する時代が来るのかもしれないし」
意外に楽観的だ。
ふと思う。ベースにとって、地球はすでに重荷であり捨て舟なのではないだろうか。
そして地球側も諦めている。だから、地球の人々も、ベースは独自の文化文明を切り開けと距離を置いたのかもしれない。そう言われ始めたのが100年前。地球の国々が激減したのは80年前。
とすると、地球の歴史的な情報、教育をベースが意図的に止めたのかもしれない。
地球を理想的な人類の地としてベース人に伝え続けるために。そして関係性を自然消滅させるために。でも。地球へ行くと行ったとき、猛反対された。川島夫婦も、ママナも本当は知っていたのではないだろうか。だから3年という期間を設けたことで折れてくれた・・・・・・。
だがおかしな話だ。世界中が生命の根幹を揺るがす深刻な問題に陥っているのに、ホログラムがあらゆるところにいてデジタル機器が栄え、理科学ばかりの授業を行い文明の最先端を謳っている。
「他に移住できそうな星は見つかっていないの」
「今のところないな。それでも各国政府はあがき続けているみたいだけど」
だから理系授業ばかりなのか? それとも、目の前の問題から目をそらしている?
日本にダーメジが起きるほどの餓死者が出たとき、残るのは機械とコンクリートの群れになる。いずれ来るかもしれない未来に、奇妙な風景がイメージとして湧いた。
「世界中がこうした状況にあるにもかかわらず、どうして馬鹿みたいに国が8を作っている。こんなことをやっている場合じゃないだろう」
8を未だ生みだしている国家の意味がますます分からない。
不意に悠斗の腕時計からコール音が鳴り響いて、声にしかけた疑問が打ち消された。
空中に「CALL……クローン企画」という文字が出ている。
「ああ。レンタル会社の店舗からだ」
呟き悠斗は空中でボタンを押す。男性の声が聞こえてくる。
「聖さま。お貸ししているホログラムのレンタル期限が過ぎています。どうなさいますか」
悠斗はこちらを振り向く。あまり長く借りていると怪しまれるかもしれない。咲夜は頷いた。
「今日中に返しに行きます」
「では延長料は後ほど頂くことにします」
「わかりました」
通信は切れ、空中の画面も消える。
「他に聞きたいことがあればおうかがいします」
由香利は微笑む。遥も笑った。2人とも一緒に過ごせる残り少ない時間で咲夜の問いに全力で答えようとしているのを雰囲気から察することができた。
「8についての背景的なものはあなたがたの中にもないですよね」
咲夜は手短に再び確認するために言った。ありません、と2人。
「ですが。僕の疑問を。人類に問いたい。一般人には人の心があるのですか」
3人で顔を見合わせる。そうして急遽、画像の最後の最後に黒い画面に字幕と音声と曲をつけ、こうテロップを付け加えた。
『あなたには、人の心がありますか』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます