5-3
健吾がカメラを回す。
「日霧とは随分雰囲気が違うな。9は作られたりしないの」
咲夜が言うと、吾妻は不思議そうな顔をする。9を知らない。ということは、この居住地区にはそうした暴力はないということだ。
日霧での9について話すと、吾妻は納得した顔をしていた。
「ここは一般人が来ることも少ないし、年齢層も高め。12歳の子が来ても、年上の8が助けるよ。あまり有名じゃないっていうか、一般人はみんな観光地で栄えている日霧のほうに行っちゃう。だから、日霧市の8居住地区のほうが犠牲になりやすいんだと思う。観光旅行でもあっちが酷い目にあったんだってね」
吾妻は申し訳なさそうに言った。
「ああ・・・・・・」
「観光地となっているところの8居住地区は悲惨だよ。大人の一般人の、ツアー旅行の中にも組み込まれているって」
普通の旅行でもそうなのか。咲夜は唇を噛む。
「暮らしぶりはどう」
悠斗が訊ねる。
「落ち着いているから30近い人もいる。8がご近所同士で寄り添って、夜話し合うの。一般人にされたことやいろんな辛いこと。それが私たちストレスの緩和になっているのかもしれない。でも、その話し合いがかえってネガティブを呼んで、無気力になってここでは自ら命を絶っちゃう人がいる」
遥の日記にも是枝市の人から劇薬をもらったと書いてあった。
負のベクトルは、地域によって違うのだろう。
吾妻は自分の家を紹介する。さくらの住んでいる家よりは頑丈そうな鉄の板でつくられている。施設を出た時ちょうど空いたスペースがあったので、そこに家を建てることができたらしい。他の8の協力を得ながらなんとか建てたのだそうだ。
中は3畳ほどの広さだ。4人で入ると狭すぎて暑苦しい。床にはエアキャップが敷き詰められている。座り心地対策なりをしているのだろう。座るとぶつぶつと音が鳴る。
「それで、なにを話せばいいの」
吾妻は奥へ行き、正座をした。
「君自身、世の中に向けて言いたいことはある」
悠斗が訊ねる。
「8でいることって、本当に地獄だよ。だから南本さんの気持ちも伝えてほしい。こんな制度はきっといつか終わる。終わらなきゃおかしい。でもね。なんでだろ。私は8である境遇を受け入れているの。地獄なのに、それをどこかでこういうものと受け止めている」
吾妻はガラスのコップに雨が降った時に溜めたという水を注いで飲んだ。なんの処理もされていないので、これでお腹を痛めてしまうこともあると言って笑った。
「どうして君は受け止められる?」
悠斗の問いに吾妻は少し考え、言った。
「私はもともと、ただ目の前にいるだけの親がいた。子供のころ……8となるまでは、騒いでも泣いても放置されていた。両親は食事をしているのに私にはなにも出ないときもあった。毎日お腹を空かせて、泣けば時々はうるさいと叩かれていた」
「日本でもそんなことがあるの」
咲夜は思わず言っていた。旧時代には社会問題としてよくあったと聞いていたが、まさか現代でもあるとは思っていなかった。幸福度98パーセントという数字を信じたい部分がまだあるのだ。
「普通は誰かが気づいたらすぐ通報するし、そういうことが発見された場合は子供をかわいがる感性重視の夫婦のところへ養子に行くシステムに今はなっている」
健吾の説明に吾妻は頷く。
「周囲の誰も気づかなかった。入学式前に助けを求めていれば8にならずにすんだかもしれないと今なら思う。でも、それが日常だったから助けを呼ぼうという発想がなかった。運の悪さは持っているんだと思う。だから、こういう人生が続くものだと子供心に思っていたかな。そして本当に続いている。だからみんなの言う『幸せ』がよくわからない。もちろん、私の家庭なんかより8であることはもっと酷いよ? でも、私はきっと生まれた時から8だったんだよ。そして絶対的な上に立つものが両親から国の制度というものに変わっただけ。生まれた時からの延長線上が今ここ」
「君はそれでいいのか」
咲夜は声を張り上げていた。吾妻はびっくりしたように咲夜を見つめ、静かに言った。
「みんなのいう幸せってどんなもの」
吾妻は「あ」と呟き柔らかく微笑む。その顔はとても美しかった。
「あなたたちからお弁当を分けてもらった。あのちょっとほっとした感じが幸せなのかな」
「そうだ。そうだよ。その積み重ねが幸せなんだ」
健吾がカメラから目を離し言った。
「そうなの? じゃ、私は一度あなたたちから貰っているから、それでもうじゅうぶんかな」
再び微笑んだ。その笑顔に、咲夜は見とれた。
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